矢先神社(宮城県仙台市宮城野区二十人町36)
JR仙台駅東口の二十人町にある郵便局の脇から入ります。
主祭神 天照皇大神、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
宮城県神社庁のHPから由緒説明を引用します。
天平年中の創建の古社という。(口碑)。古記録は焼失の為、由緒は詳かではないが、藩政時代からは、次の通りである。伊達2代忠宗公の治世中、寛永13年(1636)~万治元年(1658)約20年の間に二十人町に弓組が置かれました。承応2年(1653)忠宗公が榴岡で弓の指南役屋崎隼人の射を見、その百発百中に驚き、弓組の矢先を守らせ給えと願い、その矢と屋崎にあやかるため崎をとり、矢崎明神を鉄砲町和光明神のとなり(二十人町地内現57番地附近)に創建せられ、二十人町に住む弓組足軽たちの守り神として崇敬されました。明治維新後、種々変遷があり、同明神境内地は村上留蔵氏の所有となりました。明治10年(1877)5月、文部省令により無格社神社として認可になり、同時に祭神として天照皇大神、倉稲魂命(作物の神)を祀り、二十人町住民を氏子として繁栄して参りました。明治23年(1890)4月、村上留蔵氏所有地より現在地二十人町37番地(176.7坪)に移りましたが、同31年(1898)3月31日夜、神社の一隅より失火、全焼し、同年8月新築落成遷宮し、社名を矢先神社と改めました。
二十人町という町名は、藩政時代に二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組が置かれていたことに由来するもの。
周辺にはほかにも弓ノ町、鉄砲町という地名も残っており、この辺りは伊達藩の兵隊たちが居住した地域だったようです。彼らの守り神となっっていた神社が今もいくつか存在しています。
参道には、かつて二十人町の西口付近を横切る四ツ谷用水の支流に架けてあった思案橋の親柱が残っています。「思案橋」という名前の由来は、谷地小路や天神下方面に遊里があった頃、行こうか行くまいかこの橋の辺で思案して通ったという話のほか、いくつか伝えられているそうです。(以上、仙台市設置「思案橋」説明板より)
EOS R, EF17-40mm F4L USM
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