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2024年5月9日木曜日

熊野神社(古川中里)

熊野神社(宮城県大崎市古川中里3丁目1-21)


 大崎市古川中里に鎮座する熊野神社です。



祭神 家都御子神(けつみこのかみ)、熊野速玉神(くまのはやたのかみ)、熊野夫須美神(くまのふすみのかみ)、武甕槌神(たけみかつちのかみ)

霊元天皇の御宇貞享元年(1684)九月一九日、和歌山の熊野速玉神社より、お分霊を勧請奉戴したものである。明治五年(1872)三月には、村社に奉戴され中里村の鎮守として、崇拝され、今日に至っている。(「古川市史」平成13年版から引用)

 熊野信仰は「極楽浄土の信仰が修験道と結びつき、生存中に熊野詣をすると極楽の世界へいくことができる」(前掲「古川市史」参照)というもの。平安時代中期から鎌倉にかけて熊野詣が盛んに行われたそうです。


 本殿です。当神社は元文四年(1739)に火災により社殿を焼失して以後、再建及び小規模の修復を行っており、昭和42年(1967)に末社であった鹿島神社の社殿を本殿として現在に至っているとのことです。


 境内社の姥玉社です。


 この日は大崎市古川の神社を3社訪問しましたが、夕方だったためいずれの社も西日の強烈な逆光にみまわれ、写真を撮るのに四苦八苦しました。何事も適切な時間を選ばなければなりませんね。

PoweShot S120

金刀比羅神社(古川)

金刀比羅神社(宮城県大崎市古川中里1丁目5-3)

 
 JR東北新幹線古川駅の西700mほどの大きな民間病院の敷地内に鎮座しています。


台屋敷に、いつ、誰が勧請したかは不明である。この神社は、過去に二~三度の火災にあい全焼し、現在地に遷座されたとのことである。大正九年(1920)に廃絶寸前の社殿を、千葉卯七氏を中心とした台町の有志の寄附を得て、現在の地に祀ることができたといわれている。(「古川市史」平成13年版から引用)

 地元の古川神社の奉仕神社という位置づけがされており、当社の管理は古川神社が行っているようです。


 拝殿と、


本殿です。


 帆に七福神が描かれた宝船が置かれています。「こんぴら船々 追手(おいて) に帆かけて シュラ シュ シュ シュ」と民謡に唄われている船でしょうか。


 「古川馬車鉄道用馬」と刻まれた石碑です。古川市史には「明治三五年(1902)に建立されおり、当時の馬車鉄道の繁栄を知ることができる」と記されています。

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古川道祖大明神

古川道祖大明神(宮城県大崎市古川駅前大通1丁目3-14)

 JR東北新幹線古川駅前の商業地区の一角に鎮座しています。



その昔当地古川駅前は陸前の国中里村の東端に位置し、道祖神の祠もあって村に入る悪疫を防ぎ諸々のご利益ある守護神として信仰をあつめておりましたが永いあいだの度々の洪水消滅してしまい何時か忘れられていました。(略)昭和五十七年(1982)六月二十三日(略)新幹線開通記念事業として奉賛会を結集し駅前ゆかりの地へお稲荷様を合祀して五穀豊穣商売繁盛悪疫退散旅の安全男女良縁幼児の守護を祈願し古川道祖大明神と称号し奉り再建したものであります。(境内掲示説明板から引用)


 1982年に再建された比較的新しい神社です。毎年古川商工会議所などが中心となって行われる「おおさき古川まつり」では当社を起点とする神輿渡御が行われるそうです。

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