2025年5月13日火曜日

伊達明神

伊達明神(宮城県仙台市宮城野区福田町4丁目13-27)

 宮城野区福田町の住宅地に鎮座しています。


藩政時代に伊達藩主の御狩場であったが、藩主は一民家に立ち寄り休憩することを常とし、御下賜品等もあったと言う。この家の主はこれに感激し、屋敷内に祠を建て伊達明神として尊敬し、これが今日まで続いていると伝えられる。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く」から引用)

 覆屋の中の扁額には稲荷大明神と記されており、祠の中に狐像が祀られていることから、お稲荷さんでもあるようです。

 社殿は大きな樹の切り株の上に置かれています。このこと自体には意味はないかもしれませんが。

 覆屋の中に政宗公馬上甲冑御図が奉納されています。奉納年は平成16年(2004)となっているので、新しい絵です。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2025年5月1日木曜日

諏訪神社(郡山)

諏訪神社(宮城県仙台市太白区郡山5丁目13-8)

 JR東北線太子堂駅から徒歩で10分ほどの住宅地に鎮座しています。

 この日は月初めの月次祭が行われる日で、大勢の参拝者が訪れていました。


主祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)

郡山字在家浦に鎮座する。勧請年間不詳。古老の伝に依れば天喜四年(一〇五六)源頼義の創建にかゝり、当初稲荷大明神と号し、文明中(一四六九-八六)粟野忠重の子国定祠堂を再建し、永禄年中(一五五八-六九)北目城主粟野國重更に堂宇を改造したという。境内に延慶三年(一三一〇)の古碑が現存する。明治維新後諏訪神社と改称し、同五年(1872)村社となり、明治四十五年(1912)には砂押鎮座村社深山神社(祭神大山祇命)を合祀する。大正十一年(1922)長町操車場の敷地として旧社地を買収されたので、同十三年(1924)現在の地に遷して今日に至る。(「仙臺市史」(昭和28年版)から引用)

 こちらは本殿です。

 境内社です。右から、稲荷神社、深山神社。八雲神社です。



 小牛田の山の神のほか、多数の板碑も祀られています。



 藤棚が美しいことで有名な神社ですが、満開には少し早かったようです。


 境内にはカフェもあり、ゆっくりと寛ぐことができます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年4月26日土曜日

飯石明神社

飯石(いいいし)明神社(宮城県仙台市泉区小角館)

 県道35号を根白石方面に進み、泉消防署根白石出張所の角を右折して突き当たったところに鎮座しています。


飯石明神(いいいしみょうじん)は、もともと古内鉄右衛門の別荘の中にあったとされています。子どもの夜泣きに霊験あらたかとされ、祈願するものは祭られている小石を1個借りていって病児の枕元に置き、願いが叶うとお礼に子石を2個にして返したそうです。このため、小石を生む神社と言われるようになったと伝えられています。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第6回 小角めぐり 鼻毛橋周辺を歩く」から引用)


 この地は仙台、七北田から根白石に通じる要路にあたり、往昔古内氏の居館があって、これを「小角(おがく)城」と称したそうです。(菊地勝之助「宮城県地名考」参照)

 古内家は後に国分氏の末子を養子に迎え、養子となった古内主膳は伊達家に仕えて筆頭家老となり、岩沼城主ともなったとのことです。(前掲「いずみ史跡今昔物語―第6回 小角めぐり 鼻毛橋周辺を歩く」参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年4月11日金曜日

雷神社(市名坂)

 雷神社(宮城県仙台市泉区市名坂原田)

 泉区市名坂の国道4号バイパス沿いにこぢんまりと鎮座しています。


 鞘堂の中に小さな祠があり、鏡と文字が読めないほど古い神札が収められていました。

 由緒等は不明です。もともとこの場所に鎮座していたものではなく、国道の整備に伴いここちらに移されたものと推察されます。


 この日は、境内の桜が満開でした。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年4月9日水曜日

笠間神社

笠間神社(宮城県仙台市若林区土樋1丁目11)

 仙台市地下鉄南北線「愛宕橋」駅にほど近い、真言宗西光院の境内に鎮座しています。


 鳥居と社殿だけの小社です。


 社殿の中に茨城県笠間市の笠間稲荷神社の神札が収められていましたので、日本三大稲荷である同社の分霊を祀っているものと思われます。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

正一位子育稲荷大明神

正一位子育稲荷大明神(宮城県仙台市若林区土樋1丁目11-13)

 仙台市地下鉄南北線「愛宕橋駅」の南側にある時宗真福寺の境内に鎮座しています。


 神仏習合の典型で、明治時代の廃仏毀釈運動にかかわらず寺院が残っており、寺と神社が併存している例でしょう。ここは厳密には神社とはいえないかもしれませんが、不動尊のように仏様を祀っているのではなく、稲荷神社ということから取り上げました。

 社殿にはたくさんの狐像と狐の形をした神鏡が収められています。

 社殿の左側は神輿堂です。手前の山神碑には弘化3年(1846)の文字が刻まれています。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

愛宕神社(向山)

愛宕神社(宮城県仙台市太白区向山4-17-1)

 仙台市地下鉄南北線「愛宕橋駅」を下車し、広瀬川にかかる愛宕大橋を渡ると一の鳥居が見えてきます。



 200段以上ある長い石段を上り、三の鳥居までくぐってから、やっと随神門が現れます。


 拝殿です。

主祭神 軻遇土神(かぐつちのかみ)

当神社は古く羽州米澤に御鎮座になられ、天正19年(1591) 藩祖伊達氏十七世政宗公が、米澤より陸奥國玉造郡岩出山に移るに際して、社も岩出山 に御遷座、 慶長5年(1600) 千代城を青葉山に築城、 名を仙臺(台)と改められ、慶長8年(1603)政宗公入府に合わせ社も一時国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座を行い、同年仙台城や城下を一望できるこの愛宕山(以前天狗山とも称す)に御社殿を御造営になられ、御遷座申し上げ、誓願寺を別当寺とし、合わせて5貫720文を寄進されております。以降藩内の安全を祈願するなど、とくに火防の祭は城下挙げての盛大な祭りが行われたといわれます。(愛宕神社HP「愛宕神社について」から引用)

 本殿は木に囲まれ、屋根の一部がかろうじて見えています。

 仙台総鎮守を名乗るにふさわしく、展望台からは仙台の中心部が一望できます。

 境内社もたくさん鎮座しています。こちらは愛宕天満宮

 正一位稲荷大明神

 勝鬨(かちとき)神社


 そして、産宝(むすひ)神社です。




 境内には桜が咲き誇っていましたが、曇り空のため写真映えはイマイチでした。この時季は晴れでも空が白っぽい日が多く、満開の桜に雲ひとつない青空にはなかなかお目にかかれません。残念です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM