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2026年4月24日金曜日

湯神社

湯神社(ゆがみしゃ)(宮城県仙台市太白区秋保町湯元薬師28)


 太白区秋保のホテル佐勘の敷地に鎮座しています。


代々秋保温泉の湯守を世襲してきたホテル佐勘の古文書によれば、 湯神社は秋保温泉の繁栄とお湯の安定湧出を祀る守護「神」にあたる由緒ある神社といわれている。安政2年(1855年)大地震によって、秋保温泉のお湯の湧出が止まってしまったとき、 湯守寿右エ門は、湧出を祈願して現在の鞘堂の中にある「堂宇」を建立し、 湯殿山に参詣するなど願をかけた。 すると不思議なことに、突如として湯が湧きはじめたといわれ、今でも秋保温泉守り神として大切に祀られている。(秋保・里センターHP「秋保の歴史 秋保の社寺」から引用)

 上記由緒説明の中で、鞘堂に建立したとされる堂宇です。安政年間当時のものではなく、いつかの時点で作り直されたものと思われます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

秋保神社

秋保神社(宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22)

 太白区秋保の秋保神社です。

 参道の奥に長床が見えます。この神社は近年「勝負の神」として知られるようになったためか、それを記したのぼり旗がいたるところに立っています。

 本殿と拝殿は増改築工事中とのことで仮設の神拝処が置かれていました。

 こちらは工事中の本殿と拝殿です。

主祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと)

秋保神社は古来旧秋保五ケ村の信仰の中心的存在で、"お諏訪さま”といって村民から親しみ敬われていた。ここには坂上田村磨創建と伝わる熊野神社が鎮座していた。一時廃絶したが建長三年(一二五一)再興され、その後、永正十年(一五一三)秋保盛房が信州から諏訪明神を勧請した。(略)明治四十二年(一九〇九)無格社合祀の勅令によって、各部落の鎮守を合祀して秋保神社と改称し村社に列された。合祀の神社は(湯元)湯神社、(境野)羽山神社·八幡神社、(長袋)諏訪神社·神明神社、(馬場)愛宕神社、(新川)亘理権現社·白山神社の八社である。(木村孝文「太白の散歩手帖」から引用)

 社殿の増改築工事は2016年11月末までを予定しているとのことです。

 こちらは境内社です、向かって左側から天神社、雷神社、稲荷神社、熊野神社です。

 仙台市の保存樹木に指定されているイチョウの大木です。秋になるとたくさんの実をつけ子どもを抱えているように見える姿から「子育て若乳銀杏」と呼ばれ信仰されているそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2026年3月12日木曜日

鹿野八幡神社

鹿野八幡神社(宮城県仙台市太白区鹿野本町17)

 太白区鹿野の人一人がやっと通れるような細く曲がりくねった道を上って神社のある広い場所にたどり着いたのですが、Googleマップが指示した最短の道を通ったためで、もっと広い道路が他にあるのかもしれません。



 仄聞によれば源義家の勧請と伝えられている。詳細の記録は不明であるが、相原家が現有する記録からみて元和年間(一六二〇年)に畑塒地内に鎮座し、この地一帯の守護神として地区住民の信仰を集めていた神社である。(略)
 当、鹿野八幡神社は、相原家が代々管理し、その運営は鹿野地区に古くから活動していた契約会の人達が当たっていた。(略)
 昭和三十八年(1963)七月、鹿野八幡神社を管理してきた相原家より本殿及び参道を含めて寄付の申し出をする。それ以来、鹿野全域の総代会によって管理運営され今日に至っている。
(境内掲示「鹿野八幡神社由来の概要」から引用)


 覆屋の中に祭神が祀られていると思われる祠が収められていました。



 境内に石碑がいくつか建っています。由来説明にあるとおり、総代会によって丁寧に管理されているようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

深山神社(土手内)

深山(しんざん)神社(宮城県仙台市太白区土手内1丁目3-14)


 太白区土手内の住宅街の集会所に隣接して鎮座しています。

 鳥居の外側を走る道路に面して馬頭観音など数基の石碑があります。


 太白区郡山に鎮座する諏訪神社に深山神社という境内社があり、社殿の前に掲示している由緒説明板に「祭神 大山祇神 明治四十五年(1912)五月二日砂押町より合祀する。木華開耶姫命の親神。山の神、恵みの神として金運や商売、そして酒造の神としても信仰される。」と記されています。

 この神社は諏訪神社に合祀された後も地域の守り神として信仰されているものと思われます。


 覆屋の中に石製の祠が確認できました。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2025年11月3日月曜日

越路神社

越路神社(宮城県仙台市太白区長町越路19-1)

 仙台市民なら知らない人はいないと思われる遊園地、「八木山ベニーランド」。かくいう私も子どもが小さい頃は何度も遊びに訪れたものです。

 ベニーランドの中に神社があります。今日(11月3日)は市主催の文化の日関連イベントがあるためベニーランドの入園料が無料になるとの情報を聞きつけ、行ってみました。

 神社は回転型ジェットコースターである「コークスクリュー」の奥に鎮座していました。たくさんの親子連れで賑わっている園内とは対象的に静かな雰囲気が漂っています。


ベニーランドには、開園以来からの神社があります。前はレストハウス側の奥にありました。1988年サイクロンができる時に、現在地のコークスクリューの奥に移っています。一昨年に鳥居と社殿を新しくし、こじんまりとしてはいますが、隠れ社のようななかなか立派な雰囲気がただよっています。通称ベニー神社ですが、正しくは越路神社。八木山の旧称越路山から名づけられ、園の守り神となっています。毎年元日に参拝し、3月1日オープンには1年間の安全祈願もしています。(2007.5.28付け「ベニ~ランドの園長ブログ」から引用)

 1996年にこの近くにあった越路山神社を合祀しています。(木村孝文「太白の散歩手帖」参照 )

 越路山神社は今日訪問した越路神社と混同されることがありますが、そもそもは別の神社で、八木山一帯を開拓した八木久兵衛が同山の守護神として勧請した祠であったとのこと(「仙臺市史」(昭和28年版)参照)。越路神社に合祀後は廃社となっています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM , iPhone16e

2025年10月23日木曜日

稲荷神社(柳生)

稲荷神社(宮城県仙台市太白区柳生7丁目22-9)

 太白区柳生7丁目の大きな銀杏の木の下に鎮座しています。

 鳥居と小さな祠のみの小社です。社の周りは白い鉄のフェンスで囲われています。扉に鍵はかけられていないため開けて入ることはできそうでしたが、立ち入り禁止的な雰囲気だったので柵の外から撮影しました。

 社殿にやや放置感が漂っています。神社名、由緒等不明ですが、複数の地図と神社紹介ブログに「稲荷神社」と記されています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

八幡神社(柳生)

八幡神社(宮城県仙台市太白区柳生7丁目21-3)

 太白区柳生の曹洞宗柳生寺に隣接して鎮座しています。

 祠が一つだけの小社です。Googleマップの写真画像には現在も赤い鳥居が写っていますが、今回確認したところ鳥居はありませんでした。

 由緒等まったく判りません。扁額も説明板もないため神社名も定かではないのですが、複数の地図や神社紹介ブログに「八幡神社」と紹介されているので従うことにします。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年9月24日水曜日

羽黒神社(山田上ノ台)

羽黒神社(宮城県仙台市太白区山田上ノ台町22-1)

 太白区山田の丘陵を切り崩して造成された団地の中に鎮座しています。この神社の周辺は開発の対象とされなかったのか、緑地として残っています。

 鳥居から社殿までは急な石段を上ります。


主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

羽黒神社の里宮は、本宮が旗立山(西森)の山頂近くにあり、冬期間の参拝が困難なため仮宮としてこの地に建立された。天保年間(1830~1844)以前と思われる。祭神は、宇迦之御魂神(又は倉稲魂命)で食べ物の神様と言われている。山形の出羽三山とも縁が深く、毎年正月には、山形の羽黒神社の宿坊の宮司が山田の氏子宅を廻り、家内安全と豊作祈願の祝詞をあげていた。山田の氏子たちも、毎年代表を出羽三山に送って祈願していた。(境内掲示「羽黒神社(里山)」から引用)

 本殿です。


 年季の入った狛犬がいい雰囲気を出しています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2025年8月17日日曜日

火防神社

火防神社(宮城県仙台市太白区鈎取本町1丁目17-20)


 太白区鈎取の「蕎麦処初代伝五郎」の敷地内に鎮座しています。



昔、この地に訪れた弘法大師(空海)が一杯の水を所望すると、村人は遠く離れた水場へ冷水を汲みに行き、大師に差し出しました。水に困窮していた村の事情を知った大師が指差した地面を掘ると、ほどなくなみなみと水が湧き出たと言います。大師が村に遺した「火防の書」は大切に守り伝えられ、およそ百年前、当家の主、佐藤傳五郎により敷地内の御堂にご神体として祀られました。毎年「火防講」の祭りも開かれ、参拝者に配られる御守は「火防の言い伝え」と共に、変わらぬ信仰を集めています。(境内掲示「火防神社」から引用)

 「蕎麦処初代伝五郎」の店舗は100年前に空海の「火防の書」を祀った佐藤傳五郎氏の住まいだった家屋を利用したもの。ただ、この店は15年ほど前にこの場所にできた山形蕎麦の店なので、店名に佐藤傳五郎氏の名を用いているものの、この神社の設立に直接の関わりはないと思われます。

 なお、佐藤傳五郎氏の子孫は、蕎麦処から10mほど離れた場所で茶道具「青峰堂」を経営しており、今も神社の管理をしているようです。(以上、前掲「火防神社」及び「蕎麦処初代伝五郎」内配置パンフレット参照)

PowerShot S120

2025年8月13日水曜日

伊豆権現社

伊豆権現社(宮城県仙台市太白区西中田1丁目20-5)

 JR東北線「南仙台」駅から徒歩5分ほどのマンションが立ち並ぶ場所の奥に鎮座しています。中田神社の東隣りです。


 伊豆野権現古墳という直径10メートルほどの古墳の上が境内になっています。

中田神社の東隣りに小さな円墳があり、伊豆野権現円墳とよばれる。墳丘上には伊豆野権現の小社がある。(略)中田神社の社地は古代、当地の豪族前田弾正左衛門敏の屋敷地で前田屋敷といわれる。平安時代の中期、豊前国宇佐郡の中津川城主中津川義氏が故あって奥州に配流の身となり、前田屋敷に住んだ。前田館主柿沼氏は中津川氏を手厚く遇した。伊豆野権現は寛和二年(九八六)中津川義氏が祀ったものという。義氏は配流三年にして赦されて帰国したという。(木村孝文「太白の散歩手帖」から引用)

 古墳の名称は伊豆野権現古墳ですが、鳥居の扁額に記された神社の名称は伊豆権現となっています。

 境内には三つの社があります。左の社の中には延命地蔵尊、真ん中には伊豆権現大菩薩の札が確認できます。

 右側が伊豆権現の社殿のようです。

 この神社は、鎌倉時代に源頼朝から奥州平定の恩賞としてこの地を与えられた人々が、出身地の神社である伊豆大権現(現在の静岡県、伊豆山神社)の分霊を勧請したという説もあります。判らないことが多い神社です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM