高砂神社(宮城県仙台市宮城野区蒲生字町86-1)
2025年9月7日日曜日
高砂神社
大和神社
大和(やまと)神社(宮城県仙台市宮城野区蒲生5丁目5-11)
製造業や流通業の事業所が集中して立地する仙台港背後地の南端、七北田川沿い近くに鎮座しています。
蒲生地区は東日本大震災の際に4mを超える津波が襲った場所です。当社も津波に見舞われましたが、社殿等の流出は免れたとのこと。2015年から当地区で仙台市の土地区画整理事業が始まり、神社は2018年12月に現在地に遷座されています。(仙台市「蒲生復興のあゆみ」参照)
徳川延宝年代(一六六一)蒲生領主和田織部房長は舟入堀の工事完成を期に,多賀城紅葉山の館より、家従三十人と共に当地に移住してきた。 館内に氏神として京都伏見稲荷神社の分霊を勧請し祀った社である。和田氏は大和(奈良県)の出身なので大和神社と称した。明治になり和田新田地域の鎮守の神として寄進され今日に至る。(境内掲示「大和神社由緒」から引用)
社殿の隣に「智證院殿和田織部為泰之碑」があります。
和田氏11代織部為泰は「仙台藩最后の国老として、藩内の戊辰の役の戦後処理に当たった後、密告されて切腹した」(前掲「大和神社由緒」参照)とのこと。密告したのは明治政府側だそうです。当時の権力闘争の犠牲者と言えるでしょうか。為泰はその時38歳。酷いですねえ。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
荻袋八幡神社
荻袋八幡神社(宮城県仙台市宮城野区蒲生荻袋39)
宮城野区蒲生の住宅に挟まれた小さな土地に鎮座しています。
狭い境内に覆屋と地蔵堂と神社に直接は関係ないと思われる水道記念碑がコンパクトに配置されています。
覆屋の中には荻袋八幡神社と刻まれた石碑(右側)と大日尊供養と刻まれた石碑(左側)があります。記名年などは読み取れませんでした。
この神社について、これ以上の詳細は不明です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
岡田北在家小祠
岡田北在家小祠(宮城県仙台市宮城野区岡田北在家21-3)
車で仙台湾にある神社を訪問する途中に偶然発見した小祠です。理髪店の店先に鎮座しています。
狐像が祀られているので稲荷社でしょうか。賽銭箱が置かれていないところから、地域の鎮守というよりこの家の屋敷神なのかと察せられます。詳細は不明です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
2025年5月13日火曜日
熊野神社(鶴巻)
熊野神社(宮城県仙台市宮城野区鶴巻1-9-6)
宮城野区鶴巻の住宅地に鎮座しています。
主祭神 早玉男神(はやたまのおのみこと)、事解男神(ことさかのおのかみ)、伊邪奈美神(いざなみのかみ)
勧請年月詳ならず。寛政2年(1790)再建す。旧称熊野大権現。明治2年(1869)熊野神社と改称す。(宮城県神社庁HPから引用)
境内に多数の古い板碑があります。向かって右から2つめの湯殿山碑は文政10年(1827)、その左隣りの雷神碑には文久元年(1861)の紀年が刻まれています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
伊達明神
伊達明神(宮城県仙台市宮城野区福田町4丁目13-27)
宮城野区福田町の住宅地に鎮座しています。
藩政時代に伊達藩主の御狩場であったが、藩主は一民家に立ち寄り休憩することを常とし、御下賜品等もあったと言う。この家の主はこれに感激し、屋敷内に祠を建て伊達明神として尊敬し、これが今日まで続いていると伝えられる。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く」から引用)
覆屋の中の扁額には稲荷大明神と記されており、祠の中に狐像が祀られていることから、お稲荷さんでもあるようです。
社殿は大きな樹の切り株の上に置かれています。このこと自体には意味はないかもしれませんが。
覆屋の中に政宗公馬上甲冑御図が奉納されています。奉納年は平成16年(2004)となっているので、これは新しい絵ですね。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
2025年2月12日水曜日
石神神社
石神神社(宮城県仙台市宮城野区福室字田中91)
宮城野区福室の広大な水田地帯の片隅に小さな白い祠が鎮座しています。
祭神は不明であるが、正保元年(1644)の勧請と伝えられ、福室字弁当の遠藤幸一氏の氏神であったという。百日咳の神として信仰がある。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く」から引用)
東日本大震災の前までは木製の立派な社殿があったようで、ネット上にいくつか写真が残されています。その社殿は震災の津波で流された可能性があります。
祠の中には大きな石が納められています。石神神社の名のとおり、石を御神体として祀っているようです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
住吉神社(福室)
住吉神社(宮城県仙台市宮城野区福室平柳81)
宮城野区福室の住宅地に鎮座しています。地域の集会所が隣接しており、境内はちびっ子広場にもなっています。
賀茂皇大神社
賀茂皇大神社(宮城県仙台市宮城野区岡田字明神東1)
宮城野区岡田に鎮座しています。すぐ近くに高架式の仙台東部道路が通っています。
拝殿です。
主祭神 別雷神(わけいかづちのかみ)
人皇第五十五代文徳天皇の御代、今より千百六十余年前嘉祥年中(848~850)慈覚大師が上岡田に来臨賀茂大明神別雷神を勧請され、その数年前の承和年中(834~848)、仁明天皇の御代岡田の南東を流れていた冠川(現在の七北田川)沿いの中の島に草庵を結び居住していた雪峯行者が日夕礼拝祈念を罩められたという(境内掲示「賀茂皇大神社起縁」から引用)
こちらは本殿です。威厳のある佇まいです。
鳥居の脇に並ぶ石碑群です。
2025年2月2日日曜日
大山祇神社
大山祇神社(宮城県仙台市宮城野区新田4丁目3-18)
宮城野区新田の住宅地に鎮座しています。
主祭神 大山祇神
古来新田と小鶴邑との間に鎮座し、大日堂と称し、石体の神体を蔵し、その表面は大日の梵字と元弘三年(一三三三)七月廿ニ日と刻されている。天明四年(一七八四)九月これを現在の地に遷し、寛政四年(一七九二)堂宇建立、同八年二月竣工を告げ、明治初年に至って祭神大山祇命なることが判明したので、社号を大山祇神社と改称した。(「仙台市史」(昭和28年版)から引用)
現地に行ってみて、社殿がいかにも仏教風で、ここはもともと大日如来を祀る寺院だったのがよく判りました。仙台市史の由緒説明から推測するに、明治初めに廃仏毀釈を免れるために神社に転換したということでしょうか。
社殿正面には神社名と並んで大日堂と記載された扁額があります。
境内には多数の石碑が配置されています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
2025年1月7日火曜日
志賀神社
志賀神社(宮城県仙台市宮城野区鶴ケ谷4丁目15)
宮城野区の鶴ケ谷中央公園の北側、長い坂道を登りきったところに神社があります。
この神社は、由緒等は不詳であるが、昔から鶴ケ谷地域の守り神で、観応二年(1351)の岩切城合戦で敗れた畠山氏親子に関係があると言われる。明治元年(1968)、岩切の八坂神社に合祀されたが、昭和五十四年(1979)に再建されている。旧社格は鶴ケ谷村の村社である。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く」から引用)
1979年という比較的新しい時期に再建されたわりに、祭神や由緒が不詳なのは不思議な感じがします。あるいは再建した氏子さんたちには自明なのでしょうか。
境内にある2つの祠。右側には大日如来坐像が収められ、左側の石碑には子安観音が彫られています。
本殿の脇にそびえるイチイの木です。樹齢600年で、仙台市の保存樹木に指定されています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM