舞台八幡神社(宮城県仙台市太白区長町4丁目2-12)
太白区長町の住宅地に鎮座しています。
主祭神 仲哀天皇、応神天皇
後冷泉天皇の時代、天喜4年(1057年)8月陸奥の土豪安部頼時が乱を起こし、征討すべく陸奥守鎮守府将軍源頼義勅命をうけて奥州に出発の際、河内の国河内郡平岡八幡宮に祈り神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を比良平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮として尊崇した。(中略)明治27年(1892年)頃に長町字西浦の蛸薬師堂境内に再建されたが、往年の面影無く氏子有志等復興を願いし折りに昭和14年(1939)仙台市片平町実業家青山秀次郎氏が稲荷神社の社殿並びに石灯籠御手洗等を寄進下されたるにより、氏子総代他役員大いに力を得て有志諸氏のご寄進を仰ぎこの境内に本殿を奉遷し両神社を合祀し拝殿の御造営を成就し、現在に至っている。(宮城県神社庁HPから引用)
こちらは本殿です。
神社の名称である「舞台」は、この神社がそもそも祀られたところの地名「名取郡舞台」に由来しています。その場所は今の長町7丁目で、現在金岡八幡宮が鎮座しているところだそうです。
同じ境内に併存している蛸薬師如来です。舞台八幡神社は明治27年(1892)年頃に薬師堂境内に再建されたと伝えられています。
蛸薬師は、京都西洞院の蛸薬師如来から勧請したものですが、別伝では「長町に古くから開業している川熊商店の裏の池に蛸に吸い付かれた薬師様が流れ着いてそれを祀った」(公益財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワークHP参照)とのことです。
昭和14年(1939)に舞台八幡神社が合祀されたとされる比良岐(ひいらぎ)大明神です。
神社や薬師堂が同じ境内にあり、込み入っているので整理しますと、初めに比良岐大明神がここにあり、江戸時代に平岡村淵上から蛸薬師堂が移ってきて、そこに平岡村舞台にあった八幡神社が明治27年(1892)頃に再建されたということのようです。いろいろあって大変だったろうと想像します。
EOS R, EF35mm F1.4L USM