2024年7月21日日曜日

三囲神社

三囲(みめくり)神社(宮城県仙台市青葉区一番町4丁目8-15)


 青葉区一番町の仙台三越の屋上に鎮座しています。



 鳥居をくぐると、赤と白のふたつの社が現れます。


 向かって右側の赤い社が三囲神社です。

 東京都墨田区向島にある三囲神社が、「囲」が「(三)井」を囲んでいることから、「三井を守る」ものとして三井家の守護神となったと云われています。

 三井越後屋を承継した三越が大正3年(1914)に日本橋三越本店屋上に三囲神社の分霊を祀ったのが最初で、その後、全国の支店屋上に三囲神社が置かれるようになったということです。


 左側の白い社は、商売繁盛の神である大黒天を祀った日之本開運活動大黒天です。東京の日本橋三越には高村光雲の作による尊像が祀られているということです。
(以上、日本橋三越本店HP「日本橋三越本店の歴史再発見」参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

藤崎えびす神社

藤崎えびす神社(宮城県仙台市青葉区一番町3丁目2-17)


 今日は青葉区一番町に鎮座している和霊神社、えびす神社、野中神社の合同の祭りである「一番町三社まつり」の日です。


  えびす神社が鎮座する藤崎デパートの前には神輿が準備されていました。午後から神輿渡御が行われるようです。


 さて、えびす神社に参詣するため藤崎デパート1階の受付で尋ねると、エレベーターで屋上まで登るよう案内されました。

 屋上に到着すると、ビアガーデン用に用意された椅子テーブルの奥に神社がありました。



 藤崎えびす神社は、兵庫県西宮市に鎮座いたします西宮神社が総本社でございます。
 西宮市は古来銘酒の産地として名高く、その中心部に西宮神社が鎮座いたしておりますが、「にしのみやのおえびすえん」として全国津々浦々の人々に崇敬されてまいりました。(略)
 藤崎百貨店は、文政ニ年(1819)呉服商として創業いたしましたが、当時屋号を「得可主屋」(えびす屋)と称しておりましたので、当時から商いの神様おえびすさんをお店の氏神様として崇めておりました。
 昭和七年(1932)に本格的なデパート店舗の建設を機会に店舗屋上に奉斎いたしまして今日に至っているものでございます。(境内掲示「奥州仙台七福神 藤崎えびす神社 由来」から引用)


 デパートの屋上に神社という組み合わせは全国に多くの例があり、めずらしいものではむしろないようです。

 商人が商売繁盛を祈願して神様を祀るのは普通のことです。個人商店の店舗の一角に神棚があるように、デパートの屋上にはそれぞれの氏神が祀られた神社があるのでしょう。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年7月5日金曜日

仙台八坂神社

仙台八坂神社(宮城県仙台市宮城野区岩切若宮前11-7)


 宮城野区岩切の仙台八坂神社です。



 境内が夏の装いになっていました。


主祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと)

文治5年(1189)6月7日、高森城主・伊達家景が京都の祇園から勧請し、始めは岩切村余目家の城内に鎮座し、圭田・二十石を納む。後、同村の台ヶ原頂上に座して天王山と称す。戦国・天正の頃より社殿荒廃し祭事を欠くに至る。仙台藩主伊達政宗公、寛永年中、天王山より現在の地に遷宮し、祭田・二百文(二石)の地を寄進し厚く祭事を行う。神仏混淆の際より、祇園牛頭天王社と称したが、明治の初め現社号に改め、明治6年(1873)に郷社に列し、大正3年(1914)12月幣帛供進社に指定された。また明治43年(1910)4月、各区内鎮守社を本社に合祀した。(宮城県神社庁HPから引用)


 こちらは本殿です。


 牛頭天王像(ごずてんのうぞう)です。

 頭に瘤があるのが八坂神社の牛像の特徴で、八坂神社は昔から「瘤とり神社」として礼拝されてきたそうです。いぼのある人が頭の瘤を一週間なでると治ると云われているとのことです。



 境内社の冠川(かむりがわ)神社です。

 現在、鹽竈神社と並んで鎮座している志波彦神社は、明治7年(1874)にこの場所から遷宮されたものです。冠川神社は、その3年後に志波彦神社から再び分霊され、現社名でここに鎮座しています。

 志波彦神社がここから塩釜に移されたのは、社殿造営のための社地が狭かったからだそうです。志波彦神社は延喜式の神名帳に載せられた格式の高い官社なので、もし遷宮されなかったら、今は八坂神社の境内社にとどまってはいなかったかもしれませんね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年7月3日水曜日

田村神社

田村神社(宮城県仙台市宮城野区福田町2丁目1-19)

 JR仙石線福田町駅から南に650mほどの住宅地に鎮座しています。



主祭神 猿田彦神(さるたひこのかみ)

田子字町裏に鎮座する。本村福田の地、まだ人民の居住なき時から此処に小祠があつて近隣の崇敬を受けていたというも勧請年代等は詳かでない。弘化三年(1846)宮殿を再興し其後屡々改修を加えて今日に及んでいる。(「仙臺市史」昭和28年版から引用)


 社殿です。右隣りは集会所です。


 境内社です。


 なお、神社から北に300mほどの場所に立派な社務所があります。


 近隣の神社数か所の社務所を兼ねているようです。社務所の中は広間になっていて、各神社の祭事を受け付けています。企業の事務受託会社のような感じですね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

八鍬八幡神社

八鍬(やくわ)八幡神社(宮城県仙台市宮城野区高砂2丁目18-7)


 宮城野区高砂の七北田川沿いに鎮座しています。


 鳥居側はフェンスで囲われているので、裏に回って境内に入ります。



元禄三年(1690)の勧請で、これより先、七北田川本村の西より南に流れ、動もすれば堤防決壊して村民水害を受くることが多かつたので、村民其の壊れる所に新たな鍬八挺を立てゝ八幡神を祀つたところ、爾来堤防堅固水害を蒙ることが無いので、その神徳を感じてこれを勧請したとの云伝がある。(「仙臺市史」昭和28年版から引用)



 境内の由来碑によると、昭和58年(1983)から始まった高砂地区区画整理事業により地域の様子が一変したのを機に、老朽化、狭隘化していた鞘堂新築の気運が高まって、平成3年(1991)9月に現在の鞘堂が竣工したとのことです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年6月27日木曜日

貴富祢神社(上谷刈)

貴富祢神社(宮城県仙台市泉区上谷刈5丁目1)


 泉区の仙台北環状線沿い、泉中央病院近くの狭い石段を上ると、住宅街の中に「貴富祢神社専用通路」という立て札があり、ここから神社に入ります。


 専用通路を抜けるとすぐ社殿があって、その先に鳥居があります。鳥居の周りはフェンスで囲まれていて、こちら側からは入ることができません。



現在は丸山団地の一角に祭られています。小角にある貴船神社とは直線で4キロメートルも離れていて、丸太沢地方の村鎮守として祭られたものと考えられています。神社の名前にちなんだのか、木製の舟の模型が絵馬代わりに奉納されています。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第8回 上谷刈めぐり 秀衡街道を歩く」から引用)


 社殿は「鞘堂」(さやどう)と呼ばれる素通しの構造物で覆われています。


 鞘堂の中の様子です。

 平成10年(1998)に発行された「仙台・泉の散歩手帖」には「社殿も長床も今にも倒壊しそうな状態である」と記載されていますが、その後関係者の尽力により境内が整備されたようです。



 狛犬や石灯籠も近年新たに奉納されています。地域の鎮守の支え手が健在なのはうれしいかぎりです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

道路神社

道路神社(宮城県仙台市泉区上谷刈3丁目17)


 泉区上谷刈のマンションと福祉施設が集中的に立地する地域の一角に神社がポツンと鎮座しています。



 鳥居や社殿に扁額はありませんが、わずかに鳥居の柱に神社名が記されています。その名も道路神社。神社の名前としては全国にも例がなく、極めてめずらしいものです。


もともとは道六神(道陸神)でしたが、近代的な道路神社に改められました。昔の言い伝えでは、古街道に塚を築くとき測量に用いた縄を納めて祭ったとされています。特別なご神体はありません。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第8回 上谷刈めぐり 秀衡街道を歩く」から引用)


 この周辺には江戸時代に奥州街道が整備される以前は奥州山道(秀衡街道)という道が通っており、人々が利用していたとのことです。道六神は道祖神のことなので、神社は道の安全を祈願して祀ったものと思われます。


 現在はマンションが開発計画に沿って整然と配置されており、人々が歩いて山越えをしていた頃の痕跡はありません。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM