鹽竈(しおがま)神社(宮城県仙台市宮城野区榴岡2-2-22)
初恋通りは、「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」で始まる島崎藤村の有名な詩から名付けられたもの。藤村が東北学院の英語教師だった際にここに下宿していたのだそうです。
Wikipediaに由来の説明があったので引用します。
江戸時代の延宝年間(1673年 - 1681年)に、仙台藩第4代藩主、伊達綱村が原田宗輔を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命して塩竈の鹽竈神社を修造させたが、その修造期間中、鹽竈神社の神体(御幣)および勅額を仙台城下町の東六番丁にあった高福院]境内に設けられた仮宮に安置し、延宝8年(1680年)に修造が終わって神体を塩竈に戻すに際して、仮宮を廃せずに塩土老翁神を分祠して「塩竈大明神」と称したのが創祀であり、以後、地元の氏子らの信仰を集めた。
創祀後、もともとあった三吉神社の土地を氏子が買い増して同社内に遷座し、平成14年(2002)仙台駅東第二土地区画整理事業に伴い現在地に鎮座したとのこと。
訪問した日の3日後に祭りがあるとのことで、商店街には幟旗が掲げられて活気に満ちていました。
EOS R, EF17-40mm F4L USM