2023年8月26日土曜日

白水稲荷神社

 白水稲荷神社(宮城県仙台市青葉区台原1丁目6−1)


 仙台市青葉区の台原公園の中に社があります。



















 近年、仙台市がこの公園を整備し直したようです。神社のほか、子ども用の遊具、花壇なども整然と配置されていて、ていねいに管理されています。かつては人気のない林の中にあり、心霊スポットでもあったようですが、今はその面影はありません。

 神社の由来については、仙台城址にある白水稲荷大神から分祀されたという説、奥州藤原氏との関連を示唆する説など諸説あるようです。

 ネットで仙台の郷土史家三原良吉氏(1897-1982)による論考「白水稲荷神社縁起」を見つけたので、少し長いですが引用します。

 白水稲荷は、もと青葉ケ崎に在り、慶長五年藩祖伊達政宗公仙台築城当り之を杉山台の原に奉還せりといゝ伝うも、創建はそれよりも更に古きが如し、社寺は古の国府中山(こふのなかやま)と称せる地にして、この地と国府の関係は不明なるも藤原相之助氏の説によれば武隅国府が貞観十一年の大津波により潰敗せし時、この地に移されし事ありし為めなるべしと云えり。この地一帯は平泉藤原氏時代には信夫荘司(しのぶのしょうじ)佐藤基治(もとはる)の所領たりき。基治は有名なる嗣信、忠信の父にして夫人は藤原清衡の季子清綱の女(じょ)なりしが嫁するに当り清衡の護持仏たりし十一面漢音を奉持し来たりしかば、基治十一面観音を本地仏とする天神を現在の台ノ原一本松の地に祀り麓に別当大松寺を建て、観音を安置せり。一本松を元天神と称することはこの為めなり。
 又台ノ原の北方八乙女の白水阿弥陀堂ありて古瓦を出土す。同名の白水阿弥陀堂は石城郡内郷にも在りて石城の地頭岩城則道の夫人徳尼の建つる処、今国宝に指定さる。徳尼は藤原基衡の女(じょ)にして、白水の名は故郷平泉の泉の字を二分して白水と号せりといゝ伝う。
 されば八乙女の白水阿弥陀堂も平泉と関係ありしが如く基治夫人などの建立にあらざるなきかを思わしむ。これと同名の本社白水稲荷は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祭神とし、白水阿弥陀堂の鎮守たる地主神として祀れるものなる可く古は大社なりしと思わる。本社が平泉と関係ありと思料さるゝは社地の背後に東鑑(あづまかがみ)に記されし国府中山物見ケ丘の在る事之なり。
 こは国府の台の原に在りし頃の物見にして、文治五年八月源頼朝の平泉征伐に当り藤原泰衡ここに軍兵を屯せしめ鎌倉勢と一戦せること東鑑に明記あり。
 要するに中世仙台地方の記録の存するもの無く本社亦記録を失いしも平泉時代藤原氏の一族たりし佐藤基治の祀る処に係るが如し。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

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