2024年6月12日水曜日

山津見神社遥拝所

 山津見神社遥拝所(宮城県柴田郡柴田町槻木下町1丁目1-60)


 柴田町槻木下町の歯科医院の敷地内にあります。



 山津見神社は福島県相馬郡飯舘村にある神社で、大山津見神(大山祇命)を祭神とし、白狼を眷属(従者)としています。狼は火難、盗難、害獣を除く力があるとされ、東北地方においても広く信仰されていました。

 こちらにあるのは飯舘村の山津見神社の遥拝所です。山津見神社の分霊社は宮城県に数か所存在しますが、遥拝所という形はここ以外にはないとのこと。この遥拝所では狼の図像が入った御札などを配っていたそうです。

 オオカミ信仰と聞くと、月夜に変身のようなオカルトを想像してゾクゾクしますね、不謹慎ですが。それはともかく、狼には人を畏怖させ、同時に惹きつけるものがあるのは確かだと思います。



 正確にはここは山津見神社遥拝所の跡地です。遥拝所は1989年に解体されており、今は鳥居と小さな社が残されています。

 遥拝所の中に保存されていた絵馬、御札、大麻、版木、幣束などの資料は、柴田町の施設である「しばたの郷土館」に寄贈され常設展示されています。



 遥拝所は明治38年(1905)には存在していたと推定されるそうです。

 社の隣に遥拝所の創設者で所長だった國井久仙の碑が残されています。國井久仙の経歴は不明な部分が多いですが、出羽三山参詣の先達であったようだということです。

(以上、石黒伸一朗「福島県飯舘村山津見神社の狼が描かれた天井画」「柴田町の山津見神社槻木遥拝所」、『仙台郷土研究』39巻、40巻所収を参照)

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

槻木上町小社

槻木上町小社(宮城県柴田郡柴田町槻木上町2丁目1)


 JR東北線槻木駅前のJAが経営するスーパーの敷地内に鎮座しています。


 鳥居はありません。社殿は小さいですがコンクリート製で立派です。


 「古峯大神、黄金山大神、早雲大神」と記した扁額があります。三神が祭神と思われ、扁額が金華山縣社黄金山神社社司によるものなので、この社が金華山の黄金山神社に関わりがあることは確かなようです。それ以外の由緒は不明です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

竹原神社

竹原神社(宮城県柴田郡柴田町槻木白幡4丁目3-10)

 柴田町槻木の八幡神社の二の鳥居をくぐってすぐ、左側の石段を上ると八幡神社、赤い鳥居をくぐれば竹原神社です。

 幾重に連なった鳥居を進みます。

 途中に龍頭の石灯籠があります。龍の灯籠はめずらしいようです。


祭神 保食神(うけもちのかみ

文明2年(1470、室町)9月入間野邑小池要助なる者の勧請にかかる。嘉永3年(1850)12月神祇官公文所から正一位竹原大明神の神階称号を受けた。明治12年(1879)8月竹原神社と改称した。(宮城県神社庁HPから引用)

 拝殿裏のこちらが本殿だと思われますが、


拝殿左脇の鳥居を進むと奥宮のようなものがあり、



お狐さまがたくさん祀られていました。今の社殿が建つ前の元の社殿の跡のようにも思えますが、調べきれませんでした。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

八幡神社(槻木)

八幡神社(宮城県柴田郡柴田町槻木白幡4丁目3-11)


 一の鳥居は柴田町槻木の表通りに面していますが、


続く参道がけっこう長く、熊でも出るのではとヒヤヒヤしながらしばらく歩くと、


長床がようやく見えて来ます。


 長床です。狛犬ではなく、石を積んだ魔除けに迎えられます。


 長床をくぐると境内は広々としています。


祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇

元は成就山白幡寺満藏院の守護であったが、癈寺の後は獨立の神社となった。康平五年(1062)源義家の勧請である。明治五年(1872)九月村社に列せらる。傳に曰く、人皇第七十代御冷泉天皇の御宇天喜四年(1056)鎮守府将軍源頼義並びに義家朝臣陸奥へ御出陣阿部頼時及び貞任宗任等を征伐するとき、氏神八幡宮へ祈誓した。依つて奥羽の賊を平定してから康平五年(1062)氏神八幡宮を此地に勧請し、白旗を奉納した。此の地方を白旗と呼ぶは之に起因したのである。郷俗また曰ふ、八幡太郎義家祈願の際北を向いて八幡に祈つたといふので今尚北向八幡と呼んでゐる。(「柴田郡史」昭和47年版から引用)

 
 拝殿の裏手にある本殿です。


 寺院の守護であった名残とも思える鐘撞き堂です。

 この日は最高気温が30度を超える暑い日でしたが、境内にはさわやかな風が流れていました。長い参道を含め広い境内を管理するのはたいへんだろうと思います。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年6月11日火曜日

春日神社(青葉区八幡)

春日神社(宮城県仙台市青葉区八幡2丁目11-16)



 青葉区八幡2丁目の住宅地に鎮座しています。鳥居は木製で、周りの自然によくマッチしています。



祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

伊達政宗公開府以前の領主で国分氏最後の当主、国分重盛の子「玄性坊実永」が、小田原の地(現青葉区宮町一丁目)に「覚性院」と「春日神社」を建立したが承応ニ年(1654)仙台東照宮造営に伴い、現在地に遷座したことに始まる。その後、明治の神仏分離により覚性院は廃寺となったものの、氏子となる地区町内住民の「春日講」(現「春日神社奉賛会」)により維持運営されています。(境内配布小冊子「大崎八幡宮兼務社 春日神社 愛宕神社」から引用)




 神社の前には伊達政宗が整備した四ツ谷用水の本流が東西に流れていました。南北方向には「へくり沢」という小川があって、四ツ谷用水と立体交差していたそうです。今もその痕跡を見ることができます。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

愛宕神社(青葉区八幡)

愛宕神社(宮城県仙台市青葉区八幡1丁目4-3)


 青葉区八幡の県道31号に道標が立っているので、それに従い奥に進みます。



 宮城県宮城第一高等学校の校舎裏手に鎮座しています。


祭神 火産霊神(ほむすびのかみ)

八幡一丁目(旧十二軒丁)に鎮座する愛宕神社は、「封内風土記」(安永元年)によると「在ニ彌勒院中一同レ上」とあり、創建年月日は不明ですが少なくとも江戸時代中期頃には弥勒院の境内社として記録があります。江戸時代は火災が多く発生しており、(略)宝永五年(1708)には石切町(現在の八幡二丁目)より出火し、国分町及び原町周辺まで延焼。仙台城下の殆どが焼失した仙台で最大の火災となりました。その後神社を再整備、以降今日まで大きな火事も無く、十二軒丁愛宕神社は地域の火防の神様として現在に至ります。(境内配布小冊子「大崎八幡宮兼務社 春日神社 愛宕神社」から引用)


 現在は大崎八幡神社の兼務社となっており、十二軒丁親交会がお世話をしているようです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

藤森神社

藤森神社(宮城県仙台市青葉区八幡4丁目2-8)

 青葉区の大崎八幡宮の東240m、マンションの裏手敷地内にひっそりと鎮座しています。


 鳥居の扁額に神社名があり、賽銭箱も用意していることから、個人の氏神ではないようです。しかしながら、資料がなく由緒等は判りません。


 社殿内に狐が見えるので稲荷社でしょうか。平安貴族風の人物像も祀られています。地味な神社ですが、きちんとお世話をされているようです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM