山の神神社(宮城県塩竈市南町7)
塩釜市南町の住宅地の奥まった場所に鎮座しています。
雑然とした感は否めないものの、お世話をする人はいるようです。
この社の由緒等は不明ですが、鳥居の下に「山の神」と記した板があったので「山の神神社」と呼ばれているものと推測します。
地元の人は鹽竈神社のことを「お山」と呼びます。塩釜には山を対象とした信仰が方方に残っていると感じられます。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
仙台市を中心とした宮城県内の神社の訪問記です
山の神神社(宮城県塩竈市南町7)
塩釜市南町の住宅地の奥まった場所に鎮座しています。
雑然とした感は否めないものの、お世話をする人はいるようです。
この社の由緒等は不明ですが、鳥居の下に「山の神」と記した板があったので「山の神神社」と呼ばれているものと推測します。
地元の人は鹽竈神社のことを「お山」と呼びます。塩釜には山を対象とした信仰が方方に残っていると感じられます。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
竹駒稲荷(宮城県塩竈市南町14-7)
塩釜市南町の青木神社に行こうとGoogle Mapに導かれてここに来たのですが、これは青木神社ではなく、どうやら別の神社にたどりついたようです。
後日、青木神社もすぐ近くにあったことを確認したので、必ずしもGoogle Mapの間違いではありません。しかし、道案内の精度は仙台の場合よりも低いと感じました。
朱色の塀の中に社殿が、その前に鳥居があるのがかろうじて見えるものの、建築中の建物に遮られて正面に回ることができません。できたとしても私有地に入るようではばかれる感じです。
隣の空き地から覗いたところ、竹駒稲荷と記した鳥居と社殿の屋根が見えましたが、これが限度でした。建築中の住宅の屋敷神なのでしょうか。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
香津山神社(宮城県塩竈市香津町14)
JR仙石線「西塩釜」駅から徒歩7分ほどの小高い丘に鎮座しています。周辺は集宅が密集しています。
鳥居の奥に社殿はなく、山神と刻まれた石碑が置かれています。この山自体に神性があると考えられていたのかもしれません。
この神社の由緒等は不明です。
なお、「香津」(こうつ)は塩釜の昔の名称です。かつて多賀城に国府が置かれ、それに近い場所に物資輸送のための港津を設ける要があったことから、今の塩釜の港が国府の港津として「国府津(こくふつ)と呼ばれ、後に香津と佳称されるに至ったのだろうということです。(菊地勝之助「宮城県地名考」参照)
EOS R, EF17-40mm F4L USM
佐浦山伏見稲荷神社(宮城県塩竈市錦町24)
JR仙石線「西塩釜」駅前に鎮座しています。
急な石段を上りきるとニの鳥居と社殿が見えてきます。
当社は、塩釜で生まれた日本酒の有名ブランド「浦霞」の醸造元である佐浦酒造が建立した神社です。
上ノ原神社(宮城県仙台市泉区根白石行木沢東)
泉区寺岡の泉パークタウンの西端に鎮座しています。寺岡から道路ひとつ隔てたこの場所の住所は根白石になります。
当神社は古来より夕日山に祀り有るも 開発により昭和五十一年(1976)に紫山に移転したるも宅造地内となり 此の度蔭沼頂きを遷座地と定め 本神社社殿の造営竣工に至る。(境内掲示「上ノ原神社本殿新築記念碑(1994年5月8日)」から引用)
夕日山が現在のどの場所を指すのか不明です。記念碑の中でもう少し説明が欲しかったところです。
覆屋の中に社殿が収められています。
石碑群です。
現在の社殿の造営主体は泉パークタウンを開発した三菱地所です。境内の整然とした配置の仕方は、いかにも三菱地所の仕事と感じられます。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
天満宮(宮城県仙台市泉区天神沢1丁目17-6)
泉区天神沢の3階建ての市営住宅団地の奥に鎮座しています。
鳥居の右側にある建物は町内会の集会所です。この神社は町内会が管理しているものと思われ、かつて近くにあった東北学院大学泉キャンパスの学生が祭日に神輿を担いだという記録が残っています。(東北学院大学HP「本学学生が天神沢町内会の天満宮祭典に参加」(2016年5月20日)参照)
国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」に宮城県図書館が掲載した内容によると、当天満宮の由緒・縁起について文献上確たることは判らなかったとのこと。
しかし、市名坂村の「天神沢」という小字は「安永年間(1772-1781)と明治17,18年(1885)の間にできた小字である可能性があ」るということなので、当時天神を祀った神社がこの地にあったのは確かなようです。
EOS R, EF35mm F1.4L USM
藤子山神社(宮城県仙台市宮城野区岩切鴻巣南82-48)
宮城野区岩切の住宅街。鴻巣4号公園という小さな公園の一角に鎮座しています。東に100ほどのところに七北田川が流れています。
「神明社の歴史は古く、留守氏の天正十八年(一五九〇)「岩切居城知行調」に「しんめひ」はたの事、八百地、田之事三百かりと見える。」
「神明社(堰下一番地)の祭神は天照大神・豊宇気姫で明治四三年(一九一〇)八坂神社に合祀された。」
「以前は七北田川の川べりで鴻巣遺跡の中にあった(新幹線西側)。」
「明治三七年(一九〇四)の台風により流されて現在地の堤防に引掛かっていたものを引き上げ、鴻巣南八八番地にお祀りしたという。明治四三年(一九一〇)廃止されたが昭和五四年(一九七九)に復活し現在地にお祀りされた。」
「藤子山神社になったのは昭和五四年(一九七九)で余目の氏神様としてお祀りしている。」(境内掲示「藤子山神社(神明社)」から引用。本文の順序を入れ替え、年号の明らかな誤りを一部訂正しています。)
1979年にいかなる経緯で復活したのか、何故に藤子山と呼ばれるようになったのか等、まったくもって判りませんが、大切に祀られているようです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM