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2024年12月7日土曜日

青葉神社

青葉神社(宮城県仙台市青葉区青葉町7-1)

 仙台藩祖伊達政宗を祀る青葉神社です。

 2011年の東日本大震災で鳥居が全壊し、この鳥居は2014年に再建されたものです。

 新しい鳥居の脇に全壊した鳥居の残骸が置かれています。放置しているのではなく、あえてこうしているものと考えられます。


 長い参道を進むと、広々とした境内にたどり着きます。神社特有の張りつめた空気が気持ちよく感じられます。


 こちらは拝殿です。

主祭神 武振彦命(たけふるひこのみこと・伊達政宗)

通町にあり、明治六年(1873)十月十四日、北二番丁住醫小泉長善その他有志の連名を以て藩祖伊達政宗の靈を崇める爲に神社を建てゝ奉祀せんことを官に願い出て、同七年(1874)一月九日許可を得、同年二月九日神號を武振彦命、社號を靑葉神社と賜い、同六月二十五日縣社び列せられたが、これより先、社地として北山東昌寺境内を卜し、二千二百三十餘坪の拂下を出願し、明治七年(1874)四月十七日許可を得たので、同五月三日地鎭祭を執行、十一月十一日本殿・拝殿・社務所・神樂殿等の竣工を見、同十五日靈屋を一本杉伊達家から新社殿に遷し、十六日鎭座祭を奉仕した。(「仙臺市史」昭和28年版から引用)

 本殿を取り囲む透塀(すきべい)と中門です。透塀は本殿を世俗から分離する役を担っています。中門の奥に見えるのが本殿です。

 政宗の正室であった愛姫(めごひめ)を祀った愛姫社の鞘堂です。愛姫社の本殿は青葉神社の本殿に移されており、今は鞘堂だけが残っています。


 伊達家の家臣たちを祀った祖霊社です。

 青葉神社は明治になって建立されたのでそれほど歴史があるわけではありませんが、藩祖を祀っているだけあり威厳があります。神社の6つの建造物が国の登録有形文化財に指定されています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年11月16日土曜日

中山鳥瀧神社・平田稲荷神社

中山鳥瀧神社・平田稲荷神社(宮城県仙台市青葉区中山6丁目19-18)


 急坂の多い青葉区中山地区の一画に鎮座しています。


 参道で神社を護っているのは狛犬ではなく、狛「鳥」と狛「龍」です。


 向かって左側が中山鳥瀧不動尊です。中央の社殿には中山鳥瀧神社、平田稲荷神社、龍神水神の祭神が並んで祀られています。


当山は凡そ千二百年前,天平の初期淳仁天皇の御代中山仙人が在住した頃から不動尊があった。 後年に至り慈覚大師が諸国遍歴の途次本尊の前立を寄進されたと伝えられる。 その後数百年を経て藩祖政宗公が猪狩りを催された時この滝壺の辺より金色の鳥が現はれ金の御幣に変わったことから 政宗公は鳥滝不動尊と称するように下令された。又地方人は地名中山を冠し中山鳥滝不動尊と称するに至った。(境内掲示「沿革」から引用)

 そもそもは神仏習合の形だったのでしょう。現在は宮司がこの社を管理しており、ほぼ神社のようです。平田稲荷神社の由緒等は不明です。


 境内に池があり、滝というほどでないものの水が流れています。


 奥の方に不動像と龍神像があります。現在の神社の周辺は商店や住宅が密集していますが、境内はまことに静謐な雰囲気です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

荒巻神明社

荒巻神明社(宮城県仙台市青葉区荒巻神明町25-17)


 この社が現在の地名の由来となったと考えられる青葉区荒巻神明町の住宅地に鎮座しています。



祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)

創建は伊達政宗入城以前の国分氏が荒巻を統治下にあった頃波及した伊勢信仰を受け入れた村民が勧請し祀ったと推定される 以後元禄十四年(一七〇一) 社殿改修文化四年(一八〇七)以降数次にわたる屋根改修が行われました 年貢夫役免除嘆願書を出すなど苦しい時期を奮起し乗り越えて来た村民により現在の姿に近い形になりました(境内掲示「荒巻神明社」から引用)


 なお、現在青葉区の西公園に鎮座している櫻岡大神宮の由緒として次のような記載があります。「古く宮城郡荒巻村に鎮座し、神明宮と稱えた。仙臺藩祖伊達政宗厚くこれを祀る。元和七年(一六二一)、伊勢兩宮の御分霊を勸請し、宮を同村内の勝地に遷し、其の地を伊勢堂山と號し、神明宮と稱へた。」(「仙臺市史」昭和28年版から引用)

 すなわち、当社は櫻岡大神宮の元宮であり、伊達政宗が元和7年(1621)に当地から伊勢堂山(現青葉区の伊勢神明社)に遷座して、更に櫻岡に遷座したということですね。歴史ある神社という感じがします。


 こちらは本殿です。


 社殿近くに雷神碑があります。


 文政元年(1818)の文字が刻まれている石塔です。由緒説明にある社殿改修(1807)とほぼ同時期に立てられたものと思われます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年10月11日金曜日

紫稲荷大明神

紫稲荷大明神(宮城県仙台市青葉区立町4-24)


 青葉区立町の道路に面して鎮座しています。


 稲荷社ですが龍神も祀っているようです。


青山院=紫明神 本材木町にあり。京都宇治醍醐三寳院の末寺で、十一面観世音菩薩を本尊とする。建立並に開山僧名由緒共不詳。往古本柳町にあつた村堺明神を此処に移して併祀したものであるとの説があり、本材木町並に本櫓町住民の氏神として、又火防の明神としての信仰をあつめている。元修験であつたが、明治五年(1872)青山快眞なるものヽ代に真言宗に帰入し、青山の後は齋藤智山が奉仕していたが、今は無住で、町内の管理となつている。(「仙臺市史」昭和28年版から引用)

 今は寺院の面影はまったくありません。併祀されたという説のある村堺明神だけが存続していると考えられます。

 本材木町は現在の立町、本櫓丁は国分町ニ丁目あたりで、昔から割烹・料理屋・待合・芸者置屋等が並ぶ地域です。毎年7月に行われる神社の例祭は藩政以来の伝統行事で、現在もニューハーフショーなどで盛り上がるそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

仙臺大神宮

仙臺大神宮(宮城県仙台市青葉区片平1丁目3-6)

 青葉区片平のビルやマンションが立ち並ぶ区域に鎮座しています。

 ここは伊達騒動で功労のあった家老茂庭周防邸の跡地だそうです。仙台藩の伊達騒動を描いた山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」は私も読み感動しました。しかしながら、茂庭周防がどんな功績を残したかは覚えていません。情けないです。

 拝殿です。

主祭神 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

明治4年(1871)、伊勢に神宮教院が開設され、神宮の御神徳の発揚惟神の大道の宣布の運動が行われ全国を三十一教区に区分し、枢要の地に本部を配置した。その第4教区宮城本部設営に当たり(略)片平丁の現在地に御遷座、神宮教奥羽教会所を設立したのに始まる。(略)昭和21年(1946)終戦を迎え米国占領軍の所神道指令に依り宮城本部の解散と名称の変更を余儀なくされ同年4月16日宗教法人令に基づき宗教法人仙台大神宮を設立し(略)現在に至。(宮城県神社庁HPから引用)


 本殿です。拝殿に向かってすぐ左側にあり、本殿に直接参拝できるようになっているのが珍しいですね。



 こちらは宮城県で初めて神前結婚式を執り行った社なのだそうです。手水舎などがきれいに飾られているのが印象的です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年9月29日日曜日

磐上神社・雨宮神社

磐上(いわがみ)神社・雨宮(あまみや)神社(宮城県仙台市青葉区堤通雨宮町1-1)

 

 青葉区堤通雨宮町の仙台厚生病院に隣接した一画に鎮座しています。


主祭神 表筒男神(うわつつのおのみこと)、中筒男神(なかつつのおのみこと)、底筒男神(そこつつのおのみこと)

元支倉通に鎮座した一小祠で、住吉大明神と稱したが、明治維新の際現社號に改稱した。同三十五年(1902)八月(略)堤通十三番地に移轉の事を願い出て、同年九月許可を得て移轉した。同社地は、元堤通梅田川の畔に伊達家の鉄砲組の稽古場があり、その境内に雨宮神社なる一小祠があったが、荒廃に歸していたのを、(略)社殿を建築し、町内の鎮守となさん意向であったが、縣の許可を得ることが出來ず、そのまヽになっていた所へ、磐上神社を移して町内の鎮守とするに至つたものであるという。(「仙臺市史(昭和28年版)から引用)


 社殿は一つですが、扁額には二つの神社名が併記されています。由緒を見ると、雨宮神社を残すために磐上神社に協力してもらったようにも受け取れますが、どうなんでしょうね。

 なお、雨宮神社には、「源義経が此地を過ぎて神を祀り、これを雨宮神社と称した」という伝説もあるそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年9月24日火曜日

八雲神社(柏木)

八雲神社(宮城県仙台市青葉区柏木3丁目5-16)

 青葉区の北八番丁沿いに鎮座しています。


主祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)

慶長中(1596-1615)、仙臺の町區を定められた時、此處に居住することとなつた人々が協力して勧請した神社で、維新前は満勝寺の管掌であつたが、後庄司進(祠掌)、三浦新四郎(社掌)、庄司一(同)等が奉仕して今日に及んでいる。(「仙臺市史」(昭和28年版)から引用)

 明治維新前まで別当であった満勝寺は神社の北隣りに現存しています。

 木村孝文「青葉の散歩手帖」によれば、当社は悪病除けの神として信仰されているとのことです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年8月7日水曜日

亀岡八幡宮

亀岡八幡宮(宮城県仙台市青葉区川内亀岡町62)

 石造りの鳥居をくぐると、

社殿に達するまでの長い石段の始まりです。


 石段は365段あるそうです。下からすべての石段が一度に見えるのではなく、数十段の石段を登りきった後に、次の石段が見え始めます。

 けっこうな段数を上ったところに、更に石段が続いていることを発見した時の絶望感は半端ではありませんでした。


 ともあれ、「やまない雨はない」の例えのごとく、いつかは石段も終わり、社殿が見えてきます。


 手水舎では、この社を勧請したときに出現したという霊亀を模した亀の像が参拝者を出迎えます。



 拝殿です。

主祭神 応神天皇、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)

亀岡八幡宮の縁起は、文治年間(1185-90)伊達朝宗が福島県伊達郡梁川に鶴岡八幡宮を勧請して建立したのにはじまる。その後伊達氏が仙台藩主になるにおよび、慶長七年(1602)、社人山田清重・重之兄弟は、神体を戴いて仙台に入り、範に庇護をもとめた。藩では寛永十七年(1640)、同じ町に仮社殿を建てて奉祀した。その後、天和三年(1683)、仙台藩主伊達綱村(四代)は「青葉が崎の岫(そま)つづき」の現在の地点に壮麗な社殿を造営し、八月遷宮式を挙行した。(境内掲示、縁起説明板から引用)


 こちが本殿です。

 亀岡八幡宮の社殿は、昭和20年(1945)の仙台空襲ですべて焼失したため、昭和40年(1965)に新たに竣工したとのことです。


 境内社の高良玉垂(こうらたまたれ)神社です。祭神の高良玉垂命は、朝廷から正一位を授かっているものの、記紀には登場せず、正体が何であるか判らない「隠された神」なのだそうです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM