竹駒神社(宮城県岩沼市稲荷町1-1)
岩沼市の竹駒神社です。
祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)
竹駒神社は古来より日本三稲荷のひとつに数えられており、極めて霊験あらたかな神社と崇められ、宮城県岩沼市稲荷町に鎮座致します。当社は第54代仁明天皇の御代、承和9年(西暦842年)に「小倉百人一首」にも名前を連ねる参議小野篁(おののたかむら)卿が多賀城の陸奥国府に陸奥守としてご着任の際、奥州鎮護の神としてこの地にご創建されました。(竹駒神社HPから引用)
稲荷なので狛犬ではなく狐です。三稲荷だけあって表情に迫力があります。
この神社が「竹駒」と呼ばれるようになったおもしろい言い伝えを見つけたので、ちょっと長いですが引用します。
小倉百人一首で知られる参議小野篁(おののたかむら)は、陸奥守に任ぜられたとき、京都の伏見稲荷で奥州鎮護を祈りました。すると伏見稲荷の神様が白狐の姿で現れたので、箱に納めてお連れすることにしました。篁が842年に国府多賀城に赴任する途中、一行が南長谷の小さな橋にさしかかったとき、白狐が八回鳴きました。篁が「どうしたことか」と箱を開けると、中にいた白狐が飛び出し、近くの森の中へ姿を消しました。そこで、篁はこの森に社をつくり、地名から「武隈明神」と名付けました。その後、能因法師が神社の境内に建てた「竹駒寺」が影響したのか、「タケクマ」が「タケコマ」へと変わり、竹駒神社になったそうです。(岩沼市HP「岩沼市のはじまり」から引用)
「武隈」は地内を阿武隈川(あぶくまがわ)が流れている岩沼市の古称です。
こちらは随神門です。文化9年(1812)の造営で、江戸時代後期の桜門建築の貴重な遺構です。中林梧竹の筆の「丹心報国」の扁額、7代藩主伊達重村筆「正一位竹駒神社」の神号額が掲げられてます。
向唐門です。天保13年(1842)の造営。一間一戸、総欅造、正面には太政大臣三条実美筆の「鳳翔」の扁額を掲げ、向唐門としては宮城県内最大級の規模を誇るそうです。
こちらが社殿です。5代藩主伊達吉村が造営しましたが、平成2年(1990)放火により焼失し、平成6年(1994)に再建されました。とにかく立派で威厳があります。
焼失した元宮の跡に置かれた祭壇です。
伏見から勧請された地を寳窟と称して祀った奥宮です。
命婦(霊狐)を稲荷大神の使いとして祀った命婦社(みょうぶしゃ)です。
その他にも見どころが多く書き切れません。境内がたいへん広く、鹽竈神社などと並び県内有数の神社といっていいと思います。
EOS R, EF24-105mm F4L IS USM