橋姫明神(宮城県仙台市太白区長町1丁目8)
太白区長町の広瀬橋のたもと、川沿いの土手に連なる木立の中に鎮座しています。
供養碑と小さな祠があります。
橋供養の石碑は、長町の伝説である橋姫を供養するために、現在の根岸町にあった木場に働く木場連の人々が、藩政時代の文政6年(1823)に建立したものと伝えられる。その後、広瀬橋のたもとでそば屋を営業していた南部家で石碑と橋姫祠を預かり、長い間祭祀を執り行ってきた。都市計画道路によって南部家も移転を余儀なくされ、昭和57年(1982)に南部家では仙台市に橋姫明神社と橋供養碑、及び永町橋の礎石を寄贈した。(境内設置、「橋姫明神由来」から引用)
橋姫伝説とは、藩政時代に度重なる広瀬川の氾濫に苦しめられていた住民が、竜神の怒りを鎮めるため人柱を出すことになり、長者の娘が身を捧げたところ大水はたちどころに引いて、川に橋をかけることができた、というもの。人柱となった娘は橋姫として供養されています。(前掲、「橋姫明神由来」を参照)
ただ、この伝説は、洪水の恐ろしさ、治水の困難さを強調するための創作だと思われます。
祠のすぐ近くに、旧永町(ながまち)橋(現在の広瀬橋)の礎石が残されています。かつては長町をこう表記したんですね。
EOS R, EF24-105mm F4L IS USM
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