浪分神社(宮城県仙台市若林区霞目2丁目15-37)
若林区霞目の住宅地に鎮座しています。太平洋に面している荒浜海岸から直線で6kmほどの距離に位置しています。
祭神 鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
もと、稲荷神社といい八瀬川稲荷堂(共同墓地)あたりに在った。(略)ここに隠居、又右衛門の肝いりで村民相集って小祠を創建した。時に元禄十六年(一七〇三年)八月十六日であった。古老の談では、その後あるとき大津波あり、幾波となく押し寄せ多くの溺死者を出したがやがて白馬に跨った海神が現われてこの大波を南北に二分して鎮めたと伝えられている。これ以来稲荷神社に対する津波鎮撫の霊力信仰が高まり、その名も「浪分大明神」と呼ばれるようになった。(略)天保六年六月の大津波は小祠奉献以来この地を襲った最大のもので、この年にはこれに続いて閏七月に二回も大洪水あり、天保十年まで全国的に荒天が続き冷害となり天保の大飢饉となる。この惨事を救うべく当時の神主津田民部は、文化八年(一八一一年)より村人により祀られてきた庚神・疱神・山神信仰の由緒深い、五百メートル程西方の現在地を卜占し小祠を奉献、いぐねを伐ってお堂を建て、翌天保七年(一八三六年)二月十二日、新たに祭神、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)のご神体を奉納、石造り神明大鳥居を配し、除災を祈願された。爾来津波の災害も減少した。(境内掲示「浪分神社の由来」から引用)
2011年の東日本大震災では、海岸線から2kmほどの場所にある高架式の仙台東部道路が防波堤となり、こちらまで津波は到達しなかったようです。
こちらは1975年に再建された本殿です。栗の自然一本木を用いた素木(しらき)造り丸柱一間社です。
旧本殿と同様に縁下に小祠を納めたとのことです。(前掲「浪分神社の由来」参照)
EOS R, EF35mm F1.4L USM
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