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2025年4月8日火曜日

染殿神社

染殿(そめどの)神社(宮城県利府町赤沼字宮下21)

 県道仙台松島線(通称、利府街道)沿いの小高い丘に鎮座しています。


 石段を登って鳥居をくぐると板碑が並んだ平らな場所があり、さらに石段を登ると社殿が見えて来ます。


主祭神 大戸辺命(おおとべのみこと)、大苫辺命(おおとまべのみこと)、垂水之姫命(たれみずのひめのみこと)、染殿姫命(そめどのひめのみこと)

伝えるところによれば、文徳天皇(852年)の頃、時の摂政藤原良房の娘、故あり都をのがれて当地(利府町赤沼)に辿り着いた。年若く身重であり着ているものの荘厳さに田舎人は不審をいだくも親切な老夫婦の情けで宿をかり、出産した。この赤子は後の清和天皇の妹となる。やがて里人らは若い女性に協力をし、仮屋を作り、食物を運ぶ。里人らの深い愛情に女性は、里の婦を集めて裁縫・染物の技を伝授した。この女性が藤原良房の娘・文徳天皇の女御であった。染殿という名は藤原良房の屋敷の地名であるという。里人はその徳を慕って祀った。染殿神社は、いつ・誰が建てたかは不明である。(宮城県神社庁HPから引用)

 隣接する赤沼周辺から採れるイネ科の多年草「蓋草(かりやす)」は染料として昔から使われており、この神社の名を蓋草神社と記した江戸時代の文書もあるそうです。(利府町HP「染殿神社(そめどのじんじゃ)」参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2025年3月21日金曜日

伊豆佐比賣神社

伊豆佐比賣(いずさひめ)神社(宮城郡利府町飯土井字長者55)

 県道仙台松島線(通称、利府街道)利府飯土井長者前の交差点から北に約200mほどの小高い丘に鎮座しています。


主祭神 講昨比賣命(こうさくひめのみこと)

創祀年月不明、文徳天皇仁寿2年(852、平安)8月辛丑、陸奥国、伊豆佐咩神に正五位を加え奉ったことが、「文徳実録」に見え、当国登奈孝志神、志賀理和気神と同時進階であり、これは風雨の止まんと請い給うたのによる。延喜の制小社に班す。(略)明治維新当時、神域は陣営となり、建物等は破壊され、しばらくの間、祭典を欠くに至った。明治9年(1876)村社に列し、大正5年(1916)12月、神谷沢、菅谷、沢乙の三熊野神社を合祀して、春秋両時の祭典を行い、氏子等が専ら維持経営に励み、大正9年(1920)に神殿及拝殿を新築し現在に至っている。(宮城県神社庁HPから引用)

 主祭神は米作地帯の水の灌漑を第一に司る女性の神です。

 一時期鹽竈神社の摂社とされたことがあったようですが、現在の鹽竈神社のHPには境内外摂社としているものに当神社の名前はありません。今は鹽竈神社とは独立しているようです。

 境内社の飯土井(いいどい)稲荷明神です。

 こちらの境内社は、左から諏訪神社、山神社、愛宕神社です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

熊野神社(利府神谷沢)

熊野神社(宮城県利府町神谷沢字金沢55)

 仙台市と利府町の境近く、県道仙台松島選(通称、利府街道)から西に150mほど入ったところに鎮座しています。

 急な石段を登った先に社殿があります。この周辺の山は切り崩されて住宅地が造成されており、神社の周りだけが小高い丘になっています。


主祭神 熊野加夫呂岐神(くまのかぶろぎのかみ)

勧請年代詳かならず。安永風土記によれば宝永7年(1710)の再建、陰暦九月九日祭典と記す。もとは、本山派修験の自性坊が管理していた。大正5年(1916)利府村、伊豆佐売神社に合祀した。昭和23年(1948)現在の地に十坪の社殿を建て遷祀した。(宮城県神社庁HPから引用)

 境内に掲示された利府町教育委員会の説明板によれば、境内に梵字で「ア」と彫られた鎌倉時代作成の板碑があるとのことですが、どれのことか判りませんでした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年10月2日水曜日

舟岡明神社

舟岡明神社(宮城県利府町加瀬船岡)


 利府町の加瀬沼公園の片隅に鎮座しています。



 由緒等まったく判りません。神社名も鳥居の扁額からそれと知れる限りです。


 周辺は運動場や駐車場になっており、神社のある一帯の木立だけが残されています。周りよりやや高いところに神社があることから、古墳なんですかねえと思いますが、勝手な想像です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM