喜太郎稲荷神社(宮城県多賀城市八幡2丁目7)
JR東日本仙石線「多賀城」駅から南西に500mほどの住宅地に鎮座しています。
天童氏はもと出羽国の天童城主でしたが、天正12年(1584)、頼澄(よりずみ)が最上氏との戦いに敗れて陸奥国に落ち延び、やがて伊達政宗に仕えて八幡に所領を与えられました。喜太郎稲荷神社は天童氏が八幡に移り住んだ際、この地に勧請(かんじょう)されたものです。(多賀城陸奥総社宮HP「歴史の嵐46~喜太郎稲荷神社~から引用)
境内に設置されている「喜太郎稲荷大明神由来」という石碑には「天童頼久(後の頼澄)公最上義光に攻略され落城草刈将監等と関山峠を越えんとしたが暗闇の為難渋す その時喜太郎と言う忍者現れ灯を点し愛子まで道案内をつとめてくれた 以後生命の恩人とし天童家の氏神として祀る」とのいわれが刻まれています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM