2024年11月22日金曜日

伏見稲荷大明神(東洋館小社)

伏見稲荷大明神(東洋館小社)(宮城県仙台市太白区向山1丁目1-16)




 仙台市内に残る唯一の料亭「東洋館」の敷地内に鎮座しています。

 東洋館の女将のお話によると、この場所はもともとは曹洞宗経部山大蔵寺(だいそうじ)の敷地で、寺の境内に稲荷社が鎮座していたとのこと。

 大蔵寺は明治21年(1888)に廃寺となりましたが、東洋館の前身が明治40年(1907)にこの地で創業し、今日までこの神社はこの場所にあるとのことです。

 神仏習合で寺院を別当としていた神社が、廃寺後には料亭の商売繁盛の神様として祀られているものと思われます。

Canon PowerShot S120

2024年11月21日木曜日

今熊野神社

今熊野(いまくまの)神社(宮城県名取市高舘川上北台8)


 名取市の今熊野神社です。



 赤坂山と呼ばれる低山に鎮座しています。



主祭神 伊弉冉命(いざなみのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのかみ)、事解男命(ことさかのおのみこと)

 今熊野神社は、慶長5年(1600)4月、伊達政宗の命により造営されたと伝えられます。社伝によれば、この地に熊野三所権現を建立したいということで熊野三所権現を信心している女が山籠りをし、百日余りに及びました。そのことを川上邑の長が政宗に陳情して神社が建立されたといわれています。
 この神社に伝わる神楽は、大正5年、宮城県庁において付属神楽として検定任命をへて発足しました。
 仙台市茂庭の生出森八幡神社から伝承されたものといわれ、その系統は熊野堂神楽の流れを汲む岩戸神楽で榊流神楽と称する黙劇の祈祷の舞であります。(名取市HP「今熊野神社付属神楽」から引用)


 こちらは本殿です。


 境内からは名取市や仙台市の町並みが一望できます。急な石段を上った先にある神社らしい神社でした。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

佐倍乃神社(笠島道祖神社)

佐倍乃(さへの)神社(笠島道祖神社)(宮城県名取市愛島笠島西台1-4)


 名取市の佐倍乃神社(笠島道祖神社)です。


 鳥居をくぐると立派な神門が現れます。


 岩沼市の金蛇水神社を参拝した後に予備知識なしに訪問したのですが、境内の広さや社殿の大きさに驚きました。

 神社全体の風格は金蛇水神社に匹敵するといってもいいでしょう。しかしながら、私のほかには参拝者はおらず、境内はひっそりとしていました。



祭神 猿田彦大神(さるたひこおおかみ)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)

 笠島にあり、佐倍乃神社ともいう。境内広く、社叢美しく、社殿又宏麗で市内有数の神社である。
 その由緒について県史にはこう書いてある。
 景行天皇の四十年(111)、日本武尊の勧請で、猿田彦大神、天鈿女命を祭神とするいい。又、一説に天平勝宝八年(757)五月、孝謙天皇の皇太子道祖王を祀ったとも、更に洛陽加茂川西一条出雲路の女の神を祀るともいわれている。「日本書紀」の天孫降臨に当り出雲寺に於ける響導の神であった岐神、即ち道祖神であったというのが、神号から見てたしかなように思われる。
 又神社よりの「書出」には次のようにかいてある。
 (略)往古佐倍乃神社と称し、中古道祖神と号す。明治七年(1874)佐倍乃神社と復称す。(「名取市史」から引用)


 こちらは本殿です。


 境内社の佐具叡(さぐえの)神社です。日本書紀に登場する高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)を祭神としますが、異説もあるとのことです。

 佐倍乃神社(笠島道祖神社)には出雲流の道祖神神楽が伝わっており、宮城県の無形文化財になっています。

 また、平安時代、源氏物語の主人公光源氏のモデルともいわれる藤原朝臣実方が、この地方に赴任中、神社の前を馬から降りずに通過したところ、無礼を働いたとして神の怒りを買い落馬して亡くなったといわれています。神社の北700mほどの場所に実方の墓があります。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

金蛇水神社

金蛇水神社(宮城県岩沼市三色吉字水神7)


 岩沼市の金蛇水神社です。




主祭神 金蛇大神 (水速女命) (かなへびのおおかみ・みずはやめのみこと)

 創始年代不詳。人々がこの地に住み農耕をはじめた時に、山より平野へ水の流れ出るこの場所に水神をおまつりしたものと思われる。
 社名については、次のようにつたえられている。平安時代中頃一条天皇の御代、京都三条の小鍛冶宗近は、天皇の御佩刀を鍛えよとの勅命を受け名水を求めて諸国を遍歴してこの地に至り、水神宮のほとりを流れる水の清らかさに心をうたれた。
 早速、水神宮に祈願をし、炉を構えて刀を鍛え始めたが、カエルの鳴き声で精神統一ができず、よい刀が打てずにいた。そこで宗近は巳のお姿をつくり、田に放ったところカエルはピタリと鳴き止んだ。無事素晴らしい刀を鍛え上げることができた宗近は神への感謝のために巳のお姿を献納し都に帰った。
 以来、水神宮ではこれを御神体と崇め、社名も金蛇水神社と称するようになったと言う。(金蛇水神社HPから引用)


 拝殿正面に鎮座している金蛇像です。


 金蛇の石碑が多数奉納されています。


 今年の4月に新たに作られた銭洗い場です。当社は御神体が金蛇であることから、古くから金運、商売繁盛の御利益があるとされているそうです。


 境内社の金蛇辯財天です。水の神である弁財天が祀られています。

 こちらは県内有数の大きな神社ですので、この日も平日の午前中にもかかわらず多くの参拝客が訪れていました。写真はありませんが、神社外苑にはカフェテラスや土産物店などもあります。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年11月16日土曜日

中山鳥瀧神社・平田稲荷神社

中山鳥瀧神社・平田稲荷神社(宮城県仙台市青葉区中山6丁目19-18)


 急坂の多い青葉区中山地区の一画に鎮座しています。


 参道で神社を護っているのは狛犬ではなく、狛「鳥」と狛「龍」です。


 向かって左側が中山鳥瀧不動尊です。中央の社殿には中山鳥瀧神社、平田稲荷神社、龍神水神の祭神が並んで祀られています。


当山は凡そ千二百年前,天平の初期淳仁天皇の御代中山仙人が在住した頃から不動尊があった。 後年に至り慈覚大師が諸国遍歴の途次本尊の前立を寄進されたと伝えられる。 その後数百年を経て藩祖政宗公が猪狩りを催された時この滝壺の辺より金色の鳥が現はれ金の御幣に変わったことから 政宗公は鳥滝不動尊と称するように下令された。又地方人は地名中山を冠し中山鳥滝不動尊と称するに至った。(境内掲示「沿革」から引用)

 そもそもは神仏習合の形だったのでしょう。現在は宮司がこの社を管理しており、ほぼ神社のようです。平田稲荷神社の由緒等は不明です。


 境内に池があり、滝というほどでないものの水が流れています。


 奥の方に不動像と龍神像があります。現在の神社の周辺は商店や住宅が密集していますが、境内はまことに静謐な雰囲気です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

荒巻神明社

荒巻神明社(宮城県仙台市青葉区荒巻神明町25-17)


 この社が現在の地名の由来となったと考えられる青葉区荒巻神明町の住宅地に鎮座しています。



祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)

創建は伊達政宗入城以前の国分氏が荒巻を統治下にあった頃波及した伊勢信仰を受け入れた村民が勧請し祀ったと推定される 以後元禄十四年(一七〇一) 社殿改修文化四年(一八〇七)以降数次にわたる屋根改修が行われました 年貢夫役免除嘆願書を出すなど苦しい時期を奮起し乗り越えて来た村民により現在の姿に近い形になりました(境内掲示「荒巻神明社」から引用)


 なお、現在青葉区の西公園に鎮座している櫻岡大神宮の由緒として次のような記載があります。「古く宮城郡荒巻村に鎮座し、神明宮と稱えた。仙臺藩祖伊達政宗厚くこれを祀る。元和七年(一六二一)、伊勢兩宮の御分霊を勸請し、宮を同村内の勝地に遷し、其の地を伊勢堂山と號し、神明宮と稱へた。」(「仙臺市史」昭和28年版から引用)

 すなわち、当社は櫻岡大神宮の元宮であり、伊達政宗が元和7年(1621)に当地から伊勢堂山(現青葉区の伊勢神明社)に遷座して、更に櫻岡に遷座したということですね。歴史ある神社という感じがします。


 こちらは本殿です。


 社殿近くに雷神碑があります。


 文政元年(1818)の文字が刻まれている石塔です。由緒説明にある社殿改修(1807)とほぼ同時期に立てられたものと思われます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年11月4日月曜日

天童温泉二小祠


天童温泉二小祠(山形県天童市鎌田本町2丁目2・天童市鎌田1丁目6-52)

 山形県天童市を旅行中にたまたま見つけた小祠を二つ紹介します。

 ホテルが立ち並ぶ天童温泉街の空き地に鎮座していた小祠です。


 社のお世話をする方はいるようです。祭神、由緒など一切不明です。以前この土地にあったホテル等の氏神であったかと想像されます。

 二つ目の小祠は、上記の小祠の道路を挟んで向かい側に見つけました。こちらも由緒、祭神等不明です。

 後ろの建物は元はホテルだったようですが、現在は福祉法人の事務所として使われているようです。

 祠の近くに山口勇助という人の石碑が立っています。この人は明治時代に天童温泉を最初に掘り当てた人だということです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM