2023年10月12日木曜日

台原森林公園の山神碑

台原森林公園の山神碑(宮城県仙台市青葉区北根3-4-17)


 仙台市地下鉄南北線「台原森林公園」駅前の公園入口から中央遊歩道を旭丘駅方面に進みます。


 10分ほど歩くと公衆トイレの脇から二差路に分かれるので、「こならの道」方面に進みます。


 100メートルほどで朱色の鳥居が見えてきます。



 社殿はなく、鳥居と石碑のみの山神です。


 周囲はきちんと清掃され、水と酒が供えられていました。

 石碑には「明治28年」という字が確認できます。この森林公園ができる前からここにあったことは確かです。


  石碑からは仙台市の住宅地が臨めます。この山神碑は大がかりな施設がなくても信仰が続けられていくことの証だと感じました。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2023年10月7日土曜日

とんとん神社

 とんとん神社(宮城県大河原町新寺字北185-11)


 ここを神社と考えるべきか、観光施設とみなすべきか、初めは迷いました。


 大河原町の、「もち豚」ブランドで畜産加工品を生産販売している企業が直営している畜産加工品直売所の一角に鎮座しています。天然温泉施設やバーベキュー施設も併設されており、家族連れで楽しめる場所です。



 さて、この社ですが、建築様式は神社のそれであり、食肉を製造するために命を頂戴した動物の魂を慰める獣魂碑が置かれています。

 さすれば、傷ついた魂を鎮めるという神社の本旨にかなうものと考えるべきでしょう。


 確かめてはいませんが、この神社は直売所を経営している企業が設置したものとして間違いはないでしょう。鈴紐の先に「平成20年5月吉日」という日付があるので、このあたりに創祀されたものと思われます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

乾八幡神社

 乾八幡神社(宮城県村田町村田迫)


 東北自動車道村田ICを降りてほど近く、村田城跡に整備された村田町城山公園の一角に朱色の立派な鳥居があります。



 しかしながら、参道は荒れ放題、


社殿は、生い茂った草むらの奥に垣間見られます。




 社殿に扁額はなく、鈴は残っていますが鈴紐はぼろぼろの状態です。ここは役割を終えた神社なのでしょうか。



 とはいえ、石灯籠は平成6年に奉納されており、鳥居はここ最近塗り直されたものです。



 この神社に何があったのか不明で由緒も知ることができません。しかし、数年前まで手をかけられていたことは確かです。関係者にしか判らない事情があるのかもしれませんが、現在の状態は残念な気がしてなりません。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2023年10月6日金曜日

三吉神社

 三吉(みよし)神社(宮城県仙台市宮城野区榴岡2-2-22)


 榴岡の鹽竈神社と同じ境内に鎮座しています。


 もともとは三吉神社の境内に鹽竈神社が遷座してきたのですが、今は鹽竈神社のほうが規模が大きく、三吉神社は隅に追いやられているようです。宮城県神社庁発行の「宮城県神社名鑑」には三吉神社は鹽竈神社の境内社(末社)と記載されいます。

 「庇を貸して母屋を取られる」ではないですが、なんだか気の毒なのでこのブログには独立した神社として掲載します。


御祭神は秋田県中央に聳える出羽山系・太平山の山頂にある太平山・三吉神社に三吉大明神を分霊して祀っています。この太平山・三吉神社は1300年ほど前に、役(えん)の行者・小角(おづぬ)が大巳貴大神と少彦名大神を祀って創建したと伝えられ、延暦20年(979年)には、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北地方鎮撫の時、先勝祈願を込めて建立するなど、古代王朝の時代より『戦利成功』『諸事繁栄』の守護神として広く信仰を集めてきました。(略)仙台の三吉神社は、建立者および時期は不詳ですが明治時代以前からこの地にあったと思われ、三吉さんの愛称で、塩竃さまとともに住民の信仰を集めてきました。また、当神社における神饌の中に全国でも珍しい煙草を供える事になったのは、三吉大神が修行の折、太平山に多く住み着いていた大蛇を煙草をもって煙り攻めとし、退散させた事に由来しています。(境内由来説明板から)



 とはいえ現在、三吉神社の維持管理は鹽竈神社の氏子が行っているようで、三吉神社の鹽竈神社に対する依存度はかなり高いようです。世の中と同じで、神社の世界もままならないことが多いのかもしれません。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

鹽竈神社

鹽竈(しおがま)神社(宮城県仙台市宮城野区榴岡2-2-22)


 JR仙台駅東口を出て北に向かい「初恋通り」を進みます。

   初恋通りは、「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」で始まる島崎藤村の有名な詩から名付けられたもの。藤村が東北学院の英語教師だった際にここに下宿していたのだそうです。

 
 
 通りの突き当り、まさに島崎藤村が下宿をしていた三浦屋の跡地に神社があります。


 宮城県塩竈市にある鹽竈神社の分祀です。主祭神は、塩土老翁

 Wikipediaに由来の説明があったので引用します。

江戸時代の延宝年間(1673年 - 1681年)に、仙台藩第4代藩主、伊達綱村が原田宗輔を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命して塩竈の鹽竈神社を修造させたが、その修造期間中、鹽竈神社の神体(御幣)および勅額を仙台城下町の東六番丁にあった高福院]境内に設けられた仮宮に安置し、延宝8年(1680年)に修造が終わって神体を塩竈に戻すに際して、仮宮を廃せずに塩土老翁神を分祠して「塩竈大明神」と称したのが創祀であり、以後、地元の氏子らの信仰を集めた。



 創祀後、もともとあった三吉神社の土地を氏子が買い増して同社内に遷座し、平成14年(2002)仙台駅東第二土地区画整理事業に伴い現在地に鎮座したとのこと。


 訪問した日の3日後に祭りがあるとのことで、商店街には幟旗が掲げられて活気に満ちていました。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2023年10月3日火曜日

伏見稲荷神社

 伏見稲荷神社(宮城県仙台市若林区新寺1-3)


 JR仙台駅東口のビルの谷間にあります。車の往来が激しいメイン通りに位置しているので小さいわりにはすぐに見つけられます。



 社殿はきれいに管理されています。



 境内の石碑に刻まれた由緒によれば、この社は昭和5年(1930)7月、数年来頻発している火災を憂いた町内の有志が京都の稲荷山の分霊を祀って建立したものであるとのこと。


 落語の「二番煎じ」も町内の有志が防火のための夜回りをする噺でした。

 社殿の中は昼にも関わらず電気が灯されており、神社名を記した提灯が多数置いてありました。現在も防火活動の拠点として機能しているようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

四社宮

 四社宮(ししゃぐう)(宮城県仙台市若林区新寺1-7-38)


 仙台駅東口の旧東八番丁に小ぢんまりと鎮座しています。


 主祭神 底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

四社宮は東八番丁(昔は大河原町)に鎮座し、昔藩祖伊達政宗公が関ヶ原の役の節、上杉氏の家来甘粕氏との戦に政宗公に随ひて柴田郡大河原より仙台に来たり、足軽鉄砲組として当丁に置かれたるに依り大河原組と云い、その後大坂の冬・夏の陣の戦に初めて伊達勢として出陣し全員無事帰陣する。これ皆神の御守護に依るとなし、先住地の四社明神を勧請し現在に至る。又、一説に藩命によりローマに渡った支倉六右衛門常長が、海上安全を祈り賽銭箱を奉納したとも伝えられ、その六右衛門揮毫の賽銭箱の表板を社殿に掲げてある。(宮城県神社庁HPの由緒から引用)

 当時、宮城県から関西の大阪冬の陣・夏の陣に参戦することは命がけであったに違いなく、全員無事帰ってきたのはまさしく神の加護によるものという心境だったのでしょう。



 なお、社殿に掲げられている扁額は元の仙台市長の奉呈によるもので、神社庁HPで言及されている支倉常長が奉納した賽銭箱の表板ではありませんでした。
 常長の賽銭箱は「永年風雨にさらされ破損し、その表板が今尚当社に掛額として拝殿上部に保存してあります」(社殿由緒文)とのことです。おそらく社殿の中で保存されているものと思われます。


 写真右側の一本木は、日本では珍しい「菩提樹」なのだそうです。

 なお、私はかつて中学・高校生時代を含めて10年ほどこの近くに住んでいたことがあり、この場所の前を何回となく通ったはずですが、当時はここに神社があることにまったく気がつきませんでした。
 その頃は子どもだったので神社には全然興味がありませんでした。神社というものは、人の心の持ちようによって、有ったり無かったりするものなのでしょうか。

EOS R, EF17-40mm F4L USM