神明社(宮城県仙台市太白区四郎丸神明95-1)
太白区四郎丸の公道沿い、四郎丸公会堂の向かいに鎮座してます。
由緒等の確かなところは判りません。
西中田に鎮座する中田神社のHPに、明治42年(1909)3月宮城県の許可を得て旧四郎丸村村社神明社ほかを合祀したとの記載があります。この社は中田神社に合祀された神社が今も残っているものと思われます。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
仙台市を中心とした宮城県内の神社の訪問記です
小力(こぢから)神社(宮城県利府町沢乙東5-6)
利府町沢乙東の住宅団地に鎮座する小力神社です。
祭神 奈良戸屋根命、手力雄命(てぢからおのみこと)
小刀神社の祭神は、奈良戸屋根命、手力雄命である。安永風土記によれば、鹽竈神社十四末社として観請された神社である。(中略)小刀神社を小力神社(こぢからじんじゃ)と呼んでいるが、小刀の文字を小力と見て書き呼んでいるのではないかと思われる。宝永七年(一七〇五年)十月十六日に再建され、鹽竈神社の末社として毎年三月十五日を祝祭日として神事を行っていた。大正五年(一九一五年)には伊豆佐比賣神社に合祀され、平成八年(一九九六年)に現在の社殿を建て遷祀されました。(境内掲示「正一位小刀神社」(利府村史より)から引用)
祭神の「奈良戸屋根命」はどのような神様なのか不明です。Aiは、日本神話に登場する天児屋根命(あめのこやねのみこと)のことだと断定していますが、その根拠は示されておらず、今のところすぐには信じられない状況です。
もう一柱の祭神である手力雄命(てぢからおのみこと)は、天岩戸の扉を開けて天照大御神の手を引いて導き出したと言われる怪力の神様です。
EOS R, EF35mm F1.4L USM
八幡神社(宮城郡利府町中央3-6-1)
羽黒神社(宮城県仙台市太白区羽黒台1-21)
太白区の、その名も羽黒台団地に鎮座する羽黒神社です。
祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
創立は和銅以前(七一〇、飛鳥)と云われ、天喜五年(1057)九月陸奥守源頼義名取郡山田郷に更めて社殿を造営、治暦三年(1067)二月火災に罹り、村民の協賛によって修理を加えたと云える。(社伝、口碑)古く山田総鎮守羽黒権現社と称し、別当寺を羽黒寺と呼んだが、明治のはじめ現社号に改め、同五年(1872)四月村社に列する。昭和四十三年(1968)五月、団地造成のため現在地に移転す。(「宮城県神社名鑑」から引用。年号の誤りを一部修正)
覆屋内の本殿です。
神社の隣に、別当寺であった羽黒寺の本尊を祀った出石瀧不動尊があって、
不動明王像と、鯉が泳ぐ池がありました。この不動尊は昭和58年(1983)にこの地に置かれたものだそうです。(木村孝文「太白の散歩手帖」を参照)
荒雄神社(宮城県大崎市古川福沼1-2-1)
大崎市古川の荒雄神社です。JR東北新幹線「古川」駅から徒歩15分ほどの荒雄公園に鎮座しています。近くには吉野作造記念館があります。
主祭神 菅原道真、楠木正成、和気清麿
この社は、承応元年(一六五二、江戸)郷士青沼帯刀が北野天満宮の神霊を奉遷鎮斎したもので、元天神社と称した。(青沼帯刀末裔昌之助所蔵文書)社殿は安永六年(1777)九月改築したものである。昭和四十八年(1973)四月荒雄、湊川、護王の三社を合祀し、現社号に改めた。(「宮城県神社名鑑」から引用)
昭和天皇御即位記念事業奉祝の微裏を表せんが為荒雄村の素封家青沼彦治翁は嫡男吉治氏の名を以って荒雄村に献金出願、村議会決議を以って荒雄神社御造営は成されたと村誌にあるが事実は十萬金を以って彦治翁自ら指揮監督に当たり県下稀にみる大神社をここに建設されたものである。尚祭神分祀は彦治翁嫡男吉治夫妻を伴い自ら京都神戸に赴き各神社宮司に懇請宮司方はその赤誠に感じ御分霊に応じられたとある。(宮城県神社庁HPから引用)
拝殿には「天満宮」と記された扁額が掲げられています。
上記2つの由緒説明には異なった内容が記されています。この神社は、郷士であった青沼帯刀が江戸時代に創建した天神社をもとに、子孫の青沼彦治が昭和に入り私財をを投じて豪華な社殿を作ったもので、楠木正成を祀った湊川神社、和気清麿を祀る護王神社を合祀して現在に至っている、というのが私の見立てですがいかがでしょうか。
仙台藩最後の宮彫師といわれる上山寅正(別名、石井寅正)の彫刻が見事です。
こちらは本殿です。
境内社の見渡神社です。
Canon PoweShot S120
住吉神社(宮城県仙台市泉区西田中字下田中15)
旧西田中村(現泉区西田中)の鎮守だった住吉神社です。
西田中村は七北田川の支流である田中川と萱場川に沿った地域で、明治22年(1889)に泉嶽(いずみがたけ)村に編入されました。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第4回 西田中めぐり 住吉台周辺を歩く」を参照)
主祭神 底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)
後鳥羽天皇のの文治4年(1188)平貞能(小松内大臣平重盛の臣筑後の守)の臣黒川三郎重康雲州から勧請したと言われる。明治5年(1872)村社に列格。明治42年(1909)3月、法量、稲荷、萱場、愛宕の4社を合祀した。(宮城県神社庁HPから引用)
境内には本殿(向かって左から2番目)と境内社の3つの社殿が並列されています。
一番左側の境内社が「法量神社,愛宕神社,萱場神社」
左から3番目が「八幡神社,熊野神社」
左から4番目の境内社が「法龍神社,神明社,白狐社,稲荷社」になっています。
住吉神社は明治42年(1909)に周辺の神社を合祀していますが、前掲の仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第4回 西田中めぐり 住吉台周辺を歩く」には、「西田中の住民はそれぞれ境内社として独立した神殿を造り、各々奉祭したため、他の地区では小さな神社が次々と消滅しているのとは異なる結果となっています。」と述べられています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
湯神社(ゆがみしゃ)(宮城県仙台市太白区秋保町湯元薬師28)
太白区秋保のホテル佐勘の敷地に鎮座しています。
代々秋保温泉の湯守を世襲してきたホテル佐勘の古文書によれば、 湯神社は秋保温泉の繁栄とお湯の安定湧出を祀る守護「神」にあたる由緒ある神社といわれている。安政2年(1855年)大地震によって、秋保温泉のお湯の湧出が止まってしまったとき、 湯守寿右エ門は、湧出を祈願して現在の鞘堂の中にある「堂宇」を建立し、 湯殿山に参詣するなど願をかけた。 すると不思議なことに、突如として湯が湧きはじめたといわれ、今でも秋保温泉守り神として大切に祀られている。(秋保・里センターHP「秋保の歴史 秋保の社寺」から引用)
上記由緒説明の中で、鞘堂に建立したとされる堂宇です。安政年間当時のものではなく、いつかの時点で作り直されたものと思われます。
EOS R, EF17-40mm F4L USM