須賀神社(宮城県仙台市泉区野村萩塚1)
主祭神 素戔鳴尊(すさのうのみこと)
神仏習合時代に「牛頭天王」と称し、維新の当時「清神社」の社号なりしも、明治三十二年(1899)八月三十日現在に改む。大正四年(1915)七月二十四日、馬場屋敷の神明社、八幡前の八幡社、筒岫屋敷の稲荷社を合祀し遷座の式を挙行す。(「宮城郡誌」から引用)
宝永四年(1707)梅津勇三郎が福島の伊達より氏神として現在の地に移したのが始まりである。その後、根白石城主の子孫 白津勘之助が野村地区の鎮守とし、地域の人々にも崇敬されるようになった。明治初期清神社となり、同32年(1899)須賀神社と改めた(境内掲示「泉史跡めぐり 須賀神社」(泉区役所)から引用)
こちらは本殿です。
牛頭天王(ごずてんのう)は神仏習合の神様で、素戔鳴尊(すさのうのみこと)と同一視されています。昔から牛頭天王には胡瓜(きゅうり)を捧げる習慣があり、この神社でも祭りの日には胡瓜を2本持参し、うち1本は七北田川に流して河童神に子どもの水難防止を祈願しているそうです。
一の鳥居近くにある石碑群です。開墾や宅地造成により移設されたもので天明3年(1783)の飢餓供養碑もあるとのことです。(以上、境内掲示「泉史跡めぐり 須賀神社」(泉区役所)参照)
EOS R, EF35mm F1.4L USM
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