2026年5月11日月曜日

住吉神社(西田中)

住吉神社(宮城県仙台市泉区西田中字下田中15)


 旧西田中村(現泉区西田中)の鎮守だった住吉神社です。

 西田中村は七北田川の支流である田中川と萱場川に沿った地域で、明治22年(1889)に泉嶽(いずみがたけ)村に編入されました。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第4回 西田中めぐり 住吉台周辺を歩く」を参照)


主祭神 底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)

後鳥羽天皇のの文治4年(1188)平貞能(小松内大臣平重盛の臣筑後の守)の臣黒川三郎重康雲州から勧請したと言われる。明治5年(1872)村社に列格。明治42年(1909)3月、法量、稲荷、萱場、愛宕の4社を合祀した。(宮城県神社庁HPから引用)

 境内には本殿(向かって左から2番目)と境内社の3つの社殿が並列されています。

 一番左側の境内社が「法量神社,愛宕神社,萱場神社」

 左から3番目が「八幡神社,熊野神社」

 左から4番目の境内社が「法龍神社,神明社,白狐社,稲荷社」になっています。

 住吉神社は明治42年(1909)に周辺の神社を合祀していますが、前掲の仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第4回 西田中めぐり 住吉台周辺を歩く」には、「西田中の住民はそれぞれ境内社として独立した神殿を造り、各々奉祭したため、他の地区では小さな神社が次々と消滅しているのとは異なる結果となっています。」と述べられています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2026年4月24日金曜日

湯神社

湯神社(ゆがみしゃ)(宮城県仙台市太白区秋保町湯元薬師28)


 太白区秋保のホテル佐勘の敷地に鎮座しています。


代々秋保温泉の湯守を世襲してきたホテル佐勘の古文書によれば、 湯神社は秋保温泉の繁栄とお湯の安定湧出を祀る守護「神」にあたる由緒ある神社といわれている。安政2年(1855年)大地震によって、秋保温泉のお湯の湧出が止まってしまったとき、 湯守寿右エ門は、湧出を祈願して現在の鞘堂の中にある「堂宇」を建立し、 湯殿山に参詣するなど願をかけた。 すると不思議なことに、突如として湯が湧きはじめたといわれ、今でも秋保温泉守り神として大切に祀られている。(秋保・里センターHP「秋保の歴史 秋保の社寺」から引用)

 上記由緒説明の中で、鞘堂に建立したとされる堂宇です。安政年間当時のものではなく、いつかの時点で作り直されたものと思われます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

秋保神社

秋保神社(宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22)

 太白区秋保の秋保神社です。

 参道の奥に長床が見えます。この神社は近年「勝負の神」として知られるようになったためか、それを記したのぼり旗がいたるところに立っています。

 本殿と拝殿は増改築工事中とのことで仮設の神拝処が置かれていました。

 こちらは工事中の本殿と拝殿です。

主祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと)

秋保神社は古来旧秋保五ケ村の信仰の中心的存在で、"お諏訪さま”といって村民から親しみ敬われていた。ここには坂上田村磨創建と伝わる熊野神社が鎮座していた。一時廃絶したが建長三年(一二五一)再興され、その後、永正十年(一五一三)秋保盛房が信州から諏訪明神を勧請した。(略)明治四十二年(一九〇九)無格社合祀の勅令によって、各部落の鎮守を合祀して秋保神社と改称し村社に列された。合祀の神社は(湯元)湯神社、(境野)羽山神社·八幡神社、(長袋)諏訪神社·神明神社、(馬場)愛宕神社、(新川)亘理権現社·白山神社の八社である。(木村孝文「太白の散歩手帖」から引用)

 社殿の増改築工事は2016年11月末までを予定しているとのことです。

 こちらは境内社です、向かって左側から天神社、雷神社、稲荷神社、熊野神社です。

 仙台市の保存樹木に指定されているイチョウの大木です。秋になるとたくさんの実をつけ子どもを抱えているように見える姿から「子育て若乳銀杏」と呼ばれ信仰されているそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2026年4月9日木曜日

大高山神社(金ケ瀬台部)

大高山神社(宮城県大河原町金ケ瀬台部2-1)

 大河原町金ケ瀬の国道4号沿いに一之鳥居が建っています。

 この日、境内はソメイヨシノが満開でした。

 石段を上ると南蛮鉄鳥居が見えてきます。南蛮鉄とは室町時代の末期から我が国に渡来した精鋳鉄・洋式鉄鋳の鉄で、この鉄鳥居は当地方においては珍しいものであるとのことです。(大高山神社HP及び境内設置説明標柱を参照)


主祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)、橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

江戸期まで柴田郡総鎮守として崇められた当社は、敏達天皇が即位した敏達元年(571)に日本武尊を祭神とし創建、後に推古天皇御代、聖徳太子の父橘豊日尊(用明帝)も合祀された。承和9年(842)従五位の下から従五位に昇叙(格上げ)、左大臣藤原忠平がまとめた延喜式には、国から貢ぎ物を受ける全国285社の一社となり、明治5年(1872)には郷社となる。本殿は江戸中期の建物で、施設内には国重要文化財の東北最古の鰐口(1293銘)、文治年間(1185-1189)藤原忠衡寄進の鉄九輪塔、江戸期の絵馬など貴重な文化財を多く所蔵する。(境内掲示「大高山神社(延喜式内社)」(大河原町教育委員会)から引用)

 こちらは本殿です。立派です。

 文治年間(1185-1190)に藤原泰衡の弟である和泉三郎正衡が寄進したと伝えられる鉄九輪塔です。「今は原型は見られず火袋部分だけが残り、このように灯籠型値に作り変えられて保存されて」いるそうです。(大高山神社HP及び境内設置説明標柱を参照)

 境内社の蚕影神社です。常陸国筑波山麓神郡村から移した古社です。(宮城県神社庁HP参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2026年4月8日水曜日

貴布禰神社(小角)

貴布禰神社(宮城県仙台市泉区小角明神2)


 泉区小角(おがく)の田園地帯に鎮座しています。鳥居の周辺は仙台市の「わがまち緑の名所100選」に指定されているしだれ桜が満開でした。

  この日は桜を見る人が大勢訪れていましたが、残念ながら神社まで参拝する人はほとんどいませんでした。



祭神 高寵神(たかおかみのかみ)

創建時代は定かではないが、戦国時代に留守氏が支配する利府で賀茂神社とともに祀られ、のちに伊達政宗により塩竈神社に遷された。古内の賀茂神社が4代藩主伊達綱村によって元禄9年(1696)に塩竈神社より遷された頃に、当社も京都貴船神社の地に似た当地に遷されたものと思われる。遷宮に際して新社殿を作らなかったためか、箱棟に留守氏の家紋の菊、桐の紋章が残る。祭神は水を司る高寵神で、降雨や晴天を祈願した神である。(境内掲示「貴布禰神社」(仙台市教育委員会)から引用)

 境内社が並んでいます。向かって左側が春日神社、右側が八幡神社です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2026年3月25日水曜日

鎌倉神社

鎌倉神社(宮城県多賀城市下馬1丁目5)

 JR東日本仙石線「下馬」駅から徒歩4分ほどの公園(その名も鎌倉公園)の一画に鎮座しています。



祭神 鎌倉権五郎(平景政)(かまくらごんごろう(たいらのかげまさ))

 もとは仙台藩の家臣、芦立氏の氏神であったと伝わっています。祭神は、平安時代末期、源義家に従って戦功を挙げた鎌倉権五郎景政とされていますが、芦立氏が鎌倉権五郎を祭神とした経緯については明らかではありません。明治百年を記念し、昭和44年(1969)に本殿を流造りに、拝殿を入母屋造りに改修され、本社である鎌倉市の御霊神社(権五郎神社)より新たに神霊が迎えられています。(略)
 江戸時代が終わり、芦立氏が領主としての立場を失ってからも、その氏神は古くから下馬に住んでいた方々によって守られ、祭祀が行われてきました。(略)鎌倉神社は、現在でも下馬地区の人々によって祭事が執り行われていますが、社主は芦立氏であり、この神社がかつてはその氏神であったという歴史を伝えています。
(多賀城市HP「多賀城市の文化財」から引用)


 こちらは流造りの本殿です。閑静な住宅街に鎮座する社殿の鮮やかな朱色が印象的な神社でした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

喜太郎稲荷神社

喜太郎稲荷神社(宮城県多賀城市八幡2丁目7)

 JR東日本仙石線「多賀城」駅から南西に500mほどの住宅地に鎮座しています。


天童氏はもと出羽国の天童城主でしたが、天正12年(1584)、頼澄(よりずみ)が最上氏との戦いに敗れて陸奥国に落ち延び、やがて伊達政宗に仕えて八幡に所領を与えられました。喜太郎稲荷神社は天童氏が八幡に移り住んだ際、この地に勧請(かんじょう)されたものです。(多賀城市HP「多賀城市の文化財」から引用)

 境内に設置されている「喜太郎稲荷大明神由来」という石碑には「天童頼久(後の頼澄)公最上義光に攻略され落城草刈将監等と関山峠を越えんとしたが暗闇の為難渋す その時喜太郎と言う忍者現れ灯を点し愛子まで道案内をつとめてくれた 以後生命の恩人とし天童家の氏神として祀る」とのいわれが刻まれています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM