第六天神社(宮城県名取市増田1丁目3-36)
祭神 面足尊(おもたるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)、素戔鳴命(すさのおのみこと)、大巳貴命(おおあなむなちのみこと)
本神社は永正3年(1506年)の創祀と伝えられ、もと増田村に神代7代の神を奉斎したさい、この地に第六の天神を奉祀したのでこの社号となったといわれる。また、昔町内に疫病が流行し古来から鎮疫の神と称奉る素盞嗚命を殿内に勧請奉祀し明治に及んだ。明治5年(1872)6月村社に列せられ、第六天神社と改称、明治40年(1907)3月神饌幣帛料の供進社に指定された。(宮城県神社庁HPから引用)
かつて増田には7つの塚があり、一つ一つの塚に天神が祀られて増田の七天神社と言われたそうです。
すなわち、第一天神=蛇塚妙見八幡、第二天神=大塚明神、第三天神=神明塚明神、第四天神=狐塚明神、第五天神=天神塚明神、第六天神社=馬塚明神、第七天神=守宮塚明神で、すべて「塚」と呼ばれていることから、いずれの場所も古墳であったと思われます。
しかしながら、七天神のうち元の場所に現存しているのは第六天神社だけということです。(以上、「増田七天神社のこと」、『名取市の歴史探訪』所収を参照)
なお、第七天神は平成24年(2012)に増田2丁目の民有地から当社の境内に移設されています。