蠣崎稲荷明神(宮城県仙台市青葉区川内追廻無番地)
先日訪問した馬上蠣崎神社の由緒となった伊達政宗の愛馬五島が飛び込んだ崖の下に今も神社が残っているらしいので行ってみました。
蠣崎稲荷明神(宮城県仙台市青葉区川内追廻無番地)
先日訪問した馬上蠣崎神社の由緒となった伊達政宗の愛馬五島が飛び込んだ崖の下に今も神社が残っているらしいので行ってみました。
和霊神社(宮城県仙台市青葉区一番町3-11-3)
東一番丁に屋敷を構え、伊達家の重臣だった山家豊三郎という人物が明治初年に屋敷内に店舗を築き旧藩士に商売を勧めたことが東一番丁繁栄の基礎となったとのこと。
また、山家豊三郎は「同邸内に祀ってある山家明神事和霊神社を開放して、一般人に参詣の便を与へ、時々盛んな同社の祭礼を催したりしたので此の界隈が次第に賑はって繁盛してきた」(柴田量平「東一番丁物語」)そうです。
馬上蠣崎(うばがみかきざき)神社( 宮城県仙台市青葉区片平1-2-18)
主祭神 保食神(うけもちのかみ)、磯良神(いそらがみ)
藩祖政宗公に功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。年老いて慶長十九年(1614)十月公の大坂出陣に洩れた事を悲しみ本丸の崖から飛下り死亡した。依ってその地蠣崎に葬り馬上蠣崎神社を建てて祀り追廻馬場の守護とした。明治四年(1871)片平丁の旧一門格修験良覚院跡に移して社殿成り、桜田如水を宮司として市民の間に五島墓さんと称して親しまれた。(境内掲示由緒説明版から引用)
実際には馬が自ら崖下に飛び降りることはないでしょう。馬を祀るにあたりどんな経緯があったのか興味深いです。また、神社めぐりをしていると、やはり仙台の神社は伊達政宗にちなんだ由緒が多いと感じます。
藤坂神社(宮城県仙台市青葉区大手町6)
櫻岡大神宮(宮城県仙台市青葉区桜ケ岡公園1-1)
柳生天神社( 宮城県仙台市太白区西中田2-16-27)