2024年9月11日水曜日

雷神社(中野)

雷(らい)神社(宮城県仙台市宮城野区中野1丁目22-1)

 仙台港背後地の整然と造成された住宅地に鎮座しています。「かみなり」でも「いかずち」でもなく、「らい」神社と読むようです。


 拝殿です。

主祭神 大雷神(おおいかづちのかみ)、水波能売神(みずほはめのかみ)、御井神(みいのかみ)

中野地区の護り神として此の里に鎮座する雷神社の詳細は不明なれど、宮城郡誌並びに古老たちの口伝に依ると、元禄の頃より鎮座ましませしが、嘉永6年(1848年)に野火にて延焼灰燼に帰すとあり、その後再建。明治5年(1872)1月に村社に列せられ、昭和46年に当時の北新田地区より沼向に移転。さらにその後、仙台港背後地土地区画整備事業の計画により、雷神社は再移転を余儀なくされ、平成4年(1992)に神社総代を中心に建設委員会を設立し、現鎮座地(福室字県道前)にご本殿、石鳥居、石碑類を移設。老朽化による損傷が著しい拝殿はその際に解体。平成15年(2003)10月新社殿完成。農産豊穣、家内安全、交通安全の神として崇敬されている。(宮城県神社庁HPから引用)



 拝殿後方の本殿です。2003年に造営されたのでまだ新しく、金の装飾が豪華で立派です。


 境内にある記念碑の由緒説明は知事名になっています。宗教施設である神社の記念碑を知事名としているのは極めて珍しく、県が実施した仙台港背後地の整備により当社がこの場所に移転したことが関係しているものと察せられます。


 境内社です。向かって左側が三宝荒神、右側が甚光大明神です。こちらも区画整理に伴い移転してきた神社です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年9月6日金曜日

諏訪神社(新田)

諏訪神社(宮城県仙台市宮城野区新田3丁目6-1)

 宮城野区新田の住宅地のちょっと判りにくい場所にあります。Googleマップのナビどおりに行くと、フェンスに囲まれた神社の裏手に案内され、鳥居のある方に来るまでけっこう遠回りになります。


 由緒等不明ですが、明治43年(1910)に岩切の八坂神社に合祀されたという記録があります。(「宮城県神社名鑑」を参照。「仙臺市史」(昭和28年版)では明治41年(1908)に合祀されたとなっています。)

 境内に馬歴碑や馬頭観音碑がいくつかあります。

 かつてこの周辺の坂は荷を積んだ馬車にとっての難所で、重労働に耐えられず命を落とした馬がいたとのこと。これらの石碑は、その馬たちを供養するためのものなのだそうです。(仙台市立新田小学校HP「新田歴史マップ」を参照)

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

羽山神社

羽山神社(宮城県仙台市宮城野区小鶴羽山75-1)


 宮城野区小鶴の高野川沿いに鎮座しています。


 間近に東北新幹線の高架橋が通っています。



一.多賀城主(七百四十年代)の勧請により、五穀豊穣の神社として当地に遷座された。二.鎌倉、江戸時代は、羽山権現社として、奥州各地から参拝者ありと言われた。三.伊達政宗公(一六三〇代)から、二百文のご寄付された。四.明治五年(1872)神仏分離令により八坂神社に合祀された。五.昭和四十七年(1972)氏子から町内会に維持管理移される。 平成十八年三月吉日小鶴北部町内会調べ(境内掲示「羽山(権現社)神社の沿革」から引用)

 社殿の前に狛犬のような像が置かれています。ずいぶんと年代を経ているもののようです。対となっていたと思われるもう片方の像は無くなっていました。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年9月4日水曜日

橋姫明神

橋姫明神(宮城県仙台市太白区長町1丁目8)


 太白区長町の広瀬橋のたもと、川沿いの土手に連なる木立の中に鎮座しています。



 供養碑と小さな祠があります。

橋供養の石碑は、長町の伝説である橋姫を供養するために、現在の根岸町にあった木場に働く木場連の人々が、藩政時代の文政6年(1823)に建立したものと伝えられる。その後、広瀬橋のたもとでそば屋を営業していた南部家で石碑と橋姫祠を預かり、長い間祭祀を執り行ってきた。都市計画道路によって南部家も移転を余儀なくされ、昭和57年(1982)に南部家では仙台市に橋姫明神社と橋供養碑、及び永町橋の礎石を寄贈した。(境内設置、「橋姫明神由来」から引用)

 橋姫伝説とは、藩政時代に度重なる広瀬川の氾濫に苦しめられていた住民が、竜神の怒りを鎮めるため人柱を出すことになり、長者の娘が身を捧げたところ大水はたちどころに引いて、川に橋をかけることができた、というもの。人柱となった娘は橋姫として供養されています。(前掲、「橋姫明神由来」を参照)

 ただ、この伝説は、洪水の恐ろしさ、治水の困難さを強調するための創作だと思われます。


 祠のすぐ近くに、旧永町(ながまち)橋(現在の広瀬橋)の礎石が残されています。かつては長町をこう表記したんですね。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

旅立稲荷神社

旅立稲荷神社(宮城県仙台市若林区若林2丁目1-3)

 仙台市南部の広瀬橋近くの川沿いに鎮座しています。背景に見えるのは仙台市立病院などがある長町の再開発地区です。



 こちらが拝殿です。

主祭神 保食神(うけもちのかみ)

この神社は、白河天皇の永保年間(1081~1083)の創祀といわれ、山城国伏見稲荷神社の御分霊を勧請し稲荷大明神と称する。神社合祀令により明治4年(1871)9月保食神社(うけもちじんじゃ)と改称、村社に列する。昭和34年(1959)9月旅立稲荷神社と名称を変更する。旅立明神と称することについて、藩祖伊達政宗公が青葉山に城を定め、初めて参勤の際、当時、下河原五軒茶屋といわれた赤壁楼にて休息し、この社に代参を以て道中安全を祈り、日を経て無事に帰着したので神恩に感謝し、直ちに神祇官に奏請して「正一位旅立大明神」を賜り、「旅立明神」の社号を奉ったと伝えられている。(宮城県神社庁HPから引用)

 かつては仙台の南は河原町までが城下とされ、この神社が鎮座している付近は城下と外部の境に当たります。「河原町の西南端広瀬川のほとりに下河原五軒茶屋と称された五軒の茶屋があった。かつて江戸参勤の藩主が休み旅人もまたここで別盃を交わすのが習いであった」(「せんだい寸景」NO14,2005年3月から引用)ということです。

 茶屋で別れを惜しんだ旅人は、この神社に立ち寄り旅の安全を祈ったのでしょう。


 稲荷社なので、手水舎で怖い顔のお狐さんが見張っていました。

 広瀬川沿いの土手になっている道路から見た神社です。社殿にけっこう奥行きがあるのが判ります。左側が拝殿、右側が本殿です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年8月27日火曜日

燕沢東小祠

燕沢東小祠(宮城県仙台市宮城野区燕沢東2丁目5)


 宮城野区燕沢東の県道仙台松島線(通称、利府街道)沿いを少し奥に入ったところに小祠があります。

 個人の氏神のようでもあり、外に通じる参道が整備された社であるようにも見えます。



 祠の中を覗いてみたところ、お狐さまが一対祀られていました。由緒等は不明です。

 なお、ネット上には、この社はここの近くにあった糠塚(ぬかつか)古墳に鎮座していた春日神社を古墳の整理に伴いこちらに遷座したものだ、という書き込みがありますが、裏付ける資料を確認することはできませんでした。


 糠塚古墳は、利府街道を挟んで当社の向かい側にあった古墳で、今は地元の新聞社の販売所になっています。

 この古墳は、直径30m、高さ5mの円墳で、昭和37年(1962)に宅地造成工事が行われるにあたり調査が実施されたものの、出土物はなかったとのこと。出土物がなかったため、古墳の年代を客観的に示せないが、その形態から古墳時代中~後期であると位置づけられるそうです。

 調査後は宅地造成のため削平され消失したため、現在は位置だけは確認できる状況にあるとのことです。(以上、結城慎一「糠塚古墳」、『仙台市史』(1995)特別編2(考古資料)所収を参照)

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

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2024.10.25 追記

 当社に係る文献をひとつ見つけたので引用します。

「春日神社」は、利府街道を東に善修寺から200メートル程で左折し、北に50メートル程の処(右側)にある嶺岸家の宅地内にある石祠である。(略)かつては、糠塚(利府街道の傍らの約五メートル周囲の塚であったが、昭和三十二年の産業道路工事のため撤去)の上にあり、東国経営の守護神そして藤原氏の氏神、当時の大地主の氏神としても祀られていたと推測されている。現代になって、平成五年(1993)には嶺岸家の氏神として祀られ、道路に沿った細い参道があり、石段(五段)の上にある。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く」)

2024年8月20日火曜日

山神社(実沢)

山神社(宮城県仙台市泉区実沢立田屋敷) 


 
 泉区実沢の松田病院の近くに鎮座する小社です。



山神社は実沢立田屋敷、泉パークタウンの入り口の病院のそばにあります。
もともとは寺岡山の東側のふもとにありましたが宅地造成により現在の地に移転されました。
言い伝えによると、明治初年(1868)、それまで斧を持った恐ろしい形容をした御本尊が盗難に遭ったことから、改めて同名の小牛田の山神社より分霊を受け神鏡に変えたとされています。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第5回 実沢めぐり 中山道を歩く」から引用)


 仙台市HPによれば、本尊は神鏡とされていますが、社殿の中には女性の像が祀られていました。

 小牛田の山神社から分霊されたとすると、小牛田の祭神である木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の像かと思われます。あくまで想像ですが。

EOS R, EF35mm F1.4L USM