八幡神社(宮城県多賀城市宮内1丁目2-50)
多賀城市宮内1丁目、仙台港背後地の工業団地の外れに鎮座しています。
仙台市を中心とした宮城県内の神社の訪問記です
八幡神社(宮城県多賀城市宮内1丁目2-50)
多賀城市宮内1丁目、仙台港背後地の工業団地の外れに鎮座しています。
大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1)
青葉区八幡の大崎八幡宮です。毎年1月14日には、正月飾りを御神火に投げ入れ一年の無病息災を祈願するどんと祭(松焚祭)が行われ、10万人の人々が訪れる県内有数の大きな神社です。
一の鳥居、二の鳥居を抜けて石段を上ると、三の鳥居が見えてきます。境内が広いです。写真には写っていませんが、三の鳥居の左奥に松焚祭の御神火が焚かれる場所があります。
こちらは長床です。国の重要文化財になっています。
社殿です。安土桃山時代の遺構として国宝に指定されています。
祭神 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇
伊達政宗の仙台開府後の慶長七年(一六〇二)それまであった岩手沢(現岩出山)より遷宮。同九年(一六〇四)起工、同十二年(1607)完成。大崎八幡の名は遷宮以前の大崎の地よりとったもの。米沢西郊の成島八幡に起源を有すとも胆沢郡八幡邑より分社したともいわれるが詳細は不明。
社殿は拝殿本殿そしてそれらを連結する石の間の三殿が一体となった権現造り形式を有す霊廟建築で、豊国神社を模したものという。本殿内陣には中央に応神天皇、右に仲哀天皇、左に神功皇后を祀り、神殿内外とも黒漆塗りで、長押より上には極彩色の彫刻が施され、桃山建築の典型といってよい。
長床は別名割拝殿とも呼ばれる素木造りの建物で、極彩色の社殿と比較すると対照的に落ち着いた風格を有す。向かって左側は、能舞台になっており、九月十四日の祭礼で宮城県指定無形文化財の能神楽が奉納される。(境内掲示「大崎八幡神社」仙台市教育委員会から引用)
熊野神社(宮城県仙台市太白区中田町前沖北23-16)
太白区中田町の住宅街に鎮座しています。向かってすぐ右隣りは熊野山明川寺という曹洞宗の寺院です。
この神社の設立年代等は不明ですが、南仙台鎮座中田神社のHPに「明治42年(1909)3月宮城県に神社合祀の申請許可を得て、(中略)旧前田村の無格社 老女宮・熊野神社を合祀し、中田村神社と称号して鎮座しました」との記載があります、旧前田村は現在の仙台市太白区中田地区の一部です。
中田神社のHPには、旧前田村の熊野神社の祭神は熊野加布呂杵櫛御食野命(かぶろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)であるとしています。この神様は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別名です。
EOS R, EF24-105mm F4L IS USM
八坂神社(宮城県仙台市太白区東中田3丁目28)
太白区東中田の袋原公会堂の敷地に鎮座しています。
この神社の成立年代は不明ですが、判明した一部の由緒は以下のとおりです。
明治42年(1909)3月宮城県に神社合祀の申請許可を得て、旧柳生村村社 雷神社に、旧前田村村社 神明社・旧四郎丸村村社 神明社・旧袋原村村社 八坂神社を、更に旧前田村の無格社 老女宮・熊野神社を合祀し、中田村神社と称号して鎮座しました(中田神社(太白区西中田)HPから引用)
(昭和)十四年(1939)九月敬神崇祖ノ涵養ヲ一層強化スル目的ヲ以テ袋原字小原ニ鎮座セル八坂神社ノ御仮宮ヲ奉還ス(袋原公会堂敷地内設置「記念碑」昭和19年6月15日付けから引用)
明治時代に現西中田の中田神社に合祀ながら以後も元のまま存続していた神社を、住民有志が1939年に袋原字小原から当地に遷してきたものと思われます。
中田神社のHPには、旧袋原村の八坂神社の祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)であると記されています。
EOS R, EF24-105mm F4L IS USM
城丸(じょうまる)明神(宮城県仙台市太白区四郎丸大宮)
太白区四郎丸の城丸古墳の上に鎮座しています。
城丸古墳は未調査で築造の時期は不明ですが、「高さニ・ニメートル直径約二十三メートルの円墳で周溝を伴うものと考えられる 葺石や埴輪片は見られない」(構内説明塔「城丸古墳」(仙台市教育委員会)から引用)とのことです。
古墳の上に建っている城内明神の由緒等は不明です。
複数のブログ等では、昭和21年(1946)に大崎市古川の斗蛍(とけい)神社の分霊を勧請されたと説明されています。(その情報元の確認が取れていない状態です。)
境内には石碑が多数存在し、明治時代の刻字も確認出来ます。この社が昭和21年(1946)に創建されたのが事実としても、この場所にはそれ以前にも何らかの宗教施設的なものがあったのではないかと想像されます。
参考資料:仙台市文化財パンフレット第56集「国史跡遠見塚古墳」
EOS R, EF17-40mm F4L USM