2024年12月18日水曜日

卸町神社

卸町神社(宮城県仙台市若林区卸町2丁目15-1)

 1970年に多業種の企業が集まる産業団地として仙台市東部に整備された「仙台卸商団地」に鎮座しています。


主祭神 天照大神(あまてらすおおかみ)、金山尾古神(かなやまひこのかみ)、金山比売命(かなやまひめのみこと)

卸町神社は卸商団地の組合員卸商社の連帯と繁栄を願う象徴として建立されたもので,その経緯は組合員若手経営者の集まりである青年経営研究会が発起し協同組合仙台卸商センター組合員の総意により組合創立15周年団地完成10周年を記念し,昭和55年(1980)3月15日着工,同年7月23日に完成したものであります。(境内掲示「卸町神社由来書」から引用)


 産業団地に立地する企業の協同組合が中心となって創設した神社なので、境内や周辺の自然緑地がきれいに整備されています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

正一位稲荷大明神

正一位稲荷大明神(宮城県仙台市若林区大和町1丁目9-13)


 仙台市地下鉄東西線の薬師堂駅から歩いて2,3分の住宅地に鎮座しています。



 由緒等は不明です。道案内の標識に「正一位竹駒稲荷大明神」と記されていますが、竹駒神社と関連があるかどうかも判りません。

 境内はきれいに清掃されています。社殿の中をのぞいてみたところ、奥に祭壇があり、手前は6畳ほどの畳敷きで、布団をかけたこたつが置いてありました。鳥居には令和元年に氏子一同が奉呈したとの記載があります。大事にされている神社のようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

穴蔵神社

穴蔵神社(宮城県仙台市青葉区霊屋下21-16)


 仙台藩主伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿の入口近くに鎮座しています。

 手前が素通しの拝殿。


 奥に本殿があります。

主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

本社は、元米沢に御鎮座あり、伊達氏の守護神として奉斎せるを、藩祖政宗伊達郡梁川に遷し、後、仙台若林に城郭をさだむるに及び荒井村に遷し、後、青葉城を築くのとき鈴の沢の地を選び城に向けて遷し祀る。故に「夕日明神」と称あり。天保6年(1835)7月広瀬川の氾濫と崖崩れの災をおそれ遂に川下の現在の地に鎮めまつる。(宮城県神社庁HPから引用)



 本殿を守る狛狐が厳しくてかっこいいです。


 神社の由緒を漢文で記した石の「稲荷神碑」は天保6年(1835)の洪水で河中に埋没したものが昭和8年(1933)に工事現場で発見され、同11年(1936)にこの地に再建されたのだそうです。(「仙臺市史」昭和28年版参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年12月17日火曜日

斎兵衛神社

斎兵衛神社(宮城県仙台市泉区松森斉兵衛58ー9)

 泉区松森の大型中古品販売店の敷地に鎮座しています。鳥居はなく、祠だけの神社です。


 由緒等は不明です。松森斉兵衛がこの周辺の地名で、近くには斉兵衛公園という小さな公園があります。この神社の名前が地名になったのか、地名が神社の社号になったのか、どちらかだと思いますが確認できませんでした。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2024年12月14日土曜日

熊野神社(角田市毛萱)

熊野神社(宮城県角田市毛萱字西ノ入42)

 大河原町の国道4号から蔵王さくらロードに入り、仙南運転免許センターを左手に見ながら金ケ瀬さくら大橋を渡って、さらに角田方面に進んだ小山の上に鎮座しています。


主祭神 神祖熊野櫛御気野命(かぶろぎくまののくしみけぬのみこと)

 宮城県神社庁のHPには由緒不詳と記されており、それ以上の情報は他でも見つかりませんでした。

 社殿の正面に古い絵が掲げられていました。よく見ると、壇ノ浦の合戦で那須与一が弓を引いている場面のようでもあります。名取市の熊野神社には源頼朝が東征の際に立ち寄ったという言い伝えがあります。同じように、源氏にまつわる伝説との関連で誰かが奉呈したのでしょうか。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年12月11日水曜日

長町三丁目小社

長町三丁目小社(宮城県仙台市太白区長町3丁目4-10)

 仙台市地下鉄南北線の長町駅を出てすぐ、太白区文化センターの道路を挟んだ向かい側に鎮座しています。


 隣のお茶屋さんの裏にある駐車場を通って境内に入ります。社号、由緒等は不明ですが、境内や社殿はきれいに清掃されており、管理は行き届いています。

 鳥居の近くにあるのは桜の木です。春に満開になると、いい雰囲気になりそうです。

EOS R, EF35mm F1.4L USM,  EF17-40mm F4L USM 

舞台八幡神社

舞台八幡神社(宮城県仙台市太白区長町4丁目2-12)

 太白区長町の住宅地に鎮座しています。


主祭神 仲哀天皇、応神天皇

後冷泉天皇の時代、天喜4年(1057年)8月陸奥の土豪安部頼時が乱を起こし、征討すべく陸奥守鎮守府将軍源頼義勅命をうけて奥州に出発の際、河内の国河内郡平岡八幡宮に祈り神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を比良平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮として尊崇した。(中略)明治27年(1892年)頃に長町字西浦の蛸薬師堂境内に再建されたが、往年の面影無く氏子有志等復興を願いし折りに昭和14年(1939)仙台市片平町実業家青山秀次郎氏が稲荷神社の社殿並びに石灯籠御手洗等を寄進下されたるにより、氏子総代他役員大いに力を得て有志諸氏のご寄進を仰ぎこの境内に本殿を奉遷し両神社を合祀し拝殿の御造営を成就し、現在に至っている。(宮城県神社庁HPから引用)

 こちらは本殿です。

 神社の名称である「舞台」は、この神社がそもそも祀られたところの地名「名取郡舞台」に由来しています。その場所は今の長町7丁目で、現在金岡八幡宮が鎮座しているところだそうです。

 同じ境内に併存している蛸薬師如来です。舞台八幡神社は明治27年(1892)年頃に薬師堂境内に再建されたと伝えられています。

 蛸薬師は、京都西洞院の蛸薬師如来から勧請したものですが、別伝では「長町に古くから開業している川熊商店の裏の池に蛸に吸い付かれた薬師様が流れ着いてそれを祀った」(公益財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワークHP参照)とのことです。

 昭和14年(1939)に舞台八幡神社が合祀されたとされる比良岐(ひいらぎ)大明神です。

 神社や薬師堂が同じ境内にあり、込み入っているので整理しますと、初めに比良岐大明神がここにあり、江戸時代に平岡村淵上から蛸薬師堂が移ってきて、そこに平岡村舞台にあった八幡神社が明治27年(1892)頃に再建されたということのようです。いろいろあって大変だったろうと想像します。

EOS R, EF35mm F1.4L USM