ラベル 03 仙台市若林区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 03 仙台市若林区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年2月28日金曜日

伊在白山神社

伊在白山神社(宮城県仙台市若林区伊在白山前)


 仙台市地下鉄東西線六丁の目駅から南西約300mほどの場所に鎮座しています。

木ノ下の白山神社が戦乱にあった時、本尊をかくまったのがこの地だという。のちに国分氏の家臣が分霊を祀って創建されたという。江戸時代の庚申塔が2基ある。木ノ下白山神社の流鏑馬(やぶさめ)の前には、射手が深沼の海で身を清める習わしがあり、帰りにはこの神社で休憩する決まりだった。(仙台市HP「神社めぐり 七郷界隈」から引用)

 木ノ下の白山神社は伊達政宗の家臣であった国分氏の鎮守社で、「国分氏の没落後も国分侍と呼ばれている遺臣達が伝統を引き継いで、白山神社の祭礼行事を行った」(木村孝文「若林の散歩手帖」から引用)のだそうです。

 伊在の白山神社が木ノ下の分霊を祀ったということは、こちらの神社も伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、菊理媛尊(くくりひめのみこと)を祭神としていると考えられます。


 社殿を囲んでいる石碑群です。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

曽利松明神

曽利松(そりまつ)明神(宮城県仙台市若林区蒲町6-37)

 仙台市立蒲町中学校にほど近い住宅地に鎮座しています。この場所は曽利松明神古墳という自然堤防に立地した円墳なのだそうです。(「宮城県遺跡地名表」参照)


 覆屋です。縦長の看板にかろうじて「曽利松」の文字が読み取れます。

稲荷神社で穀物、農業の神様として祭っています。(仙台市七郷市民センター製作「七郷タウン情報紙特集七郷ウォークラリーマップteku×teku」から引用)

 由緒は不明ですが、覆屋の中にお狐様が祀られていました。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

雷神社(蒲町)

雷神社(宮城県仙台市若林区蒲町21)

  仙台市立蒲町中学校の南西約200mに鎮座しています。写真左側のフェンスの外に流れているのは七郷堀です。


享保20年(1735)頃、七日七夜雷鳴が轟き、落雷が相次ぎました。そこで雷大明神を建て、村の鎮守としました。今でも雷神講という町内の集まりがあるそうです。(財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワークHP「「水の神さま」を探せ!」から引用)

 この神社の読み方は、「かみなりじんじゃ」「らいじんじゃ」「いかづちじんじゃ」など諸説があります。

 社殿近くの境内社と山神碑です。境内社はその形からすると神社というよりお堂かもしれません。鳥居の脇にも地蔵がありますので神仏習合の名残かと思われます。

 船形山升沢神社の石塔です。

 社殿の側面に掲げられている絵馬です。絵が消えかかっていてほとんど見えませんが、甲冑姿の2人の侍が水の中で刀を振り回している様子が描かれています。仙台市七郷市民センター製作の「七郷タウン情報紙特集七郷ウォークラリーマップteku×teku」によれば「明治21年(1888年)に奉納された鵺(ぬえ)退治の絵馬」ということです。

 鵺(ぬえ)は平安時代末期に現れたサルの頭、タヌキの胴体、トラの手足、ヘビの尾を持つ妖怪です。「平家物語」に登場する源頼政によるものなど、いくつかの有名な鵺退治伝説があるそうです。

 この絵馬について前掲HP「「水の神さま」を探せ!」では「洪水忌避の祈願かもしれません」としています。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2025年1月22日水曜日

熊野神社(荒井)

熊野神社(宮城県仙台市若林区荒井7丁目17-8)



 若林区荒井7丁目の下荒井公会堂のある広場の一画に鎮座しています。



 この地区にある七郷神社の由緒に「本神社の創立の由来不詳なるも、もと荒井字新屋敷西に鎮座し熊野権現と称す」(宮城県神社庁HP参照)と記されています。

 荒井7丁目の旧住所は荒井字新屋敷ですので、この神社が七郷神社の前身である可能性はあります。しかしながら、それをより証拠立てる資料がみつかりません。

 この地域の神社はほぼ網羅していると思われる仙台市のHP「神社めぐり 七郷界隈」も当熊野神社には何も触れていません。この神社の由緒等は不明の状態です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

皇大神社

皇大神社(宮城県仙台市若林区長喜城山神18)

 若林区長喜城の田園地帯に鎮座しています。

 長喜城は、中世の豪族であった沖野氏らが築いた館の名前が今日まで地名として伝えられているものとのこと。この地域には居久根(いぐね)と呼ばれる、風雪から家屋敷を守るためや食料、建材、燃料として利用するために敷地を取り囲むように植えられた林に囲まれた屋敷が点在しています。(仙台市HP「わがまち緑の名所100選」参照)



長喜城の村社だったが明治43年(1910)に七郷神社に合祀された。今でも季節ごとに地区の祭りが開かれている。(仙台市HP「神社めぐり 七郷界隈」から引用)

 1910年に七郷神社に合祀されたと記録されていますが、当神社は現在も丁寧にお世話をされているようです。

 馬頭観音像は半分土に埋まっています。

 手水鉢には天明5年(1785)奉納の文字が刻まれていました。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

七郷神社

七郷(しちごう)神社(宮城県仙台市若林区荒井字押口56)



 仙台市地下鉄東西線の荒井駅から徒歩15分ほどの場所に鎮座しています。2015年の地下鉄の開業と区画整理事業の影響により変貌著しい地域です。


 境内は広く、よく整備されています。



主祭神 熊野加布呂岐櫛御食野命(くまのかぶろき くしみけぬのみこと)

本神社の創立の由来不詳なるも、もと荒井字新屋敷西に鎮座し熊野権現と称す。明治5年6月村社に列し、同42年から同44年の間に後記神社を合併、44年5月幣帛供進社に指定され、同年7月現社号に改めた。これより先明治43年3月現在地に遷座する。合祀神社下記の如し。熊野神社(家中在家西)、穴蔵神社(字石川屋敷)、神明社(荒井)、春日神社(字藤田新田)、皇大神社(長喜城)、白山神社(伊在)、春日神社(六丁の目)、神明社(荒浜)、湊神社(荒浜)以上9社。(宮城県神社庁HPから引用)

 なお、境内掲示の「七郷神社の由来・概要」には「1841年(天保12年)・「熊野権現」・・・荒井新屋敷(下荒井)に鎮座」と記してありました。

 
 こちらは本殿です。


 境内社の八幡宮と、



不動明王です。

 明治時代の初めまでは天台宗法性寺の僧侶がこの神社の別当を務め、現在の神社の土地に法性寺と荒井不動尊があったとのことです。(前掲「七郷神社の由来・概要」参照)

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年12月18日水曜日

卸町神社

卸町神社(宮城県仙台市若林区卸町2丁目15-1)

 1970年に多業種の企業が集まる産業団地として仙台市東部に整備された「仙台卸商団地」に鎮座しています。


主祭神 天照大神(あまてらすおおかみ)、金山尾古神(かなやまひこのかみ)、金山比売命(かなやまひめのみこと)

卸町神社は卸商団地の組合員卸商社の連帯と繁栄を願う象徴として建立されたもので,その経緯は組合員若手経営者の集まりである青年経営研究会が発起し協同組合仙台卸商センター組合員の総意により組合創立15周年団地完成10周年を記念し,昭和55年(1980)3月15日着工,同年7月23日に完成したものであります。(境内掲示「卸町神社由来書」から引用)


 産業団地に立地する企業の協同組合が中心となって創設した神社なので、境内や周辺の自然緑地がきれいに整備されています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

正一位稲荷大明神

正一位稲荷大明神(宮城県仙台市若林区大和町1丁目9-13)


 仙台市地下鉄東西線の薬師堂駅から歩いて2,3分の住宅地に鎮座しています。



 由緒等は不明です。道案内の標識に「正一位竹駒稲荷大明神」と記されていますが、竹駒神社と関連があるかどうかも判りません。

 境内はきれいに清掃されています。社殿の中をのぞいてみたところ、奥に祭壇があり、手前は6畳ほどの畳敷きで、布団をかけたこたつが置いてありました。鳥居には令和元年に氏子一同が奉呈したとの記載があります。大事にされている神社のようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年9月4日水曜日

旅立稲荷神社

旅立稲荷神社(宮城県仙台市若林区若林2丁目1-3)

 仙台市南部の広瀬橋近くの川沿いに鎮座しています。背景に見えるのは仙台市立病院などがある長町の再開発地区です。



 こちらが拝殿です。

主祭神 保食神(うけもちのかみ)

この神社は、白河天皇の永保年間(1081~1083)の創祀といわれ、山城国伏見稲荷神社の御分霊を勧請し稲荷大明神と称する。神社合祀令により明治4年(1871)9月保食神社(うけもちじんじゃ)と改称、村社に列する。昭和34年(1959)9月旅立稲荷神社と名称を変更する。旅立明神と称することについて、藩祖伊達政宗公が青葉山に城を定め、初めて参勤の際、当時、下河原五軒茶屋といわれた赤壁楼にて休息し、この社に代参を以て道中安全を祈り、日を経て無事に帰着したので神恩に感謝し、直ちに神祇官に奏請して「正一位旅立大明神」を賜り、「旅立明神」の社号を奉ったと伝えられている。(宮城県神社庁HPから引用)

 かつては仙台の南は河原町までが城下とされ、この神社が鎮座している付近は城下と外部の境に当たります。「河原町の西南端広瀬川のほとりに下河原五軒茶屋と称された五軒の茶屋があった。かつて江戸参勤の藩主が休み旅人もまたここで別盃を交わすのが習いであった」(「せんだい寸景」NO14,2005年3月から引用)ということです。

 茶屋で別れを惜しんだ旅人は、この神社に立ち寄り旅の安全を祈ったのでしょう。


 稲荷社なので、手水舎で怖い顔のお狐さんが見張っていました。

 広瀬川沿いの土手になっている道路から見た神社です。社殿にけっこう奥行きがあるのが判ります。左側が拝殿、右側が本殿です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年5月22日水曜日

姥神社(木ノ下)・紫神社

姥神社・紫神社(宮城県仙台市若林区木ノ下2丁目9-16)

 陸奥国分寺本坊の駐車場に小社がふたつ並んでいます。


 こちらは姥神社


 扁額の文字が消えかかっていますが、「一神二佛合祀 昭和四十年五月吉日 清水小路姥神社 國分寺本薬師 正善院聖観音」と記しています。

 仙台市若林区のHP「神社めぐり(南小泉界隈)」では「国分寺境内北側にあり、紫神社と並んでいる。子どもの百日咳と歯痛を直してくれるという信仰があり、竹筒にお酒を入れて奉納していた。かつては清水小路にあったが五橋交番隣に移され、さらに国分寺の本薬師、正善院の聖観音とともに合祀されて昭和40年(1965)に現在地に移された」と説明されています。



 こちらは紫神社。扁額の文字がすっかり消えていて判読できません。

 仙台市若林区のHP「神社めぐり(南小泉界隈)」では「国分寺境内北側にあり、姥神社と並んでいる。椌木(ごうらぎ)の大木の中の祠に祀られていたものが移された」と説明されています。

 また、「仙臺市史(昭和28年版)」には、若林区連坊小路の民有地にある紫神社について、「天平中國分木ノ下に勧請したのを、天平寳字六年(762)三月、その分霊を此処に勧請せるものであるとの傳説がある」と記されており、「國分木ノ下」の神社が当社であると考えられます。

EOS R, EF35mm F1.4L USM