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2025年4月26日土曜日

飯石明神社

飯石(いいいし)明神社(宮城県仙台市泉区小角館)

 県道35号を根白石方面に進み、泉消防署根白石出張所の角を右折して突き当たったところに鎮座しています。


飯石明神(いいいしみょうじん)は、もともと古内鉄右衛門の別荘の中にあったとされています。子どもの夜泣きに霊験あらたかとされ、祈願するものは祭られている小石を1個借りていって病児の枕元に置き、願いが叶うとお礼に子石を2個にして返したそうです。このため、小石を生む神社と言われるようになったと伝えられています。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第6回 小角めぐり 鼻毛橋周辺を歩く」から引用)


 この地は仙台、七北田から根白石に通じる要路にあたり、往昔古内氏の居館があって、これを「小角(おがく)城」と称したそうです。(菊地勝之助「宮城県地名考」参照)

 古内家は後に国分氏の末子を養子に迎え、養子となった古内主膳は伊達家に仕えて筆頭家老となり、岩沼城主ともなったとのことです。(前掲「いずみ史跡今昔物語―第6回 小角めぐり 鼻毛橋周辺を歩く」参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年4月11日金曜日

雷神社(市名坂)

 雷神社(宮城県仙台市泉区市名坂原田)

 泉区市名坂の国道4号バイパス沿いにこぢんまりと鎮座しています。


 鞘堂の中に小さな祠があり、鏡と文字が読めないほど古い神札が収められていました。

 由緒等は不明です。もともとこの場所に鎮座していたものではなく、国道の整備に伴いここちらに移されたものと推察されます。


 この日は、境内の桜が満開でした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年1月19日日曜日

須賀神社(野村)

須賀神社(宮城県仙台市泉区野村萩塚1)



 泉区の県道泉塩釜線に面して鎮座しています。地下鉄の駅からは離れており、駐車場もないので参拝にはやや苦労します。



主祭神 素戔鳴尊(すさのうのみこと)

神仏習合時代に「牛頭天王」と称し、維新の当時「清神社」の社号なりしも、明治三十二年(1899)八月三十日現在に改む。大正四年(1915)七月二十四日、馬場屋敷の神明社、八幡前の八幡社、筒岫屋敷の稲荷社を合祀し遷座の式を挙行す。(「宮城郡誌」から引用)

宝永四年(1707)梅津勇三郎が福島の伊達より氏神として現在の地に移したのが始まりである。その後、根白石城主の子孫 白津勘之助が野村地区の鎮守とし、地域の人々にも崇敬されるようになった。明治初期清神社となり、同32年(1899)須賀神社と改めた(境内掲示「泉史跡めぐり 須賀神社」(泉区役所)から引用)


 こちらは本殿です。

 牛頭天王(ごずてんのう)は神仏習合の神様で、素戔鳴尊(すさのうのみこと)と同一視されています。昔から牛頭天王には胡瓜(きゅうり)を捧げる習慣があり、この神社でも祭りの日には胡瓜を2本持参し、うち1本は七北田川に流して河童神に子どもの水難防止を祈願しているそうです。


 一の鳥居近くにある石碑群です。開墾や宅地造成により移設されたもので天明3年(1783)の飢餓供養碑もあるとのことです。(以上、境内掲示「泉史跡めぐり 須賀神社」(泉区役所)参照)

EOS R, EF35mm F1.4L USM

白山神社(野村)

白山神社(宮城県仙台市泉区野村桂島)

 泉区の仙台市泉総合運動場の北側に位置しています。



 白山神社は南北朝から戦国時代にかけて現在の宮城県南部で勢力をふるった国分氏の氏神と言われています。国分氏は一時伊達家の臣下となりましたが、伊達政宗の不興をかって滅亡したそうです。

 国分家には世に流布されている他、野村には馬場家が二家、桂島家が一家あった。桂島は後伊達氏に仕えたが代々市名坂の実相寺を菩提寺とした。桂島に安堵後旧臣の高平大学や、堀江近江が松森から白山神社を移して彼を保護したという。(略)
 桂島の白山神社は内殿が二社並列、右に白山神社左に千代城神社と読める神牌がある。
 代々の桂島氏が往時の先祖を千代城に託して祀ってきたのかも知れぬ、桂島氏は明治十九年(1886)国分に復姓し、桂島姓は家中の若生氏に与え、石巻に移り、さらに東京に移った。(「泉市誌」から引用)


 社殿正面の扁額です。墨書きの文字が薄れていて一部しか読めません。

 社殿の後方に当地方の伝統行事である"どんと焼き"をした跡がありました。地域の人たちに地元の神社として祀られているようです。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2024年12月17日火曜日

斎兵衛神社

斎兵衛神社(宮城県仙台市泉区松森斉兵衛58ー9)

 泉区松森の大型中古品販売店の敷地に鎮座しています。鳥居はなく、祠だけの神社です。


 由緒等は不明です。松森斉兵衛がこの周辺の地名で、近くには斉兵衛公園という小さな公園があります。この神社の名前が地名になったのか、地名が神社の社号になったのか、どちらかだと思いますが確認できませんでした。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2024年8月20日火曜日

山神社(実沢)

山神社(宮城県仙台市泉区実沢立田屋敷) 


 
 泉区実沢の松田病院の近くに鎮座する小社です。



山神社は実沢立田屋敷、泉パークタウンの入り口の病院のそばにあります。
もともとは寺岡山の東側のふもとにありましたが宅地造成により現在の地に移転されました。
言い伝えによると、明治初年(1868)、それまで斧を持った恐ろしい形容をした御本尊が盗難に遭ったことから、改めて同名の小牛田の山神社より分霊を受け神鏡に変えたとされています。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第5回 実沢めぐり 中山道を歩く」から引用)


 仙台市HPによれば、本尊は神鏡とされていますが、社殿の中には女性の像が祀られていました。

 小牛田の山神社から分霊されたとすると、小牛田の祭神である木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の像かと思われます。あくまで想像ですが。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

八幡神社(野村)

八幡神社(宮城県仙台市泉区野村八幡前11)



 泉区のみやぎ生協高森店の敷地に隣接し、東北自動車道を見下ろす位置に鎮座しています。


 この社の由緒等は不明ですが、「宮城県誌」(昭和3年版)には、野村字萩塚に鎮座する須賀神社について「大正四年(1915)七月二十四日、馬場屋敷の神明社、八幡前の八幡社、筒岫屋敷の稲荷社を合祀し遷座の式を挙行す」という記載があります。

 「仙台・泉の散歩手帖」には、「八幡前の八幡社は合祀されたとのことであるが、東北自動車道建設のため若干移動はしているが、現在高森八丁目に祀られている」と述べられています。


 社殿が2つあります。

 向かって右側の、


「八幡神社本殿改築記念碑」のあるほうが八幡神社。

 向かって左側は、仙台市HPの「いずみ史跡今昔物語―第9回 野村めぐり 秀衡街道を歩く」に須賀神社に合祀された馬場屋敷の神明社について「現在は高森生協隣接地の高速道路が見渡せるところに祭られています」という記載があることから、神明社の社殿であると思われます。


 八幡神社(と思われるほう)の覆屋の中です。


 神明社(と思われるほう」です。


 この周辺はかつては一帯が山でしたが、三菱地所の大規模開発によって現在は仙台を代表する住宅団地になっています。

 この神社は、大正時代の合祀や東北自動道の整備による移動など、さまざまな変遷を辿った末、今はかつての鎮座地であった高速道を見渡しながら、ここに落ちついているものと感じられます。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2024年8月13日火曜日

八坂神社(七北田大沢)

八坂神社(宮城県仙台市泉区七北田大沢丸山38)



 鳥居から社殿まで長く急な石段が立ちはだかります。



祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)、春日大神

住古同地の百姓で源三郎という人が京都で参宮したときに御霊影を受けて、以降同人の氏神様として祭ったのが始まりです。
元文3年(1738)には、七北田村の端郷であった大沢村の惣鎮守として祭られました。
明治初年(1868)、京都の祇園社が八坂神社と改称すると、本社も八坂神社と改められ、大正5年(1916)には木戸囲いにあった春日神社も合祀されました。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第12回 大沢めぐり 陸羽街道を歩く」から引用)



 参道の中途にある石碑群です。


 こちらは社殿近くに並んでいる石碑群。

 八坂神社は陸羽街道の傍らにあったため、境内には多くの馬頭観世音碑や名号碑、山神碑などが多数祭られているとのことです。(前述、「いずみ史跡今昔物語―第12回 大沢めぐり 陸羽街道を歩く」参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年6月27日木曜日

貴富祢神社(上谷刈)

貴富祢神社(宮城県仙台市泉区上谷刈5丁目1)


 泉区の仙台北環状線沿い、泉中央病院近くの狭い石段を上ると、住宅街の中に「貴富祢神社専用通路」という立て札があり、ここから神社に入ります。


 専用通路を抜けるとすぐ社殿があって、その先に鳥居があります。鳥居の周りはフェンスで囲まれていて、こちら側からは入ることができません。



現在は丸山団地の一角に祭られています。小角にある貴船神社とは直線で4キロメートルも離れていて、丸太沢地方の村鎮守として祭られたものと考えられています。神社の名前にちなんだのか、木製の舟の模型が絵馬代わりに奉納されています。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第8回 上谷刈めぐり 秀衡街道を歩く」から引用)


 社殿は「鞘堂」(さやどう)と呼ばれる素通しの構造物で覆われています。


 鞘堂の中の様子です。

 平成10年(1998)に発行された「仙台・泉の散歩手帖」には「社殿も長床も今にも倒壊しそうな状態である」と記載されていますが、その後関係者の尽力により境内が整備されたようです。



 狛犬や石灯籠も近年新たに奉納されています。地域の鎮守の支え手が健在なのはうれしいかぎりです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM