2026年6月16日火曜日

城丸明神

城丸(じょうまる)明神(宮城県仙台市太白区四郎丸大宮)


 太白区四郎丸の城丸古墳の上に鎮座しています。

 城丸古墳は未調査で築造の時期は不明ですが、「高さニ・ニメートル直径約二十三メートルの円墳で周溝を伴うものと考えられる 葺石や埴輪片は見られない」(構内説明塔「城丸古墳」(仙台市教育委員会)から引用)とのことです。


 古墳の上に建っている城内明神の由緒等は不明です。

 複数のブログ等では、昭和21年(1946)に大崎市古川の斗蛍(とけい)神社の分霊を勧請されたと説明されています。(その情報元の確認が取れていない状態です。)



 境内には石碑が多数存在し、明治時代の刻字も確認出来ます。この社が昭和21年(1946)に創建されたのが事実としても、この場所にはそれ以前にも何らかの宗教施設的なものがあったのではないかと想像されます。

参考資料:仙台市文化財パンフレット第56集「国史跡遠見塚古墳」

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

神明社(四郎丸)

神明社(宮城県仙台市太白区四郎丸神明95-1)


 太白区四郎丸の公道沿い、四郎丸公会堂の向かいに鎮座しています。



 由緒等の確かなところは判りません。

 西中田に鎮座する中田神社のHPに、明治42年(1909)3月宮城県の許可を得て旧四郎丸村村社神明社ほかを合祀したとの記載があります。この社は中田神社に合祀された神社が今も残っているものと思われます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM


2026年6月10日水曜日

小力神社

小力(こぢから)神社(宮城県利府町沢乙東5-6)

 利府町沢乙東の住宅団地に鎮座する小力神社です。


祭神 奈良戸屋根命、手力雄命(てぢからおのみこと)

小刀神社の祭神は、奈良戸屋根命、手力雄命である。安永風土記によれば、鹽竈神社十四末社として観請された神社である。(中略)小刀神社を小力神社(こぢからじんじゃ)と呼んでいるが、小刀の文字を小力と見て書き呼んでいるのではないかと思われる。宝永七年(一七〇五年)十月十六日に再建され、鹽竈神社の末社として毎年三月十五日を祝祭日として神事を行っていた。大正五年(一九一五年)には伊豆佐比賣神社に合祀され、平成八年(一九九六年)に現在の社殿を建て遷祀されました。(境内掲示「正一位小刀神社」(利府村史より)から引用)

 祭神の「奈良戸屋根命」はどのような神様なのか不明です。Aiは、日本神話に登場する天児屋根命(あめのこやねのみこと)のことだと断定していますが、その根拠は示されておらず、今のところすぐには信じられない状況です。

 もう一柱の祭神である手力雄命(てぢからおのみこと)は、天岩戸の扉を開けて天照大御神の手を引いて導き出したと言われる怪力の神様です。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

八幡神社(利府町中央)

八幡神社(宮城郡利府町中央3-6-1)



 利府町役場から県道仙台松島線(通称、利府街道)を挟んで東南に500mほどの場所に鎮座しています。



主祭神 大鞆別命(おおともわけのみこと)

利府町誌によれば、この宮についての記述は安永風土記等江戸時代の文献の古文書には記録されていないとされています。しかし、その由縁は民間の伝承で分かるとされています。その由縁というのは、「ずいぶん大昔のこと、陸奥国に大地震があって、大津波に流されてきた八幡村(現多賀城市)の八幡様の御神体をおまつりしているのだ」というものです。今の多賀城市の古老の人々はこの宮を「泥八幡」といい、利府では「流れ八幡」といっていました。(中略)また、この伝承にはつづきがあり、加瀬の小林主膳の遠い先祖の人が大昔の大津波の時に加瀬一本杉のあたりで御神体を泥から取り上げ、「流れ八幡」としておまつりしていましたが、いつのころからか利府の人々による共同の祭典になったということです。(後略)(境内掲示「八幡神社」平成8年3月利府町教育委員会から引用)


 境内はきれいに整備され、清掃もいき届いています。


 鳥居の脇に松尾芭蕉の句碑が建っています。句は「やすやすと出でていざよふ月の雲 」。1793年に芭蕉百年忌に際して地元の俳諧師たちが建立したもののようです。(神社の歴史とは関係ないかもしれません。)

資料参照:HP「宮城県の文学碑 場所毎」

EOS R, EF35mm F1.4L USM