卸町神社(宮城県仙台市若林区卸町2丁目15-1)
1970年に多業種の企業が集まる産業団地として仙台市東部に整備された「仙台卸商団地」に鎮座しています。
卸町神社(宮城県仙台市若林区卸町2丁目15-1)
1970年に多業種の企業が集まる産業団地として仙台市東部に整備された「仙台卸商団地」に鎮座しています。
正一位稲荷大明神(宮城県仙台市若林区大和町1丁目9-13)
仙台市地下鉄東西線の薬師堂駅から歩いて2,3分の住宅地に鎮座しています。
由緒等は不明です。道案内の標識に「正一位竹駒稲荷大明神」と記されていますが、竹駒神社と関連があるかどうかも判りません。
境内はきれいに清掃されています。社殿の中をのぞいてみたところ、奥に祭壇があり、手前は6畳ほどの畳敷きで、布団をかけたこたつが置いてありました。鳥居には令和元年に氏子一同が奉呈したとの記載があります。大事にされている神社のようです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
穴蔵神社(宮城県仙台市青葉区霊屋下21-16)
仙台藩主伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿の入口近くに鎮座しています。
手前が素通しの拝殿。
奥に本殿があります。
主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
熊野神社(宮城県角田市毛萱字西ノ入42)
大河原町の国道4号から蔵王さくらロードに入り、仙南運転免許センターを左手に見ながら金ケ瀬さくら大橋を渡って、さらに角田方面に進んだ小山の上に鎮座しています。
主祭神 神祖熊野櫛御気野命(かぶろぎくまののくしみけぬのみこと)
宮城県神社庁のHPには由緒不詳と記されており、それ以上の情報は他でも見つかりませんでした。
社殿の正面に古い絵が掲げられていました。よく見ると、壇ノ浦の合戦で那須与一が弓を引いている場面のようでもあります。名取市の熊野神社には源頼朝が東征の際に立ち寄ったという言い伝えがあります。同じように、源氏にまつわる伝説との関連で誰かが奉呈したのでしょうか。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
舞台八幡神社(宮城県仙台市太白区長町4丁目2-12)
太白区長町の住宅地に鎮座しています。
主祭神 仲哀天皇、応神天皇
後冷泉天皇の時代、天喜4年(1057年)8月陸奥の土豪安部頼時が乱を起こし、征討すべく陸奥守鎮守府将軍源頼義勅命をうけて奥州に出発の際、河内の国河内郡平岡八幡宮に祈り神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を比良平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮として尊崇した。(中略)明治27年(1892年)頃に長町字西浦の蛸薬師堂境内に再建されたが、往年の面影無く氏子有志等復興を願いし折りに昭和14年(1939)仙台市片平町実業家青山秀次郎氏が稲荷神社の社殿並びに石灯籠御手洗等を寄進下されたるにより、氏子総代他役員大いに力を得て有志諸氏のご寄進を仰ぎこの境内に本殿を奉遷し両神社を合祀し拝殿の御造営を成就し、現在に至っている。(宮城県神社庁HPから引用)
こちらは本殿です。
神社の名称である「舞台」は、この神社がそもそも祀られたところの地名「名取郡舞台」に由来しています。その場所は今の長町7丁目で、現在金岡八幡宮が鎮座しているところだそうです。
同じ境内に併存している蛸薬師如来です。舞台八幡神社は明治27年(1892)年頃に薬師堂境内に再建されたと伝えられています。
蛸薬師は、京都西洞院の蛸薬師如来から勧請したものですが、別伝では「長町に古くから開業している川熊商店の裏の池に蛸に吸い付かれた薬師様が流れ着いてそれを祀った」(公益財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワークHP参照)とのことです。
昭和14年(1939)に舞台八幡神社が合祀されたとされる比良岐(ひいらぎ)大明神です。
神社や薬師堂が同じ境内にあり、込み入っているので整理しますと、初めに比良岐大明神がここにあり、江戸時代に平岡村淵上から蛸薬師堂が移ってきて、そこに平岡村舞台にあった八幡神社が明治27年(1892)頃に再建されたということのようです。いろいろあって大変だったろうと想像します。
EOS R, EF35mm F1.4L USM
金岡八幡宮(宮城県仙台市太白区長町7丁目20)
青葉神社(宮城県仙台市青葉区青葉町7-1)
仙台藩祖伊達政宗を祀る青葉神社です。
2011年の東日本大震災で鳥居が全壊し、この鳥居は2014年に再建されたものです。
新しい鳥居の脇に全壊した鳥居の残骸が置かれています。放置しているのではなく、あえてこうしているものと考えられます。
長い参道を進むと、広々とした境内にたどり着きます。神社特有の張りつめた空気が気持ちよく感じられます。
こちらは拝殿です。
主祭神 武振彦命(たけふるひこのみこと・伊達政宗)
通町にあり、明治六年(1873)十月十四日、北二番丁住醫小泉長善その他有志の連名を以て藩祖伊達政宗の靈を崇める爲に神社を建てゝ奉祀せんことを官に願い出て、同七年(1874)一月九日許可を得、同年二月九日神號を武振彦命、社號を靑葉神社と賜い、同六月二十五日縣社び列せられたが、これより先、社地として北山東昌寺境内を卜し、二千二百三十餘坪の拂下を出願し、明治七年(1874)四月十七日許可を得たので、同五月三日地鎭祭を執行、十一月十一日本殿・拝殿・社務所・神樂殿等の竣工を見、同十五日靈屋を一本杉伊達家から新社殿に遷し、十六日鎭座祭を奉仕した。(「仙臺市史」昭和28年版から引用)
本殿を取り囲む透塀(すきべい)と中門です。透塀は本殿を世俗から分離する役を担っています。中門の奥に見えるのが本殿です。
政宗の正室であった愛姫(めごひめ)を祀った愛姫社の鞘堂です。愛姫社の本殿は青葉神社の本殿に移されており、今は鞘堂だけが残っています。
伊達家の家臣たちを祀った祖霊社です。
青葉神社は明治になって建立されたのでそれほど歴史があるわけではありませんが、藩祖を祀っているだけあり威厳があります。神社の6つの建造物が国の登録有形文化財に指定されています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
仙台赤十字病院小祠(宮城県仙台市太白区八木山本町二丁目43-3)
太白区八木山本町の仙台赤十字病院の入口近くに鎮座しています。