2023年10月17日火曜日

小田原神明宮

 小田原神明宮(宮城県仙台市宮城野区枡江9-5)


 住宅街の一角のちょっと判りにくい参道入り口から急な石段を上ると背の高い鳥居が見え始め、



社殿にたどり着きます。

主祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受大神(とようけおおみかみ)

寛文9年(1669)藩主綱村の創祀するところにして、玉崎神宮と称したが、文政のころ村名小俵を小田原と改め、小田原神明宮としたと伝える。又この社は文治年間(1185~1189)の勧請ともいう。(社伝、口碑)。なお、末社の青柳神社は文治2年、この地の守護神として勧請した。歳月の推移とともに社殿荒廃ひどく、氏子総代の協力により、平成の御大典記念奉祝事業として、平成2年(1990)12月社殿改築工事をはじめ、平成3年(1991)3月竣工、現在に至る。(宮城県神社庁HP由緒説明から引用)


 狭い石段を上るわりには境内が広く落ち着いた雰囲気です。


 境内社の青柳神社



 その他の境内社や石碑も多数。猫がこちらを見張っていました。


 こちらは拝殿裏の本殿です。大きな鍵でしっかりと守られていました。


 この近辺は、奈良時代後半から平安時代初期に瓦窯があったとのことで境内の隅に「神名社窯跡」の碑が立っています。

 この窯で造られた瓦は国府多賀城などの建物屋根に使われたと考えられているそうです。この地域にそういう歴史があったとは知りませんでした。このような小ネタを得られるのも神社めぐりの楽しみのひとつです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2023年10月13日金曜日

熊野神社(実沢)

 熊野神社(宮城県仙台市泉区実沢字熊野山17)



 泉区実沢の現在は車の通行量が多い道路に面していますが、道路を背にしたところが神社の正面になっており、境内は閑静な環境です。


 主祭神、伊邪那岐尊(いざなみのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)


 社殿の扁額です。「村社熊野神社」と書いてあるのでしょうか。


当神社は慶長年間(1596~1615)八乙女淡路守盛昌が藩主国分氏の没落後、伊達政宗に旧領地を許され実沢八乙女の館に移り住んだ折、氏神として勧請したといわれています。八乙女氏が北根村に転出すると、後水尾帝(ごみずをてい)の元和元年(1615)には現在の地に社殿を造営して奉遷し実沢地域の守神としてお祀りしました。(略)境内には八乙女氏ゆかりの鞍掛石(くらかけいし)力士石(りきしいし)があり、また鳥居脇にあるコウヤマキの大木は区内随一である。 (社内由緒記から引用)






 境内社、石碑が多数あります。また、境内に修験道場の遺構があったそうですが、昭和53年(1978)の宮城県沖地震で大破したとのことです。


 昔、錏山(しころやま)という豪傑の力士が、近くの相撲取り場から担いで持ってきたという「力士岩」です。

 かつて村社に指定され地域の守り神であったということで、様々な歴史を経ている神社であるようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

道祖神(古内)

 道祖神(宮城県仙台市泉区古内入山田3)


 ヨークベニマルの駐車場裏手、東北自動車道を横断する跨線橋の先に白い鳥居が見えます。


 跨線橋を渡ってすぐのところに鎮座しています。草むらをかき分けて進む感じでした。


 鳥居をくぐると小さな社殿がひとつだけありました。石灯篭が倒れたままになっています。


 石碑も倒れたまま放置されています。ここ何年かの大きな地震で倒壊したのでしょうか。

 馬頭観世音と刻まれた石碑には明治36年(1903)という文字が読み取れました。おそらく、これ以前からあった道祖神と思われます。


 道祖神は、集落の境や村の中心などに主に石碑や石像の形態で祀られる村の守り神であり、道祖信仰は性器崇拝の習俗とも習合して良縁、子授け、安産などを祈願するところになったと言われています。

 社殿の中には、男性器を象徴する陽棒が十数本祀られていました。

 泉区には当社のほかにもいくつか道祖神が残っています。この地域はつい数十年前までは山と畑が広がる、いわば村のはずれの地域だったので、村を外敵から守るとともに道を通る人の安全を祈る神として道祖神が信仰されてきたのでしょうね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2023年10月12日木曜日

台原森林公園の山神碑

台原森林公園の山神碑(宮城県仙台市青葉区北根3-4-17)


 仙台市地下鉄南北線「台原森林公園」駅前の公園入口から中央遊歩道を旭丘駅方面に進みます。


 10分ほど歩くと公衆トイレの脇から二差路に分かれるので、「こならの道」方面に進みます。


 100メートルほどで朱色の鳥居が見えてきます。



 社殿はなく、鳥居と石碑のみの山神です。


 周囲はきちんと清掃され、水と酒が供えられていました。

 石碑には「明治28年」という字が確認できます。この森林公園ができる前からここにあったことは確かです。


  石碑からは仙台市の住宅地が臨めます。この山神碑は大がかりな施設がなくても信仰が続けられていくことの証だと感じました。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2023年10月7日土曜日

とんとん神社

 とんとん神社(宮城県大河原町新寺字北185-11)


 ここを神社と考えるべきか、観光施設とみなすべきか、初めは迷いました。


 大河原町の、「もち豚」ブランドで畜産加工品を生産販売している企業が直営している畜産加工品直売所の一角に鎮座しています。天然温泉施設やバーベキュー施設も併設されており、家族連れで楽しめる場所です。



 さて、この社ですが、建築様式は神社のそれであり、食肉を製造するために命を頂戴した動物の魂を慰める獣魂碑が置かれています。

 さすれば、傷ついた魂を鎮めるという神社の本旨にかなうものと考えるべきでしょう。


 確かめてはいませんが、この神社は直売所を経営している企業が設置したものとして間違いはないでしょう。鈴紐の先に「平成20年5月吉日」という日付があるので、このあたりに創祀されたものと思われます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

乾八幡神社

 乾八幡神社(宮城県村田町村田迫)


 東北自動車道村田ICを降りてほど近く、村田城跡に整備された村田町城山公園の一角に朱色の立派な鳥居があります。



 しかしながら、参道は荒れ放題、


社殿は、生い茂った草むらの奥に垣間見られます。




 社殿に扁額はなく、鈴は残っていますが鈴紐はぼろぼろの状態です。ここは役割を終えた神社なのでしょうか。



 とはいえ、石灯籠は平成6年に奉納されており、鳥居はここ最近塗り直されたものです。



 この神社に何があったのか不明で由緒も知ることができません。しかし、数年前まで手をかけられていたことは確かです。関係者にしか判らない事情があるのかもしれませんが、現在の状態は残念な気がしてなりません。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2023年10月6日金曜日

三吉神社

 三吉(みよし)神社(宮城県仙台市宮城野区榴岡2-2-22)


 榴岡の鹽竈神社と同じ境内に鎮座しています。


 もともとは三吉神社の境内に鹽竈神社が遷座してきたのですが、今は鹽竈神社のほうが規模が大きく、三吉神社は隅に追いやられているようです。宮城県神社庁発行の「宮城県神社名鑑」には三吉神社は鹽竈神社の境内社(末社)と記載されいます。

 「庇を貸して母屋を取られる」ではないですが、なんだか気の毒なのでこのブログには独立した神社として掲載します。


御祭神は秋田県中央に聳える出羽山系・太平山の山頂にある太平山・三吉神社に三吉大明神を分霊して祀っています。この太平山・三吉神社は1300年ほど前に、役(えん)の行者・小角(おづぬ)が大巳貴大神と少彦名大神を祀って創建したと伝えられ、延暦20年(979年)には、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北地方鎮撫の時、先勝祈願を込めて建立するなど、古代王朝の時代より『戦利成功』『諸事繁栄』の守護神として広く信仰を集めてきました。(略)仙台の三吉神社は、建立者および時期は不詳ですが明治時代以前からこの地にあったと思われ、三吉さんの愛称で、塩竃さまとともに住民の信仰を集めてきました。また、当神社における神饌の中に全国でも珍しい煙草を供える事になったのは、三吉大神が修行の折、太平山に多く住み着いていた大蛇を煙草をもって煙り攻めとし、退散させた事に由来しています。(境内由来説明板から)



 とはいえ現在、三吉神社の維持管理は鹽竈神社の氏子が行っているようで、三吉神社の鹽竈神社に対する依存度はかなり高いようです。世の中と同じで、神社の世界もままならないことが多いのかもしれません。

EOS R, EF17-40mm F4L USM