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2024年10月13日日曜日

愛宕神社(田子)

愛宕神社(宮城県仙台市宮城野区田子五平淵34-11)

 宮城野区田子の七北田川沿いに鎮座する小祠です。

 この地はかつて田子村と称し、「昔はこの地から蒲生の浜にかけ湖水が多かったので、多湖の浦と称した。然るに何時の頃からか、この地から奥羽分水脈の蔵王・大東・泉ケ岳などの山々を望んだ景観は、さながら駿河国の田子浦より富士山を眺めた大観の様であったので、多湖の浦を田子浦と書き改めたと伝えている。之は源頼朝が平泉征伐の折でありともいう。」(菊地勝之助「宮城県地名考」から引用)とのことです。



火伏せの神として信仰されており、由緒由来は不詳であるが、千葉家の氏神である。鳥居の左脇にある自然石の手水鉢には「奉納大正九年旧六月二十四日千葉勇吉」とある。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く~宮城野区の寺社、祠堂と石仏石碑~」から引用)

 鳥居を裏から撮った写真です。鳥居の右側にちょこっと見えるのが「大正九年」の記載があるという手水鉢です。無念なことに、わたしは刻字に気づきませんでしたが。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

白杉稲荷

白杉稲荷(宮城県仙台市宮城野区田子1丁目8)  

 宮城野区田子の七北田川沿いに鎮座しています。この日は晴天だったので、川沿いの道路にはサイクリングやランニングを楽しむ市民が行き交っていました。



<加藤文夫さんの話>
 1200年ぐらい前に、地盤が高かったので祀られた。
 明治35年(1902)~38年(1905)の河川改修のときに、工事の監督が白杉(3尺ぐらいの太い白杉だった)がじゃまだったので切らせた。白杉を切った明治38年の旧暦2月28日に新町(福田町)が大火事になった。(橋のところから支所あたりまで全焼)
 また、堤防のところで監督が馬をはしらせたら、馬がころんで死んでしまったりしたことから、白杉さんのたたりといわれた。
 今ある白杉はその後、白杉さんが青い杉ばかりではまずいということで、誰かが植えた。(新しい杜の都づくり宮城野区協議会「福田町 田子 中世と近世がクロスする街」から引用)


 社殿の右側の木が後から植えられた白杉だと思われます。


 大火事が起こったり、馬が死んだりした白杉さんの祟りは明治時代に入ってからの言い伝えですから、始めから恐ろしい神様だったわけではないのかもしれません。しかし、疎かにすると怒りを買うというのは、神社のそもそもの形を体現していていいんじゃないでしょうか。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年10月12日土曜日

山ノ神社(東仙台)

山ノ神社(宮城県仙台市宮城野区東仙台6丁目13-7)


 宮城野区東仙台の曹洞宗大蓮寺に向かう石段の途中が神社の入り口になります。


 鳥居の扁額の文字が消えかけていますが、かろうじて「山ノ神社」と読めます。

昭和15年(1940)ころ安養寺下に造られました。お堂の中には、安産を願う神様がまつられています。神社の中には不幸をさけるためのヘビ神様や、農作業中に亡くなった馬を供養するための馬頭観音もまつられています。現在は安養寺下と東仙台地区の有志の方々で管理しています。(仙台市立西山小学校HP「西山地元を知り隊!学び隊!」から引用)

 社殿の中を覗いてみたところ、「山神」と刻まれた石碑が祀られていました。

 蛇神様の石碑です。

 馬頭観世音碑です。明治十五年と刻まれた文字が読めます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年9月11日水曜日

二木神社

二木神社(宮城県仙台市宮城野区田子3丁目2-40)

 宮城野区福室の宮城野大橋を渡ると、途中で二木神社の存在を示す大きなイチョウの木が見えてきます。


 拝殿は大きな屋根の素通しです。

 この周辺の雷神社(中野)、深山神社(田子)と当社の境内や社殿の雰囲気が似ていますが、3社とも宮司さんが同じ人のようなので、宮司さんの考えが反映されているのかもしれません。

主祭神 伊邪奈岐神(いざなぎのみこと)、伊邪奈美神(いざなみのみこと)

田子地区の護り神として二木の里に鎮座する二木神社創建の詳細は不明なれど、古老たちの言い伝えによると源氏の棟梁頼朝が奥州平泉藤原氏遠征の途中、二本の杉の巨木に馬をつなぎ休息した際、この地を二木と呼ぶようにといい置いて出陣したことにより当時(1189年)頃からこの地を二木と呼ぶようになったと伝えられる。宮城郡誌の記載によると、「元和2年(1616年)3月19日勧請(神仏がこの地に下られるのを願ったこと)ニシテ宝暦3年(1753年)9月19日再興サレ明治6年1月村社ニ列ス」とある。(宮城県神社庁HPから引用)


 本殿は1991年に改築され、伊勢神宮のみに伝わる「唯一神明造り」という建築様式が採用されているとのこと。


 境内に2本あるイチョウの木は、源頼朝が馬を繋いだと伝えられる杉の木とは違いますが、向かって左側の木は推定樹齢180年ほどで、仙台市の保存樹木に指定されています。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

深山神社

深山神社(宮城県仙台市宮城野区福室4丁目1-8)


 宮城野区福室の住宅地に鎮座しています。宮城県神社庁HPと宮城県神社名鑑によると「しんざん」神社、仙臺市史(昭和28年版)では「ふかやま」神社と表記されています。


 ニの鳥居をくぐると拝殿と本殿が横向きに配置されており、拝殿は大きな屋根だけで中は素通しです。


主祭神 木花佐久夜姫尊(このはなさくやひめのみこと)

福室地区の護り神として此の里に鎮座する深山神社の詳細は不明なれど、元深山講の記録台帳によると文政年間(1718~1732年)より既に講の会合が開かれていた事により、それ以前に神社は創建されていたと考えられる。当時、福室の大浪氏なる豪族が、宮城郡沢乙村の鈴木氏の氏神から分神を勧請して現在地に社殿を建立し、大浪家-三浦家-結城家-花渕家の氏神として継承され、信仰を得て来たと思われる。(中略)現在の社殿は、平成9年(1997)に本殿と拝殿を改築したもので、本殿は荘厳・流麗にして日本建築の最も美しい姿を表現している「流れ造り」と言う社殿である。(宮城県神社庁HPから引用)


 流れ造りの本殿はまことに壮麗です。

 中野にある雷神社の本殿と外観が似ています。造営年代が近い(深山神社は1997年、雷神社は2003年)ので、同じ宮大工の手になるものかもしれません。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

雷神社(中野)

雷(らい)神社(宮城県仙台市宮城野区中野1丁目22-1)

 仙台港背後地の整然と造成された住宅地に鎮座しています。「かみなり」でも「いかずち」でもなく、「らい」神社と読むようです。


 拝殿です。

主祭神 大雷神(おおいかづちのかみ)、水波能売神(みずほはめのかみ)、御井神(みいのかみ)

中野地区の護り神として此の里に鎮座する雷神社の詳細は不明なれど、宮城郡誌並びに古老たちの口伝に依ると、元禄の頃より鎮座ましませしが、嘉永6年(1848年)に野火にて延焼灰燼に帰すとあり、その後再建。明治5年(1872)1月に村社に列せられ、昭和46年に当時の北新田地区より沼向に移転。さらにその後、仙台港背後地土地区画整備事業の計画により、雷神社は再移転を余儀なくされ、平成4年(1992)に神社総代を中心に建設委員会を設立し、現鎮座地(福室字県道前)にご本殿、石鳥居、石碑類を移設。老朽化による損傷が著しい拝殿はその際に解体。平成15年(2003)10月新社殿完成。農産豊穣、家内安全、交通安全の神として崇敬されている。(宮城県神社庁HPから引用)



 拝殿後方の本殿です。2003年に造営されたのでまだ新しく、金の装飾が豪華で立派です。


 境内にある記念碑の由緒説明は知事名になっています。宗教施設である神社の記念碑を知事名としているのは極めて珍しく、県が実施した仙台港背後地の整備により当社がこの場所に移転したことが関係しているものと察せられます。


 境内社です。向かって左側が三宝荒神、右側が甚光大明神です。こちらも区画整理に伴い移転してきた神社です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年9月6日金曜日

諏訪神社(新田)

諏訪神社(宮城県仙台市宮城野区新田3丁目6-1)

 宮城野区新田の住宅地のちょっと判りにくい場所にあります。Googleマップのナビどおりに行くと、フェンスに囲まれた神社の裏手に案内され、鳥居のある方に来るまでけっこう遠回りになります。


 由緒等不明ですが、明治43年(1910)に岩切の八坂神社に合祀されたという記録があります。(「宮城県神社名鑑」を参照。「仙臺市史」(昭和28年版)では明治41年(1908)に合祀されたとなっています。)

 境内に馬歴碑や馬頭観音碑がいくつかあります。

 かつてこの周辺の坂は荷を積んだ馬車にとっての難所で、重労働に耐えられず命を落とした馬がいたとのこと。これらの石碑は、その馬たちを供養するためのものなのだそうです。(仙台市立新田小学校HP「新田歴史マップ」を参照)

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

羽山神社

羽山神社(宮城県仙台市宮城野区小鶴羽山75-1)


 宮城野区小鶴の高野川沿いに鎮座しています。


 間近に東北新幹線の高架橋が通っています。



一.多賀城主(七百四十年代)の勧請により、五穀豊穣の神社として当地に遷座された。二.鎌倉、江戸時代は、羽山権現社として、奥州各地から参拝者ありと言われた。三.伊達政宗公(一六三〇代)から、二百文のご寄付された。四.明治五年(1872)神仏分離令により八坂神社に合祀された。五.昭和四十七年(1972)氏子から町内会に維持管理移される。 平成十八年三月吉日小鶴北部町内会調べ(境内掲示「羽山(権現社)神社の沿革」から引用)

 社殿の前に狛犬のような像が置かれています。ずいぶんと年代を経ているもののようです。対となっていたと思われるもう片方の像は無くなっていました。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年8月27日火曜日

燕沢東小祠

燕沢東小祠(宮城県仙台市宮城野区燕沢東2丁目5)


 宮城野区燕沢東の県道仙台松島線(通称、利府街道)沿いを少し奥に入ったところに小祠があります。

 個人の氏神のようでもあり、外に通じる参道が整備された社であるようにも見えます。



 祠の中を覗いてみたところ、お狐さまが一対祀られていました。由緒等は不明です。

 なお、ネット上には、この社はここの近くにあった糠塚(ぬかつか)古墳に鎮座していた春日神社を古墳の整理に伴いこちらに遷座したものだ、という書き込みがありますが、裏付ける資料を確認することはできませんでした。


 糠塚古墳は、利府街道を挟んで当社の向かい側にあった古墳で、今は地元の新聞社の販売所になっています。

 この古墳は、直径30m、高さ5mの円墳で、昭和37年(1962)に宅地造成工事が行われるにあたり調査が実施されたものの、出土物はなかったとのこと。出土物がなかったため、古墳の年代を客観的に示せないが、その形態から古墳時代中~後期であると位置づけられるそうです。

 調査後は宅地造成のため削平され消失したため、現在は位置だけは確認できる状況にあるとのことです。(以上、結城慎一「糠塚古墳」、『仙台市史』(1995)特別編2(考古資料)所収を参照)

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

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2024.10.25 追記

 当社に係る文献をひとつ見つけたので引用します。

「春日神社」は、利府街道を東に善修寺から200メートル程で左折し、北に50メートル程の処(右側)にある嶺岸家の宅地内にある石祠である。(略)かつては、糠塚(利府街道の傍らの約五メートル周囲の塚であったが、昭和三十二年の産業道路工事のため撤去)の上にあり、東国経営の守護神そして藤原氏の氏神、当時の大地主の氏神としても祀られていたと推測されている。現代になって、平成五年(1993)には嶺岸家の氏神として祀られ、道路に沿った細い参道があり、石段(五段)の上にある。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く」)

2024年7月5日金曜日

仙台八坂神社

仙台八坂神社(宮城県仙台市宮城野区岩切若宮前11-7)


 宮城野区岩切の仙台八坂神社です。



 境内が夏の装いになっていました。


主祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと)

文治5年(1189)6月7日、高森城主・伊達家景が京都の祇園から勧請し、始めは岩切村余目家の城内に鎮座し、圭田・二十石を納む。後、同村の台ヶ原頂上に座して天王山と称す。戦国・天正の頃より社殿荒廃し祭事を欠くに至る。仙台藩主伊達政宗公、寛永年中、天王山より現在の地に遷宮し、祭田・二百文(二石)の地を寄進し厚く祭事を行う。神仏混淆の際より、祇園牛頭天王社と称したが、明治の初め現社号に改め、明治6年(1873)に郷社に列し、大正3年(1914)12月幣帛供進社に指定された。また明治43年(1910)4月、各区内鎮守社を本社に合祀した。(宮城県神社庁HPから引用)


 こちらは本殿です。


 牛頭天王像(ごずてんのうぞう)です。

 頭に瘤があるのが八坂神社の牛像の特徴で、八坂神社は昔から「瘤とり神社」として礼拝されてきたそうです。いぼのある人が頭の瘤を一週間なでると治ると云われているとのことです。



 境内社の冠川(かむりがわ)神社です。

 現在、鹽竈神社と並んで鎮座している志波彦神社は、明治7年(1874)にこの場所から遷宮されたものです。冠川神社は、その3年後に志波彦神社から再び分霊され、現社名でここに鎮座しています。

 志波彦神社がここから塩釜に移されたのは、社殿造営のための社地が狭かったからだそうです。志波彦神社は延喜式の神名帳に載せられた格式の高い官社なので、もし遷宮されなかったら、今は八坂神社の境内社にとどまってはいなかったかもしれませんね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM