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2025年6月16日月曜日

権現森温泉 湯神神社

権現森温泉 湯神神社(宮城県仙台市青葉区芋沢権現森山)


 県道37号(仙台北環状線)の泉区南吉成付近から南に歩いて2,3分の場所に鎮座しています。

 北環状線は仙台でも車の通行量が多い有数の幹線道路です。そのすぐ近くに、こんな静かな場所があるとは驚きでした。

 ちなみに、権現森とは仙台市西部に広がる200haに及ぶ自然林で、森の最高点は標高314mほどの権現森山。山頂からは泉ヶ岳や蔵王連峰も望めるとのことです。(仙台市HP「杜の都 わがまち緑の名所100選」参照)



 由緒等は判りません。この近くにある権現森温泉の氏神であろうと思われます。

 なお、北環状線から当地に至る道路の途中に、権現森の宿を工事現場の宿舎として利用できる旨の看板が残っています。しかしながら、宿が現在も営業しているかどうかは不明です。

 社殿の隣りに大正14年(1925)と刻年されている馬頭観世音碑と小祠がありましたが、草深くて近寄ることができませんでした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月28日水曜日

御嶽三吉神社

御嶽三吉(おんたけみよし)神社(宮城県仙台市青葉区北山3-6-18)

 JR仙山線「北山駅」を下車し5分ほど歩くと一の鳥居が見えてきます。ここから石段を上って伊勢堂山と呼ばれる小山にある社殿に向かいます。

 石段の途中で大山祇神社の社殿をみつけました。現在は神社として機能していないようです。ここはいかなる謂れのある神社なのか、どういう経緯で放置されるに至ったのか興味がわいてきます。

 ともあれ、御嶽三吉神社に話を戻し、さらに石段を上ります。

 ここは教派神道(神道十三派)のひとつである御嶽教の神社です。御嶽教は木曽御嶽信仰を起源とする宗派です。社殿が立派です。


祭神 國常立尊(くにのとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、三吉大神(みよしのおおかみ)

御嶽三吉神社は仙台市北山丘陵(伊勢堂山北部)の分水嶺に鎮座し、信濃の國木曽御嶽山に祀られる御嶽大神、出羽の國秋田太平山に祀られる三吉大神の御分霊をお祀りしております。創建年は昭和8年(1933)に三吉神社崇敬者はじめ仙台市亀ヶ岡(当時の地名)近隣の地域崇敬者同志の賛同を得て三吉大神の石祠が祀られました。戦後、昭和38年(1963)、隣地に鎮座されておりました御嶽神社(御嶽教宮城敬神教会:昭和29年(1954)、光善寺通りにて開教)へ移管合祀され、「御嶽三吉神社」と改称され、(宗)御嶽教宮城大教会となりました。(ホトカミ「御嶽三吉神社の基本情報」から引用)


 社殿から仙台市北部の街並みが望めます。


 境内社の出羽三山神社仙台分社です。やはり山岳信仰にゆかりがあるのですね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月21日水曜日

伊勢神明社

伊勢神明社(宮城県仙台市青葉区千代田町4-33)

 JR仙山線「北山」駅から徒歩10分ほどの丘陵地に鎮座しています。


 それほど高い山にあるわけではありませんが、道路の勾配がきつく参道入口まで歩くのが大変で、さらに参道の石段を上るのにも往生しました。


主祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)

元和七年(1621)藩祖政宗は荒巻村鎮座の神明社(荒巻神明町)を同村内の勝地に遷し、神明宮と称し、同地を伊勢堂山といった。(略)天和二年(1682)四代藩主綱村は規模を拡張し社殿を改築、(略)藩主継嗣とのとき参拝することを例とした。(略)明治五年(1872)元柳町(元桜ヶ丘公園)に遷座し同八年(1875)桜岡大神宮と改めたが、旧地に神社は残り現在小社があるだけである。(木村孝文「青葉の散歩手帖」から引用)

 そもそもはたいへん由緒ある神社のようです。



 かつて別当寺があったことを偲ばせる地蔵を参道にみることができます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年4月7日月曜日

雷神社(国見)

雷神社(宮城県仙台市青葉区国見6丁目13)

 JR仙山線国見駅から徒歩4分の荒巻雷神堂公園の中に鎮座しています。

 この場所の旧住所は「荒巻字雷神堂山」ですので、かつては山だったようです。


「雷神堂」は、国見地区の旧地名である「山屋敷」の人々が、近くにあった火薬製鉄所に深く心配を寄せ、火薬の神様「雷神」の怒りの鎮めるために祀ったといわれている。現在は公園になっているが、以前は仙山線沿線にあった「雷神山」の頂上に鎮座していたという。(HP「飲兵衛先生のまちづくり研究室」から引用)

 国見に近い青葉区貝ヶ森にかつて伊達藩の火薬製造工場がありました。現在、その跡地に記念碑が建っています。


 訪問した日は、境内のしだれ桜が満開でした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年12月18日水曜日

穴蔵神社

穴蔵神社(宮城県仙台市青葉区霊屋下21-16)


 仙台藩主伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿の入口近くに鎮座しています。

 手前が素通しの拝殿。


 奥に本殿があります。

主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

本社は、元米沢に御鎮座あり、伊達氏の守護神として奉斎せるを、藩祖政宗伊達郡梁川に遷し、後、仙台若林に城郭をさだむるに及び荒井村に遷し、後、青葉城を築くのとき鈴の沢の地を選び城に向けて遷し祀る。故に「夕日明神」と称あり。天保6年(1835)7月広瀬川の氾濫と崖崩れの災をおそれ遂に川下の現在の地に鎮めまつる。(宮城県神社庁HPから引用)



 本殿を守る狛狐が厳しくてかっこいいです。


 神社の由緒を漢文で記した石の「稲荷神碑」は天保6年(1835)の洪水で河中に埋没したものが昭和8年(1933)に工事現場で発見され、同11年(1936)にこの地に再建されたのだそうです。(「仙臺市史」昭和28年版参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年12月7日土曜日

青葉神社

青葉神社(宮城県仙台市青葉区青葉町7-1)

 仙台藩祖伊達政宗を祀る青葉神社です。

 2011年の東日本大震災で鳥居が全壊し、この鳥居は2014年に再建されたものです。

 新しい鳥居の脇に全壊した鳥居の残骸が置かれています。放置しているのではなく、あえてこうしているものと考えられます。


 長い参道を進むと、広々とした境内にたどり着きます。神社特有の張りつめた空気が気持ちよく感じられます。


 こちらは拝殿です。

主祭神 武振彦命(たけふるひこのみこと・伊達政宗)

通町にあり、明治六年(1873)十月十四日、北二番丁住醫小泉長善その他有志の連名を以て藩祖伊達政宗の靈を崇める爲に神社を建てゝ奉祀せんことを官に願い出て、同七年(1874)一月九日許可を得、同年二月九日神號を武振彦命、社號を靑葉神社と賜い、同六月二十五日縣社び列せられたが、これより先、社地として北山東昌寺境内を卜し、二千二百三十餘坪の拂下を出願し、明治七年(1874)四月十七日許可を得たので、同五月三日地鎭祭を執行、十一月十一日本殿・拝殿・社務所・神樂殿等の竣工を見、同十五日靈屋を一本杉伊達家から新社殿に遷し、十六日鎭座祭を奉仕した。(「仙臺市史」昭和28年版から引用)

 本殿を取り囲む透塀(すきべい)と中門です。透塀は本殿を世俗から分離する役を担っています。中門の奥に見えるのが本殿です。

 政宗の正室であった愛姫(めごひめ)を祀った愛姫社の鞘堂です。愛姫社の本殿は青葉神社の本殿に移されており、今は鞘堂だけが残っています。


 伊達家の家臣たちを祀った祖霊社です。

 青葉神社は明治になって建立されたのでそれほど歴史があるわけではありませんが、藩祖を祀っているだけあり威厳があります。神社の6つの建造物が国の登録有形文化財に指定されています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年11月16日土曜日

中山鳥瀧神社・平田稲荷神社

中山鳥瀧神社・平田稲荷神社(宮城県仙台市青葉区中山6丁目19-18)


 急坂の多い青葉区中山地区の一画に鎮座しています。


 参道で神社を護っているのは狛犬ではなく、狛「鳥」と狛「龍」です。


 向かって左側が中山鳥瀧不動尊です。中央の社殿には中山鳥瀧神社、平田稲荷神社、龍神水神の祭神が並んで祀られています。


当山は凡そ千二百年前,天平の初期淳仁天皇の御代中山仙人が在住した頃から不動尊があった。 後年に至り慈覚大師が諸国遍歴の途次本尊の前立を寄進されたと伝えられる。 その後数百年を経て藩祖政宗公が猪狩りを催された時この滝壺の辺より金色の鳥が現はれ金の御幣に変わったことから 政宗公は鳥滝不動尊と称するように下令された。又地方人は地名中山を冠し中山鳥滝不動尊と称するに至った。(境内掲示「沿革」から引用)

 そもそもは神仏習合の形だったのでしょう。現在は宮司がこの社を管理しており、ほぼ神社のようです。平田稲荷神社の由緒等は不明です。


 境内に池があり、滝というほどでないものの水が流れています。


 奥の方に不動像と龍神像があります。現在の神社の周辺は商店や住宅が密集していますが、境内はまことに静謐な雰囲気です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM