穴蔵神社(宮城県仙台市青葉区霊屋下21-16)
仙台藩主伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿の入口近くに鎮座しています。
手前が素通しの拝殿。
奥に本殿があります。
主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
穴蔵神社(宮城県仙台市青葉区霊屋下21-16)
仙台藩主伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿の入口近くに鎮座しています。
手前が素通しの拝殿。
奥に本殿があります。
主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
青葉神社(宮城県仙台市青葉区青葉町7-1)
仙台藩祖伊達政宗を祀る青葉神社です。
2011年の東日本大震災で鳥居が全壊し、この鳥居は2014年に再建されたものです。
新しい鳥居の脇に全壊した鳥居の残骸が置かれています。放置しているのではなく、あえてこうしているものと考えられます。
長い参道を進むと、広々とした境内にたどり着きます。神社特有の張りつめた空気が気持ちよく感じられます。
こちらは拝殿です。
主祭神 武振彦命(たけふるひこのみこと・伊達政宗)
通町にあり、明治六年(1873)十月十四日、北二番丁住醫小泉長善その他有志の連名を以て藩祖伊達政宗の靈を崇める爲に神社を建てゝ奉祀せんことを官に願い出て、同七年(1874)一月九日許可を得、同年二月九日神號を武振彦命、社號を靑葉神社と賜い、同六月二十五日縣社び列せられたが、これより先、社地として北山東昌寺境内を卜し、二千二百三十餘坪の拂下を出願し、明治七年(1874)四月十七日許可を得たので、同五月三日地鎭祭を執行、十一月十一日本殿・拝殿・社務所・神樂殿等の竣工を見、同十五日靈屋を一本杉伊達家から新社殿に遷し、十六日鎭座祭を奉仕した。(「仙臺市史」昭和28年版から引用)
本殿を取り囲む透塀(すきべい)と中門です。透塀は本殿を世俗から分離する役を担っています。中門の奥に見えるのが本殿です。
政宗の正室であった愛姫(めごひめ)を祀った愛姫社の鞘堂です。愛姫社の本殿は青葉神社の本殿に移されており、今は鞘堂だけが残っています。
伊達家の家臣たちを祀った祖霊社です。
青葉神社は明治になって建立されたのでそれほど歴史があるわけではありませんが、藩祖を祀っているだけあり威厳があります。神社の6つの建造物が国の登録有形文化財に指定されています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
中山鳥瀧神社・平田稲荷神社(宮城県仙台市青葉区中山6丁目19-18)
荒巻神明社(宮城県仙台市青葉区荒巻神明町25-17)
紫稲荷大明神(宮城県仙台市青葉区立町4-24)
青葉区立町の道路に面して鎮座しています。
稲荷社ですが龍神も祀っているようです。
今は寺院の面影はまったくありません。併祀されたという説のある村堺明神だけが存続していると考えられます。
本材木町は現在の立町、本櫓丁は国分町ニ丁目あたりで、昔から割烹・料理屋・待合・芸者置屋等が並ぶ地域です。毎年7月に行われる神社の例祭は藩政以来の伝統行事で、現在もニューハーフショーなどで盛り上がるそうです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
仙臺大神宮(宮城県仙台市青葉区片平1丁目3-6)
青葉区片平のビルやマンションが立ち並ぶ区域に鎮座しています。
ここは伊達騒動で功労のあった家老茂庭周防邸の跡地だそうです。仙台藩の伊達騒動を描いた山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」は私も読み感動しました。しかしながら、茂庭周防がどんな功績を残したかは覚えていません。情けないです。
拝殿です。
主祭神 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
明治4年(1871)、伊勢に神宮教院が開設され、神宮の御神徳の発揚惟神の大道の宣布の運動が行われ全国を三十一教区に区分し、枢要の地に本部を配置した。その第4教区宮城本部設営に当たり(略)片平丁の現在地に御遷座、神宮教奥羽教会所を設立したのに始まる。(略)昭和21年(1946)終戦を迎え米国占領軍の所神道指令に依り宮城本部の解散と名称の変更を余儀なくされ同年4月16日宗教法人令に基づき宗教法人仙台大神宮を設立し(略)現在に至。(宮城県神社庁HPから引用)
本殿です。拝殿に向かってすぐ左側にあり、本殿に直接参拝できるようになっているのが珍しいですね。
こちらは宮城県で初めて神前結婚式を執り行った社なのだそうです。手水舎などがきれいに飾られているのが印象的です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
磐上(いわがみ)神社・雨宮(あまみや)神社(宮城県仙台市青葉区堤通雨宮町1-1)
八雲神社(宮城県仙台市青葉区柏木3丁目5-16)
青葉区の北八番丁沿いに鎮座しています。
主祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)
慶長中(1596-1615)、仙臺の町區を定められた時、此處に居住することとなつた人々が協力して勧請した神社で、維新前は満勝寺の管掌であつたが、後庄司進(祠掌)、三浦新四郎(社掌)、庄司一(同)等が奉仕して今日に及んでいる。(「仙臺市史」(昭和28年版)から引用)
明治維新前まで別当であった満勝寺は神社の北隣りに現存しています。
木村孝文「青葉の散歩手帖」によれば、当社は悪病除けの神として信仰されているとのことです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM