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2025年8月17日日曜日

火防神社

火防神社(宮城県仙台市太白区鈎取本町1丁目17-20)


 太白区鈎取の「蕎麦処初代伝五郎」に隣接して鎮座しています。



昔、この地に訪れた弘法大師(空海)が一杯の水を所望すると、村人は遠く離れた水場へ冷水を汲みに行き、大師に差し出しました。水に困窮していた村の事情を知った大師が指差した地面を掘ると、ほどなくなみなみと水が湧き出たと言います。大師が村に遺した「火防の書」は大切に守り伝えられ、およそ百年前、当家の主、佐藤傳五郎により敷地内の御堂にご神体として祀られました。毎年「火防講」の祭りも開かれ、参拝者に配られる御守は「火防の言い伝え」と共に、変わらぬ信仰を集めています。(境内掲示「火防神社」から引用)

 「蕎麦処初代伝五郎」の店舗は100年前に空海の「火防の書」を祀った佐藤傳五郎氏の住まいだった家屋を利用したもの。ただ、この店は15年ほど前にこの場所にできた山形蕎麦の店なので、店名に佐藤傳五郎氏の名を用いているものの、この神社の設立に直接の関わりはないと思われます。

 なお、佐藤傳五郎氏の子孫は、蕎麦処から10mほど離れた場所で茶道具「青峰堂」を経営しており、今も神社の管理をしているようです。(以上、前掲「火防神社」及び「蕎麦処初代伝五郎」内配置パンフレット参照)

PowerShot S120

2025年8月13日水曜日

伊豆権現社

伊豆権現社(宮城県仙台市太白区西中田1丁目20-5)

 JR東北線「南仙台」駅から徒歩5分ほどのマンションが立ち並ぶ場所の奥に鎮座しています。中田神社の東隣りです。


 伊豆野権現古墳という直径10メートルほどの古墳の上が境内になっています。

中田神社の東隣りに小さな円墳があり、伊豆野権現円墳とよばれる。墳丘上には伊豆野権現の小社がある。(略)中田神社の社地は古代、当地の豪族前田弾正左衛門敏の屋敷地で前田屋敷といわれる。平安時代の中期、豊前国宇佐郡の中津川城主中津川義氏が故あって奥州に配流の身となり、前田屋敷に住んだ。前田館主柿沼氏は中津川氏を手厚く遇した。伊豆野権現は寛和二年(九八六)中津川義氏が祀ったものという。義氏は配流三年にして赦されて帰国したという。(木村孝文「太白の散歩手帖」から引用)

 古墳の名称は伊豆野権現古墳ですが、鳥居の扁額に記された神社の名称は伊豆権現となっています。

 境内には三つの社があります。左の社の中には延命地蔵尊、真ん中には伊豆権現大菩薩の札が確認できます。

 右側が伊豆権現の社殿のようです。

 この神社は、鎌倉時代に源頼朝から奥州平定の恩賞としてこの地を与えられた人々が、出身地の神社である伊豆大権現(現在の静岡県、伊豆山神社)の分霊を勧請したという説もあります。判らないことが多い神社です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年8月8日金曜日

熊野神社(柳生)

熊野神社(宮城県仙台市太白区柳生7丁目4)

 太白区柳生のホームセンター「ダイシン柳生店」の敷地内に鎮座しています。


 扁額も神社の説明板もありませんが、奈良文化財研究所の全国文化財総覧に、当住所地の柳生熊野神社に中世期の板碑があると記載されているので、当社が熊野神社であることは確かなようです。

 社殿の脇にある石碑の左側がその板碑でしょうか。年号不明で梵字のアが刻まれているとのことです。(仙台市教育委員会「仙台市文化財調査報告書第224集」参照)

 右側の大きい石碑に刻まれている像は有名な阿修羅像に雰囲気が似ています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月14日水曜日

春日神社(大野田)

春日神社(宮城県仙台市太白区大野田宮)


 太白区大野田の大野田宮公園の一画に鎮座しています。公園内の更地に鳥居と社殿をぽんと持ってきたようで、神社の境内という雰囲気はあまりありません。


 主祭神 天児屋命(あめのこやねのみこと)

古老の口碑より創建は永正二年(1505)中京より来られし藤原重保が春日大社を尊崇せられ勧請すと伝ふ 明治五年(1872)四月村社に列す 明治四十二年(1909)十一月一日多賀神社に合祀 旧社殿は西北約百五十米の地に有し仙台市の土地区画整理事業により現在地に移築す(境内掲示「春日神社由緒 平成17年5月吉日)から引用)

 神社を出て仙台市地下鉄南北線富沢駅に向かって歩いていたところ、仙台市が設置した「春日社古墳」という掲示板をみつけました。

 かつてこの道路上に古墳の墳丘があり、そこに春日神社が建っていたとのことです。

 富沢駅の東側には前方後円墳が1基と円墳が43基みつかっており、総称して「大野田古墳群」と呼ばれているそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

寶龍社

寶龍(ほうりゅう)社(宮城県仙台市太白区東大野田4-4)

 太白区東大野田の旧国道4号沿い、東大野田公会堂の敷地に鎮座しています。

 JR仙台駅から東北線白石方面行の電車に乗ると、太子堂駅を過ぎ名取川を渡る手前あたりで車窓から赤い鳥居が見えます。なので、以前から気になっていた神社でした。


祭神 高龗神(たかおかみのかみ)

 祭神は水の神です。神社の由緒は不明ですが、太白区西多賀の多賀神社の境内に掲示されている由来版に「明治四十二年(1909)十一月に大野田に鎮まり坐す春日神社(祭神 天児屋命)と寶龍社(祭神 高龗神)を合祀した」との記載があります。

 社殿の中を覗いてみたところ、直径2, 30cmほどの木製の玉が祀られていました。どういういわれがあるのでしょうね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月1日木曜日

諏訪神社(郡山)

諏訪神社(宮城県仙台市太白区郡山5丁目13-8)

 JR東北線太子堂駅から徒歩で10分ほどの住宅地に鎮座しています。

 この日は月初めの月次祭が行われる日で、大勢の参拝者が訪れていました。


主祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)

郡山字在家浦に鎮座する。勧請年間不詳。古老の伝に依れば天喜四年(一〇五六)源頼義の創建にかゝり、当初稲荷大明神と号し、文明中(一四六九-八六)粟野忠重の子国定祠堂を再建し、永禄年中(一五五八-六九)北目城主粟野國重更に堂宇を改造したという。境内に延慶三年(一三一〇)の古碑が現存する。明治維新後諏訪神社と改称し、同五年(1872)村社となり、明治四十五年(1912)には砂押鎮座村社深山神社(祭神大山祇命)を合祀する。大正十一年(1922)長町操車場の敷地として旧社地を買収されたので、同十三年(1924)現在の地に遷して今日に至る。(「仙臺市史」(昭和28年版)から引用)

 こちらは本殿です。

 境内社です。右から、稲荷神社、深山神社。八雲神社です。



 小牛田の山の神のほか、多数の板碑も祀られています。



 藤棚が美しいことで有名な神社ですが、満開には少し早かったようです。


 境内にはカフェもあり、ゆっくりと寛ぐことができます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年4月9日水曜日

愛宕神社(向山)

愛宕神社(宮城県仙台市太白区向山4-17-1)

 仙台市地下鉄南北線「愛宕橋駅」を下車し、広瀬川にかかる愛宕大橋を渡ると一の鳥居が見えてきます。



 200段以上ある長い石段を上り、三の鳥居までくぐってから、やっと随神門が現れます。


 拝殿です。

主祭神 軻遇土神(かぐつちのかみ)

当神社は古く羽州米澤に御鎮座になられ、天正19年(1591) 藩祖伊達氏十七世政宗公が、米澤より陸奥國玉造郡岩出山に移るに際して、社も岩出山 に御遷座、 慶長5年(1600) 千代城を青葉山に築城、 名を仙臺(台)と改められ、慶長8年(1603)政宗公入府に合わせ社も一時国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座を行い、同年仙台城や城下を一望できるこの愛宕山(以前天狗山とも称す)に御社殿を御造営になられ、御遷座申し上げ、誓願寺を別当寺とし、合わせて5貫720文を寄進されております。以降藩内の安全を祈願するなど、とくに火防の祭は城下挙げての盛大な祭りが行われたといわれます。(愛宕神社HP「愛宕神社について」から引用)

 本殿は木に囲まれ、屋根の一部がかろうじて見えています。

 仙台総鎮守を名乗るにふさわしく、展望台からは仙台の中心部が一望できます。

 境内社もたくさん鎮座しています。こちらは愛宕天満宮

 正一位稲荷大明神

 勝鬨(かちとき)神社


 そして、産宝(むすひ)神社です。




 境内には桜が咲き誇っていましたが、曇り空のため写真映えはイマイチでした。この時季は晴れでも空が白っぽい日が多く、満開の桜に雲ひとつない青空にはなかなかお目にかかれません。残念です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM