2026年8月26日水曜日

八幡神社(多賀城市)

八幡神社(宮城県多賀城市宮内1丁目2-50)

 多賀城市宮内1丁目、仙台港背後地の工業団地の外れに鎮座しています。




主祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと / 応神天皇)、息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと / 神功皇后)、比賣神(ひめのかみ)

八幡神社は、延暦(えんりゃく)年中(782~806年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が勧請(かんじょう)したと伝えられる神社です。
当初、歌枕「末の松山」の西方「古舘」と呼ばれる台地に鎮座していたことから「末松山八幡宮」と呼ばれ、その南にある馬場という地区は、祭礼の際、流鏑馬(やぶさめ)が行われた場所であるからと伝えられています。
また、天喜(てんぎ)・康平(こうへい)年間(1053~1065年)、源義家(みなもとのよしいえ)が鞢(ゆがけ)を奉納したことから鞢八幡、さらには、八幡の地がかつて「興井郷(おきのいのさと)」と呼ばれていたことから「沖八幡」とも呼ばれていました。
現在の宮内地区に移転したのは、鎌倉時代に八幡(やわた)氏が古舘の地に館を築いたことによるといわれています。(多賀城市文化財課HP「多賀城市の文化財」から引用)


 こちらは本殿です。


 推定樹齢240年とされる高野槙(コウヤマキ)です。市の保存樹木になっています。

 かつてこの場所には約800本の杉の木からなる鎮守の森がありましたが、東日本大震災における3mの津波により枯死してしまったとのこと。しかし、この杉の木がフィルターとなり社殿を守ったのだそうです。


 石碑は一箇所にまとめられています。


 境内社の萩原神社です。

資料参照:宮城県神社庁HP、公益財団法人日本文化興隆財団HP「ぶんぶくの森」

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2026年8月24日月曜日

五社稲荷神社

五社稲荷神社(宮城県多賀城市笠神2丁目3-12)


 多賀城市の五社稲荷神社です。宮城県多賀城高等学校の北300mほどにある中華料理店と一般住宅の間にある鳥居を入ります。




 神社の由緒等はまったく判りません。

 社殿に掲げてある扁額には「正一位休塲五社稲荷神社」(休塲の「塲」は「場」の俗字)と記されてあります。「休塲」は近くに「休場」(やすみば」というバス停があることから、この周辺のかつての地名のようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2026年8月19日水曜日

大崎八幡宮

大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1)

 青葉区八幡の大崎八幡宮です。毎年1月14日には、正月飾りを御神火に投げ入れ一年の無病息災を祈願するどんと祭(松焚祭)が行われ、10万人の人々が訪れる県内有数の大きな神社です。


  一の鳥居、二の鳥居を抜けて石段を上ると、三の鳥居が見えてきます。境内が広いです。写真には写っていませんが、三の鳥居の左奥に松焚祭の御神火が焚かれる場所があります。

 こちらは長床です。国の重要文化財になっています。

 社殿です。安土桃山時代の遺構として国宝に指定されています。

祭神 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇

伊達政宗の仙台開府後の慶長七年(一六〇二)それまであった岩手沢(現岩出山)より遷宮。同九年(一六〇四)起工、同十二年(1607)完成。大崎八幡の名は遷宮以前の大崎の地よりとったもの。米沢西郊の成島八幡に起源を有すとも胆沢郡八幡邑より分社したともいわれるが詳細は不明。

社殿は拝殿本殿そしてそれらを連結する石の間の三殿が一体となった権現造り形式を有す霊廟建築で、豊国神社を模したものという。本殿内陣には中央に応神天皇、右に仲哀天皇、左に神功皇后を祀り、神殿内外とも黒漆塗りで、長押より上には極彩色の彫刻が施され、桃山建築の典型といってよい。

長床は別名割拝殿とも呼ばれる素木造りの建物で、極彩色の社殿と比較すると対照的に落ち着いた風格を有す。向かって左側は、能舞台になっており、九月十四日の祭礼で宮城県指定無形文化財の能神楽が奉納される。(境内掲示「大崎八幡神社」仙台市教育委員会から引用)



 拝殿の奥が本殿ですが、小規模な工事が行われているのかブルーシートがかけられていて、よく見えませんでした。残念です。


 境内社が数々あります。代表として、こちらは太元社(たいげんしゃ)。このほか、諏訪社、鹿島社、北辰社、稲荷社、龍神社、金刀比羅社など、総計7つの境内社があります。

EOS R, EF17-40mm F4L USM