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2025年5月14日水曜日

春日神社(大野田)

春日神社(宮城県仙台市太白区大野田宮)


 太白区大野田の大野田宮公園の一画に鎮座しています。公園内の更地に鳥居と社殿をぽんと持ってきたようで、神社の境内という雰囲気はあまりありません。


 主祭神 天児屋命(あめのこやねのみこと)

古老の口碑より創建は永正二年(1505)中京より来られし藤原重保が春日大社を尊崇せられ勧請すと伝ふ 明治五年(1872)四月村社に列す 明治四十二年(1909)十一月一日多賀神社に合祀 旧社殿は西北約百五十米の地に有し仙台市の土地区画整理事業により現在地に移築す(境内掲示「春日神社由緒 平成17年5月吉日)から引用)

 神社を出て仙台市地下鉄南北線富沢駅に向かって歩いていたところ、仙台市が設置した「春日社古墳」という掲示板をみつけました。

 かつてこの道路上に古墳の墳丘があり、そこに春日神社が建っていたとのことです。

 富沢駅の東側には前方後円墳が1基と円墳が43基みつかっており、総称して「大野田古墳群」と呼ばれているそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

寶龍社

寶龍(ほうりゅう)社(宮城県仙台市太白区東大野田4-4)

 太白区東大野田の旧国道4号沿い、東大野田公会堂の敷地に鎮座しています。

 JR仙台駅から東北線白石方面行の電車に乗ると、太子堂駅を過ぎ名取川を渡る手前あたりで車窓から赤い鳥居が見えます。なので、以前から気になっていた神社でした。


祭神 高龗神(たかおかみのかみ)

 祭神は水の神です。神社の由緒は不明ですが、太白区西多賀の多賀神社の境内に掲示されている由来版に「明治四十二年(1909)十一月に大野田に鎮まり坐す春日神社(祭神 天児屋命)と寶龍社(祭神 高龗神)を合祀した」との記載があります。

 社殿の中を覗いてみたところ、直径2, 30cmほどの木製の玉が祀られていました。どういういわれがあるのでしょうね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月1日木曜日

諏訪神社(郡山)

諏訪神社(宮城県仙台市太白区郡山5丁目13-8)

 JR東北線太子堂駅から徒歩で10分ほどの住宅地に鎮座しています。

 この日は月初めの月次祭が行われる日で、大勢の参拝者が訪れていました。


主祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)

郡山字在家浦に鎮座する。勧請年間不詳。古老の伝に依れば天喜四年(一〇五六)源頼義の創建にかゝり、当初稲荷大明神と号し、文明中(一四六九-八六)粟野忠重の子国定祠堂を再建し、永禄年中(一五五八-六九)北目城主粟野國重更に堂宇を改造したという。境内に延慶三年(一三一〇)の古碑が現存する。明治維新後諏訪神社と改称し、同五年(1872)村社となり、明治四十五年(1912)には砂押鎮座村社深山神社(祭神大山祇命)を合祀する。大正十一年(1922)長町操車場の敷地として旧社地を買収されたので、同十三年(1924)現在の地に遷して今日に至る。(「仙臺市史」(昭和28年版)から引用)

 こちらは本殿です。

 境内社です。右から、稲荷神社、深山神社。八雲神社です。



 小牛田の山の神のほか、多数の板碑も祀られています。



 藤棚が美しいことで有名な神社ですが、満開には少し早かったようです。


 境内にはカフェもあり、ゆっくりと寛ぐことができます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年4月9日水曜日

愛宕神社(向山)

愛宕神社(宮城県仙台市太白区向山4-17-1)

 仙台市地下鉄南北線「愛宕橋駅」を下車し、広瀬川にかかる愛宕大橋を渡ると一の鳥居が見えてきます。



 200段以上ある長い石段を上り、三の鳥居までくぐってから、やっと随神門が現れます。


 拝殿です。

主祭神 軻遇土神(かぐつちのかみ)

当神社は古く羽州米澤に御鎮座になられ、天正19年(1591) 藩祖伊達氏十七世政宗公が、米澤より陸奥國玉造郡岩出山に移るに際して、社も岩出山 に御遷座、 慶長5年(1600) 千代城を青葉山に築城、 名を仙臺(台)と改められ、慶長8年(1603)政宗公入府に合わせ社も一時国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座を行い、同年仙台城や城下を一望できるこの愛宕山(以前天狗山とも称す)に御社殿を御造営になられ、御遷座申し上げ、誓願寺を別当寺とし、合わせて5貫720文を寄進されております。以降藩内の安全を祈願するなど、とくに火防の祭は城下挙げての盛大な祭りが行われたといわれます。(愛宕神社HP「愛宕神社について」から引用)

 本殿は木に囲まれ、屋根の一部がかろうじて見えています。

 仙台総鎮守を名乗るにふさわしく、展望台からは仙台の中心部が一望できます。

 境内社もたくさん鎮座しています。こちらは愛宕天満宮

 正一位稲荷大明神

 勝鬨(かちとき)神社


 そして、産宝(むすひ)神社です。




 境内には桜が咲き誇っていましたが、曇り空のため写真映えはイマイチでした。この時季は晴れでも空が白っぽい日が多く、満開の桜に雲ひとつない青空にはなかなかお目にかかれません。残念です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年12月11日水曜日

長町三丁目小社

長町三丁目小社(宮城県仙台市太白区長町3丁目4-10)

 仙台市地下鉄南北線の長町駅を出てすぐ、太白区文化センターの道路を挟んだ向かい側に鎮座しています。


 隣のお茶屋さんの裏にある駐車場を通って境内に入ります。社号、由緒等は不明ですが、境内や社殿はきれいに清掃されており、管理は行き届いています。

 鳥居の近くにあるのは桜の木です。春に満開になると、いい雰囲気になりそうです。

EOS R, EF35mm F1.4L USM,  EF17-40mm F4L USM 

舞台八幡神社

舞台八幡神社(宮城県仙台市太白区長町4丁目2-12)

 太白区長町の住宅地に鎮座しています。


主祭神 仲哀天皇、応神天皇

後冷泉天皇の時代、天喜4年(1057年)8月陸奥の土豪安部頼時が乱を起こし、征討すべく陸奥守鎮守府将軍源頼義勅命をうけて奥州に出発の際、河内の国河内郡平岡八幡宮に祈り神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を比良平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮として尊崇した。(中略)明治27年(1892年)頃に長町字西浦の蛸薬師堂境内に再建されたが、往年の面影無く氏子有志等復興を願いし折りに昭和14年(1939)仙台市片平町実業家青山秀次郎氏が稲荷神社の社殿並びに石灯籠御手洗等を寄進下されたるにより、氏子総代他役員大いに力を得て有志諸氏のご寄進を仰ぎこの境内に本殿を奉遷し両神社を合祀し拝殿の御造営を成就し、現在に至っている。(宮城県神社庁HPから引用)

 こちらは本殿です。

 神社の名称である「舞台」は、この神社がそもそも祀られたところの地名「名取郡舞台」に由来しています。その場所は今の長町7丁目で、現在金岡八幡宮が鎮座しているところだそうです。

 同じ境内に併存している蛸薬師如来です。舞台八幡神社は明治27年(1892)年頃に薬師堂境内に再建されたと伝えられています。

 蛸薬師は、京都西洞院の蛸薬師如来から勧請したものですが、別伝では「長町に古くから開業している川熊商店の裏の池に蛸に吸い付かれた薬師様が流れ着いてそれを祀った」(公益財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワークHP参照)とのことです。

 昭和14年(1939)に舞台八幡神社が合祀されたとされる比良岐(ひいらぎ)大明神です。

 神社や薬師堂が同じ境内にあり、込み入っているので整理しますと、初めに比良岐大明神がここにあり、江戸時代に平岡村淵上から蛸薬師堂が移ってきて、そこに平岡村舞台にあった八幡神社が明治27年(1892)頃に再建されたということのようです。いろいろあって大変だったろうと想像します。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

金岡八幡宮

金岡八幡宮(宮城県仙台市太白区長町7丁目20)


 太白区長町の大型ショッピング・モール「ザ・モール仙台長町」の北側にある古墳の上に鎮座しています。



ここは以前、東北特殊鋼㈱の工場があった場所で、同社が昭和15年(1940)に金岡八幡宮を建立しました、特殊鋼の守護神として牧岡神社と岩清水八幡宮の御分霊を奉祀しています。金岡八幡宮の「金岡」は社名の「鋼」にちなんでつけられてと言われており、会社の記録には「当社の興隆を祈願し奉るとともに、氏子たちとともに、日本の幸多い将来を祈り奉ることにした」と記されています。(仙台市HP「杜の都・仙台 令和版 わがまち緑の名所100選」から引用)


 境内社の特殊鋼稲荷神社です。


 東北特殊鋼株式会社はザ・モール仙台長町がある一帯に1990年まで立地していました。その後、県南村田町の工業団地に移転し、現在も操業しています。

EOS R, EF35mm F1.4L USM