玉嶋神社(宮城県名取市手倉田八幡96-1)
鳥居はなく、小さな白い祠と地蔵、石碑が民家の敷地の隅にコンパクトにまとまっています。花が供えられ、大切にされているようです。
祠の隣に由緒を説明した碑が立っています。以下、一部を引用します。
村老の伝えて言う。元軍襲来せる「文永の役」の論功行賞にてこの地に所領を得たる松浦氏は肥前国松浦郡の玉嶋神社を遷する。
玉嶋神は水神にて称玉嶋明神、道祖神の妻神とも伝わる。(略)
松浦氏「元亀の変」後左遷され牛野に新田開発所替えとなりたる際玉嶋社を残置せり。
永き年月を経て昭和末頃玉嶋社は四郎丸に遷座し、その後故ありて社殿は焼かれ御正体の玉鏡のみ落合観音の院生に奉持されいたるを、手倉田住の有志畏れ多い事として謹みてこの地に迎え宮居を奉仕し、再び手倉田の鎮守となりたるもの也。(平成二十四年十二月吉日 玉嶋神社奉賛会)
再建されたのはこの祠のようです。地蔵と石碑は再建前からここに存在していたと思われます。
宮城県神社庁のHPには、玉嶋神社は明治維新後に市内の増田神社に合祀されたと記録されています。合祀後も残っていた御正体を、有志がこの地に再び祀ったということなのでしょう。
なお、当社が肥前国松浦郡から遷したと由緒に説明されている神社は、神功皇后を祭神とする玉島神社として佐賀県唐津市に現存しています。
EOS R, EF17-40mm F4L USM