2025年6月20日金曜日

沖野八幡神社

沖野八幡神社(宮城県仙台市若林区沖野3-16-35)

 仙台市立沖野中学校から西に300mほどの昔からの住宅街に鎮座しています。



主祭神 応神天皇、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

勧請年月日不詳なれど、中世(室町年中)、当時の名取郡北方三十三郷を領していた茂ケ崎城城主粟野大膳が沖野に西館(沖野館)を築くにあたり館内に粟野氏の氏神(武運長久守護神)として八幡神(神祠八幡宮を奉斎)を勧請したと云う。其の後、天正19年(1591、室町)沖野館も戦火に罹り、近世・元禄3年(1690、江戸)沖野村の村民現在の地に社殿を造立し奉り御神体を厳粛に遷座され(「御神体飛ンデ火ノ玉トナリ今ノ地ニ遷ル ヨリテ茲ニ奉祠セリ」との口伝承あり)、爾来、沖野村の鎮守の守護神八幡宮として尊崇された。(社伝)。(宮城県神社庁HPから引用)

 こちらは本殿です。江戸時代の関流算術者丹野清晴による4つの幾何問題の解法が書かれた絵馬が奉納されており、例祭の日(4月15日、9月15日)は本殿の扉が開いて絵馬をみることができるとのことです。

 境内鎮座の馬像です。詳細は不明ですが、馬の格好がいいので農耕馬ではなく、戦で活躍した馬を祀ったものでしょうか。

 境内社の古峯神社です。

 古峯神社の脇にある小祠は不動明王を祀ったもののようです。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2025年6月16日月曜日

権現森温泉 湯神神社

権現森温泉 湯神神社(宮城県仙台市青葉区芋沢権現森山)


 県道37号(仙台北環状線)の泉区南吉成付近から南に歩いて2,3分の場所に鎮座しています。

 北環状線は仙台でも車の通行量が多い有数の幹線道路です。そのすぐ近くに、こんな静かな場所があるとは驚きでした。

 ちなみに、権現森とは仙台市西部に広がる200haに及ぶ自然林で、森の最高点は標高314mほどの権現森山。山頂からは泉ヶ岳や蔵王連峰も望めるとのことです。(仙台市HP「杜の都 わがまち緑の名所100選」参照)



 由緒等は判りません。この近くにある権現森温泉の氏神であろうと思われます。

 なお、北環状線から当地に至る道路の途中に、権現森の宿を工事現場の宿舎として利用できる旨の看板が残っています。しかしながら、宿が現在も営業しているかどうかは不明です。

 社殿の隣りに大正14年(1925)と刻年されている馬頭観世音碑と小祠がありましたが、草深くて近寄ることができませんでした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年6月6日金曜日

熊野神社(蔵王町)

熊野神社(宮城県蔵王町小村崎前戸内81)

 東北自動車道「村田IC」を降り、県道25号(岩沼蔵王線)を遠刈田方面に進んで、平沢地区に至る手前を右折して700mほどの場所に鎮座しています。



 鳥居をくぐり、背の高い木立に囲まれた参道を歩いて社殿に向います。

主祭神 熊野加武呂岐櫛御食野命(素戔鳴命)(くまのかむろぎくしみけぬのみこと(すさのおのみこと))、脇座祭祀 伊弉那美命(いざなみのみこと)、五十猛命(いそたけるのみこと)

本社は、聖武帝(神亀3年(726)又は天平3年(731)の二説あり)蔵王連峯の主峯熊野岳鎮座熊野権現の里宮として創祀され、頭初の祭神は熊野坐大神と称し、熊野修験の手によって建立されたと伝えられる。(略)惟うに当社の鎮座地は、旧円田村四百町歩を一望する台地に鎮座し然も用水は蔵王連峯の伏流水を水源として使用されている為産業開発と五穀豊饒を司どる御神名で祀ったのであろう。平安時代に至り平泉に藤原氏により蔵王連峯の諸祭神が祭祀されるに至り、平泉との交流が福輳しつれて熊野修験の登拝も著しく、神社名も熊野三所権現と称されるにより当社も熊野三所権現と改められた。(宮城県神社庁HPから引用)


 こちらは本殿です。




 境内社風の社殿が3つあり、ひとつは八幡神社のようです。しかし、扁額も説明板もないのでどれがそうなのか判りませんでした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月28日水曜日

御嶽三吉神社

御嶽三吉(おんたけみよし)神社(宮城県仙台市青葉区北山3-6-18)

 JR仙山線「北山駅」を下車し5分ほど歩くと一の鳥居が見えてきます。ここから石段を上って伊勢堂山と呼ばれる小山にある社殿に向かいます。

 石段の途中で大山祇神社の社殿をみつけました。現在は神社として機能していないようです。ここはいかなる謂れのある神社なのか、どういう経緯で放置されるに至ったのか興味がわいてきます。

 ともあれ、御嶽三吉神社に話を戻し、さらに石段を上ります。

 ここは教派神道(神道十三派)のひとつである御嶽教の神社です。御嶽教は木曽御嶽信仰を起源とする宗派です。社殿が立派です。


祭神 國常立尊(くにのとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、三吉大神(みよしのおおかみ)

御嶽三吉神社は仙台市北山丘陵(伊勢堂山北部)の分水嶺に鎮座し、信濃の國木曽御嶽山に祀られる御嶽大神、出羽の國秋田太平山に祀られる三吉大神の御分霊をお祀りしております。創建年は昭和8年(1933)に三吉神社崇敬者はじめ仙台市亀ヶ岡(当時の地名)近隣の地域崇敬者同志の賛同を得て三吉大神の石祠が祀られました。戦後、昭和38年(1963)、隣地に鎮座されておりました御嶽神社(御嶽教宮城敬神教会:昭和29年(1954)、光善寺通りにて開教)へ移管合祀され、「御嶽三吉神社」と改称され、(宗)御嶽教宮城大教会となりました。(ホトカミ「御嶽三吉神社の基本情報」から引用)


 社殿から仙台市北部の街並みが望めます。


 境内社の出羽三山神社仙台分社です。やはり山岳信仰にゆかりがあるのですね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月21日水曜日

伊勢神明社

伊勢神明社(宮城県仙台市青葉区千代田町4-33)

 JR仙山線「北山」駅から徒歩10分ほどの丘陵地に鎮座しています。


 それほど高い山にあるわけではありませんが、道路の勾配がきつく参道入口まで歩くのが大変で、さらに参道の石段を上るのにも往生しました。


主祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)

元和七年(1621)藩祖政宗は荒巻村鎮座の神明社(荒巻神明町)を同村内の勝地に遷し、神明宮と称し、同地を伊勢堂山といった。(略)天和二年(1682)四代藩主綱村は規模を拡張し社殿を改築、(略)藩主継嗣とのとき参拝することを例とした。(略)明治五年(1872)元柳町(元桜ヶ丘公園)に遷座し同八年(1875)桜岡大神宮と改めたが、旧地に神社は残り現在小社があるだけである。(木村孝文「青葉の散歩手帖」から引用)

 そもそもはたいへん由緒ある神社のようです。



 かつて別当寺があったことを偲ばせる地蔵を参道にみることができます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月14日水曜日

春日神社(大野田)

春日神社(宮城県仙台市太白区大野田宮)


 太白区大野田の大野田宮公園の一画に鎮座しています。公園内の更地に鳥居と社殿をぽんと持ってきたようで、神社の境内という雰囲気はあまりありません。


 主祭神 天児屋命(あめのこやねのみこと)

古老の口碑より創建は永正二年(1505)中京より来られし藤原重保が春日大社を尊崇せられ勧請すと伝ふ 明治五年(1872)四月村社に列す 明治四十二年(1909)十一月一日多賀神社に合祀 旧社殿は西北約百五十米の地に有し仙台市の土地区画整理事業により現在地に移築す(境内掲示「春日神社由緒 平成17年5月吉日)から引用)

 神社を出て仙台市地下鉄南北線富沢駅に向かって歩いていたところ、仙台市が設置した「春日社古墳」という掲示板をみつけました。

 かつてこの道路上に古墳の墳丘があり、そこに春日神社が建っていたとのことです。

 富沢駅の東側には前方後円墳が1基と円墳が43基みつかっており、総称して「大野田古墳群」と呼ばれているそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

寶龍社

寶龍(ほうりゅう)社(宮城県仙台市太白区東大野田4-4)

 太白区東大野田の旧国道4号沿い、東大野田公会堂の敷地に鎮座しています。

 JR仙台駅から東北線白石方面行の電車に乗ると、太子堂駅を過ぎ名取川を渡る手前あたりで車窓から赤い鳥居が見えます。なので、以前から気になっていた神社でした。


祭神 高龗神(たかおかみのかみ)

 祭神は水の神です。神社の由緒は不明ですが、太白区西多賀の多賀神社の境内に掲示されている由来版に「明治四十二年(1909)十一月に大野田に鎮まり坐す春日神社(祭神 天児屋命)と寶龍社(祭神 高龗神)を合祀した」との記載があります。

 社殿の中を覗いてみたところ、直径2, 30cmほどの木製の玉が祀られていました。どういういわれがあるのでしょうね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM