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2024年12月11日水曜日

舞台八幡神社

舞台八幡神社(宮城県仙台市太白区長町4丁目2-12)

 太白区長町の住宅地に鎮座しています。


主祭神 仲哀天皇、応神天皇

後冷泉天皇の時代、天喜4年(1057年)8月陸奥の土豪安部頼時が乱を起こし、征討すべく陸奥守鎮守府将軍源頼義勅命をうけて奥州に出発の際、河内の国河内郡平岡八幡宮に祈り神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を比良平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮として尊崇した。(中略)明治27年(1892年)頃に長町字西浦の蛸薬師堂境内に再建されたが、往年の面影無く氏子有志等復興を願いし折りに昭和14年(1939)仙台市片平町実業家青山秀次郎氏が稲荷神社の社殿並びに石灯籠御手洗等を寄進下されたるにより、氏子総代他役員大いに力を得て有志諸氏のご寄進を仰ぎこの境内に本殿を奉遷し両神社を合祀し拝殿の御造営を成就し、現在に至っている。(宮城県神社庁HPから引用)

 こちらは本殿です。

 神社の名称である「舞台」は、この神社がそもそも祀られたところの地名「名取郡舞台」に由来しています。その場所は今の長町7丁目で、現在金岡八幡宮が鎮座しているところだそうです。

 同じ境内に併存している蛸薬師如来です。舞台八幡神社は明治27年(1892)年頃に薬師堂境内に再建されたと伝えられています。

 蛸薬師は、京都西洞院の蛸薬師如来から勧請したものですが、別伝では「長町に古くから開業している川熊商店の裏の池に蛸に吸い付かれた薬師様が流れ着いてそれを祀った」(公益財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワークHP参照)とのことです。

 昭和14年(1939)に舞台八幡神社と合祀されたとされる比良岐(ひいらぎ)大明神です。

 神社や薬師堂が同じ境内にあるので整理しますと、初めに比良岐大明神がここにあり、江戸時代に平岡村淵上から蛸薬師堂が移ってきて、そこに平岡村舞台にあった八幡神社が明治27年(1892)頃に再建されたということのようです。いろいろあって大変だったろうと想像します。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

金岡八幡宮

金岡八幡宮(宮城県仙台市太白区長町7丁目20)


 太白区長町の大型ショッピング・モール「ザ・モール仙台長町」の北側にある古墳の上に鎮座しています。



ここは以前、東北特殊鋼㈱の工場があった場所で、同社が昭和15年(1940)に金岡八幡宮を建立しました、特殊鋼の守護神として牧岡神社と岩清水八幡宮の御分霊を奉祀しています。金岡八幡宮の「金岡」は社名の「鋼」にちなんでつけられてと言われており、会社の記録には「当社の興隆を祈願し奉るとともに、氏子たちとともに、日本の幸多い将来を祈り奉ることにした」と記されています。(仙台市HP「杜の都・仙台 令和版 わがまち緑の名所100選」から引用)


 境内社の特殊鋼稲荷神社です。


 東北特殊鋼株式会社はザ・モール仙台長町がある一帯に1990年まで立地していました。その後、県南村田町の工業団地に移転し、現在も操業しています。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2024年11月26日火曜日

仙台赤十字病院小祠

仙台赤十字病院小祠(宮城県仙台市太白区八木山本町二丁目43-3)


 太白区八木山本町の仙台赤十字病院の入口近くに鎮座しています。

 
 この病院は1982年に市内中心部から市有地の山だった現在地を造成して移転してきました。移転開設当時の空撮写真に神社の存在が確認できます。病院が神頼みのために神社を作ったとは考えにくいので、病院ができる以前から神社がここにあったものと思われます。


 社殿に「伊勢神宮大麻奉斎之家」という表示があり、Googleマップには社殿の中に仙台大神宮から受けた神札がおさめられている写真が掲載されていることから、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っているものと想像されます。


 仙台赤十字病院のHPに、2023年6月6日に病院主催で式年祭を行ったという記事が載っています。現在は病院が神社を管理しているようです。

Canon PowerShot S120

2024年11月22日金曜日

伏見稲荷大明神(東洋館小社)

伏見稲荷大明神(東洋館小社)(宮城県仙台市太白区向山1丁目1-16)




 仙台市内に残る唯一の料亭「東洋館」の敷地内に鎮座しています。

 東洋館の女将のお話によると、この場所はもともとは曹洞宗経部山大蔵寺(だいそうじ)の敷地で、寺の境内に稲荷社が鎮座していたとのこと。

 大蔵寺は明治21年(1888)に廃寺となりましたが、東洋館の前身が明治40年(1907)にこの地で創業し、今日までこの神社はこの場所にあるとのことです。

 神仏習合で寺院を別当としていた神社が、廃寺後には料亭の商売繁盛の神様として祀られているものと思われます。

Canon PowerShot S120

2024年9月4日水曜日

橋姫明神

橋姫明神(宮城県仙台市太白区長町1丁目8)


 太白区長町の広瀬橋のたもと、川沿いの土手に連なる木立の中に鎮座しています。



 供養碑と小さな祠があります。

橋供養の石碑は、長町の伝説である橋姫を供養するために、現在の根岸町にあった木場に働く木場連の人々が、藩政時代の文政6年(1823)に建立したものと伝えられる。その後、広瀬橋のたもとでそば屋を営業していた南部家で石碑と橋姫祠を預かり、長い間祭祀を執り行ってきた。都市計画道路によって南部家も移転を余儀なくされ、昭和57年(1982)に南部家では仙台市に橋姫明神社と橋供養碑、及び永町橋の礎石を寄贈した。(境内設置、「橋姫明神由来」から引用)

 橋姫伝説とは、藩政時代に度重なる広瀬川の氾濫に苦しめられていた住民が、竜神の怒りを鎮めるため人柱を出すことになり、長者の娘が身を捧げたところ大水はたちどころに引いて、川に橋をかけることができた、というもの。人柱となった娘は橋姫として供養されています。(前掲、「橋姫明神由来」を参照)

 ただ、この伝説は、洪水の恐ろしさ、治水の困難さを強調するための創作だと思われます。


 祠のすぐ近くに、旧永町(ながまち)橋(現在の広瀬橋)の礎石が残されています。かつては長町をこう表記したんですね。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年8月9日金曜日

八木山神社

八木山神社(仙台市太白区八木山香澄町3)


 仙台市の大規模住宅団地である八木山団地に鎮座しています。

 コンビニの敷地の一角に神社があるように見えますが、神社の敷地の一部がコンビニになったというほうが本当でしょう。



祭神 大山祇(おおやまつみ)大神、木花咲耶(このはなさくや)大神、金山彦(かなやまひこ)大神、豊受比賣(とようけびめ)大神、倉稲魂(うかのみたま)大神、水波女(みずはのめ)大神

古くからこの地に居住していた人々の生命の泉として久しく汲み奉った沼沢(俗に清水沢と称し飲料水としてまた天然水も生じた―現の東北工業電子高校のグランド付近)の辺りに小祠があって当時の人々は水の神として尊崇していた。
終戦後当時の有志等が相諜って八木山文化都市建設協会(現の八木山翠町内会の前称)を組織設立し生活の向上発展の充実に力をそそぎ更に和楽の場として現地に鎮守の社を造営八木神社と称え奉り越路神社の御分霊と大峯神社(現の動物公園の前身八木山野球場内に祀ってあって市の管財であったのを譲り受けた)並びに前記の水神を合祀したものである。
時に昭和29年(1954)の仲秋であった。(境内掲示、八木山神社由来記から引用)


 社殿の扁額は八木山を形どったもののように見えます。


 境内社の八木山稲荷神社です。

 神社の前には「八木山神社前」というバス停があり、多くの乗降客が利用する停留所になっています。その意味で、ここに神社があるという住民の認知度が高い神社だといえると思います。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

鈎取八幡神社

鈎取(かぎとり)八幡神社(宮城県仙台市太白区鈎取1-10-35)



 太白区鈎取の昔からある住宅地の中に鎮座しています。



主祭神 応神天皇

八幡神社は、今を去る八六〇余年前の後冷泉天皇の治歴年間に陸奥守鎮守府将軍源頼義、奥州の乱の際霊験あらたな八幡神社を鈎取の里に社宇を勧請治歴乙巳年(1065)八月創立し爾来鈎取村の氏神様として崇敬して参り、その後明治五年(1872)四月村社に列せられました。(境内掲示、由緒説明板から引用)


 こちらが本殿です。

 私の実家がこの近くにあって、若い頃からこの社の前を車で何十回となく通っているのですが、ここに神社があることに最近までまったく気がつきませんでした。これほどの規模の神社であるにもかかわらずです。神社は興味のない者には見えない、ということがよく判ります。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年3月28日木曜日

八幡宮(山田)

八幡宮(宮城県仙台市太白区山田新田堀下南5)

 太白区富田から名取川に沿い国道286号に抜ける道路に面して鎮座しています。



 鳥居の左脇にある社に大きな石が祀られています。自然石のようであり加工されたもののようでもあり、謎めいた石です。



 本殿の脇に由来の説明板がありました。それによると、主祭神は天鹿児弓神(あめのかごゆみのかみ)。

 天鹿児弓は、記紀神話に登場する弓のこと。「天若日子(あめのわかひこ)に授けられたとされ、天津神を裏切って状況を見に来た鳴女(なきめ)を射ち殺した。その矢は高天原まで届き、投げ返された矢にあたり天若日子は死んでしまった」と云われています。

 一般的に八幡宮というと祭神は応神天皇ですが、こちらは弓が神として祀られているのですね。応神天皇は弓の神とも云われているので、この社も八幡を称したのでしょうか。


 由来掲示板によれば、弘化3年(1846)2月山田村大工万吉、兵左エ門、善四◯(判読不能)により建立、その後数度の再建、改繕をへて直近の再建は平成12年(2000)5月1日。

 隣の富田地区に八幡東、八幡中、八幡西という地名があります。少し離れているような気もしますが、その地区には八幡神社がないので、この社が地名のもととなっているのかもしれません。その割に、この神社の現状に放置感が漂っているのが残念です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

八坂神社(富田)

八坂神社(宮城県仙台市太白区富田字上野中4)

 
 境内の入り口に子ども用の遊具が置かれています。私が訪問した日も春休み中の子どもが遊んでいました。右側に見える白い建物は地域の集会所です。



 拝殿と本殿です。

主祭神 素盞鳴尊(すさのおのみと)

天文三年(1534、室町)この地方に疫病が流行し患者が多く発生したので、山城国愛宕郡の八坂の大神を同年六月勧請したと伝える。(社伝、口碑)明治五年(1872)四月村社列格(宮城県神社年鑑から引用)

 昭和28年(1953)発行の仙臺市史には「安永五年(1776)藩主伊達重村三寶一個及三組盃を寄進したが、天明三年(1783)以降破損滅失して現存していない」と記されています。



 末社と神輿堂です。

 村社に列せられた格式ある神社にもかかわらず、人々の生活に溶け込んでいるところだと感じました。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

富沢三丁目小社

富沢三丁目小社(宮城県仙台市太白区富沢3丁目20-54)


 太白区富沢の片側2車線の道路添いにある小さな公園の中に鎮座しています。大きな道路を造成した際にここに移されて来たのでしょうか。



 鳥居の扁額の文字がすっかり褪せていて、神社の名前も由緒も判りません。


 それでも、社殿の周りはきれいに清掃され、御神酒が供えられています。扁額の文字は消えても信仰はなくならないのですね。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM