日吉神社(宮城県多賀城市山王東町浦31-1)
多賀城市山王東町裏の山王地区生活センターの敷地内に鎮座してます。
安永(あんえい)3年(1774年)の風土記御用書出によれば、いつ、誰が勧請(かんじょう)したのか不明であるが、竪27間、横21間の敷地に、一辺9尺の南向きの社があったこと、祭日は3月15日と9月15日であったことが記されています。名称については、山王社、山王権現と呼ばれ、山王村の名はこの神社が鎮座していたためとも記されています。
さらに、この神社について知る手掛かりとして、明治40年(1907年)の「神社由緒調」(宮城県庁文書)があります。これには、維新前(江戸時代)は山王大権現との名称であったが、明治4年7月に日吉神社と改称し村社に列せられたこと、勧請された時代は不明であるが、国分盛重(伊たち政宗の叔父)の崇敬があって多くの寄進があったこと、四代藩主伊たち綱村が武運を祈るため家臣であった成田氏に命じて社殿を改築したこと、以後、成田氏の子孫が祭典当日に参詣し、その他諸藩の武士からも多少の祭典料の寄進があって、祭典が盛大に行われたことも記されています。
(中略)
明治43年(1910年)、日吉神社は政府の地方改良運動の一環で、南宮神社(南宮)、稲荷社(新田)、大日霊賣神社(高橋)、八幡神社(南宮)とともに奏社宮に合祀されましたが、村の鎮守であったことから、小社を置いてその歴史をしのぶ縁とし、今日に至っています。(多賀城市文化財課HP「多賀城市の文化財」から引用)
小社にもかかわらず市の文化財課によって由緒が詳しく調べられています。さすがは「歴史のまち」多賀城です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
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