2026年4月9日木曜日

大高山神社(金ケ瀬台部)

大高山神社(宮城県大河原町金ケ瀬台部2-1)

 大河原町金ケ瀬の国道4号沿いに一之鳥居が建っています。

 この日、境内はソメイヨシノが満開でした。

 石段を上ると南蛮鉄鳥居が見えてきます。南蛮鉄とは室町時代の末期から我が国に渡来した精鋳鉄・洋式鉄鋳の鉄で、この鉄鳥居は当地方においては珍しいものであるとのことです。(大高山神社HP及び境内設置説明標柱を参照)


主祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)、橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

江戸期まで柴田郡総鎮守として崇められた当社は、敏達天皇が即位した敏達元年(571)に日本武尊を祭神とし創建、後に推古天皇御代、聖徳太子の父橘豊日尊(用明帝)も合祀された。承和9年(842)従五位の下から従五位に昇叙(格上げ)、左大臣藤原忠平がまとめた延喜式には、国から貢ぎ物を受ける全国285社の一社となり、明治5年(1872)には郷社となる。本殿は江戸中期の建物で、施設内には国重要文化財の東北最古の鰐口(1293銘)、文治年間(1185-1189)藤原忠衡寄進の鉄九輪塔、江戸期の絵馬など貴重な文化財を多く所蔵する。(境内掲示「大高山神社(延喜式内社)」(大河原町教育委員会)から引用)

 こちらは本殿です。立派です。

 文治年間(1185-1190)に藤原泰衡の弟である和泉三郎正衡が寄進したと伝えられる鉄九輪塔です。「今は原型は見られず火袋部分だけが残り、このように灯籠型値に作り変えられて保存されて」いるそうです。(大高山神社HP及び境内設置説明標柱を参照)

 境内社の蚕影神社です。常陸国筑波山麓神郡村から移した古社です。(宮城県神社庁HP参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2026年4月8日水曜日

貴布禰神社(小角)

貴布禰神社(宮城県仙台市泉区小角明神2)


 泉区小角(おがく)の田園地帯に鎮座しています。鳥居の周辺は仙台市の「わがまち緑の名所100選」に指定されているしだれ桜が満開でした。

  この日は桜を見る人が大勢訪れていましたが、残念ながら神社まで参拝する人はほとんどいませんでした。



祭神 高寵神(たかおかみのかみ)

創建時代は定かではないが、戦国時代に留守氏が支配する利府で賀茂神社とともに祀られ、のちに伊達政宗により塩竈神社に遷された。古内の賀茂神社が4代藩主伊達綱村によって元禄9年(1696)に塩竈神社より遷された頃に、当社も京都貴船神社の地に似た当地に遷されたものと思われる。遷宮に際して新社殿を作らなかったためか、箱棟に留守氏の家紋の菊、桐の紋章が残る。祭神は水を司る高寵神で、降雨や晴天を祈願した神である。(境内掲示「貴布禰神社」(仙台市教育委員会)から引用)

 境内社が並んでいます。向かって左側が春日神社、右側が八幡神社です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2026年3月25日水曜日

鎌倉神社

鎌倉神社(宮城県多賀城市下馬1丁目5)

 JR東日本仙石線「下馬」駅から徒歩4分ほどの公園(その名も鎌倉公園)の一画に鎮座しています。



祭神 鎌倉権五郎(平景政)(かまくらごんごろう(たいらのかげまさ))

 もとは仙台藩の家臣、芦立氏の氏神であったと伝わっています。祭神は、平安時代末期、源義家に従って戦功を挙げた鎌倉権五郎景政とされていますが、芦立氏が鎌倉権五郎を祭神とした経緯については明らかではありません。明治百年を記念し、昭和44年(1969)に本殿を流造りに、拝殿を入母屋造りに改修され、本社である鎌倉市の御霊神社(権五郎神社)より新たに神霊が迎えられています。(略)
 江戸時代が終わり、芦立氏が領主としての立場を失ってからも、その氏神は古くから下馬に住んでいた方々によって守られ、祭祀が行われてきました。(略)鎌倉神社は、現在でも下馬地区の人々によって祭事が執り行われていますが、社主は芦立氏であり、この神社がかつてはその氏神であったという歴史を伝えています。
(多賀城市HP「多賀城市の文化財」から引用)


 こちらは流造りの本殿です。閑静な住宅街に鎮座する社殿の鮮やかな朱色が印象的な神社でした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

喜太郎稲荷神社

喜太郎稲荷神社(宮城県多賀城市八幡2丁目7)

 JR東日本仙石線「多賀城」駅から南西に500mほどの住宅地に鎮座しています。


天童氏はもと出羽国の天童城主でしたが、天正12年(1584)、頼澄(よりずみ)が最上氏との戦いに敗れて陸奥国に落ち延び、やがて伊達政宗に仕えて八幡に所領を与えられました。喜太郎稲荷神社は天童氏が八幡に移り住んだ際、この地に勧請(かんじょう)されたものです。(多賀城市HP「多賀城市の文化財」から引用)

 境内に設置されている「喜太郎稲荷大明神由来」という石碑には「天童頼久(後の頼澄)公最上義光に攻略され落城草刈将監等と関山峠を越えんとしたが暗闇の為難渋す その時喜太郎と言う忍者現れ灯を点し愛子まで道案内をつとめてくれた 以後生命の恩人とし天童家の氏神として祀る」とのいわれが刻まれています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2026年3月12日木曜日

鹿野八幡神社

鹿野八幡神社(宮城県仙台市太白区鹿野本町17)

 太白区鹿野の人一人がやっと通れるような細く曲がりくねった道を上って神社のある広い場所にたどり着いたのですが、Googleマップが指示した最短の道を通ったためで、もっと広い道路が他にあるのかもしれません。



 仄聞によれば源義家の勧請と伝えられている。詳細の記録は不明であるが、相原家が現有する記録からみて元和年間(一六二〇年)に畑塒地内に鎮座し、この地一帯の守護神として地区住民の信仰を集めていた神社である。(略)
 当、鹿野八幡神社は、相原家が代々管理し、その運営は鹿野地区に古くから活動していた契約会の人達が当たっていた。(略)
 昭和三十八年(1963)七月、鹿野八幡神社を管理してきた相原家より本殿及び参道を含めて寄付の申し出をする。それ以来、鹿野全域の総代会によって管理運営され今日に至っている。
(境内掲示「鹿野八幡神社由来の概要」から引用)


 覆屋の中に祭神が祀られていると思われる祠が収められていました。



 境内に石碑がいくつか建っています。由来説明にあるとおり、総代会によって丁寧に管理されているようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

深山神社(土手内)

深山(しんざん)神社(宮城県仙台市太白区土手内1丁目3-14)


 太白区土手内の住宅街の集会所に隣接して鎮座しています。

 鳥居の外側を走る道路に面して馬頭観音など数基の石碑があります。


 太白区郡山に鎮座する諏訪神社に深山神社という境内社があり、社殿の前に掲示している由緒説明板に「祭神 大山祇神 明治四十五年(1912)五月二日砂押町より合祀する。木華開耶姫命の親神。山の神、恵みの神として金運や商売、そして酒造の神としても信仰される。」と記されています。

 この神社は諏訪神社に合祀された後も地域の守り神として信仰されているものと思われます。


 覆屋の中に石製の祠が確認できました。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2026年2月20日金曜日

尾島ケ崎護防稲荷神社

尾島ケ崎護防稲荷神社(宮城県塩竈市尾島町21)

 塩釜市尾島町の民家の脇道を上っていくのですが、この先に神社があると知っていなければ上らない道でしょうね。

 神社があると知っていても熊が出そうで不気味です。

 しばらく進むと社殿が見えてきます。



 覆屋の中に祠があって御幣が祀られていました。この神社の由緒等は不明ですが、現在も丁寧にお世話をされているようです。

 社殿の脇に鳥居のものと思われる残骸が置かれていました。Googleマップには社殿の前に鳥居が建っている2018年12月時点の写真が掲示されています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM