2023年11月15日水曜日

柏木1丁目小社

 柏木1丁目小社( 宮城県仙台市青葉区柏木1丁目2-11)


 小さな社の訪問記を2つほど掲載します。

 1つ目は仙台市青葉区のみやぎ生協柏木店のほど近く。写真左奥、修繕中の黒いシートがかけられたマンションの手前を右に曲がります。


 3階建てのマンションと戸建て住宅の間に鳥居が見えてきます。


 鳥居と小さな社殿だけの神社です。社名の記載もなく由緒も不明です。神社とはいえない、小さな地域で祀られている祠なのかもしれません。


 社殿の前に「正一位稲荷大明神」の小さな幟が掲げられ、社殿の中にはおキツネさんがいることからお稲荷さんであることが判ります。

 お茶やジュースなどがたくさん供えられていました。地域の中で大事にされているのでしょうね。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2023年11月8日水曜日

宇那禰神社

 宇那禰(うなね)神社(宮城県仙台市青葉区芋沢字明神14-1)


 国道457号を芋沢周辺で西に入ると仙台市立大沢小学校の向かいに宇那禰神社の白い鳥居が見えてきます。

主祭神 桓武天皇

室町時代以来の古社であり、芋沢村の「安永風土記」によれば、はじめ郷六に所在したという。当社に伝わる中世の棟札には、いずれも国分家臣・郷六氏と関係があるとされる施主の名が記されてあり、郷六氏の氏神であったと推定される。また現在地に遷座された年代は不明ながら、棟札の記述から、永禄5年(1562)よりも後のことと考えられる。(境内掲示の由緒説明から引用)


 社殿は、素木造一間社流れ造(しらきづくりいっけんしゃながれづくり)、屋根はこけら葺きであり、建築された時期は江戸時代初期から中期頃と考えられるとのこと。たいへん歴史を感じさせる建物です。

 この日は七五三のお参りに訪れている家族連れがおり、上がり口に靴が並んでいました。


 拝殿後方の本殿は、木の囲いで守られています。



 社殿に掲示されている装飾もいい雰囲気です。




 境内には巨大な古木が生い茂り御神木になっています。中には樹齢400年の木もあり、4本の木が仙台市の保存樹木に指定されています。


 ところで、私はこの神社名の宇那禰の読み方をなかなか覚えられず、このブログを書いていてやっと頭に入ったのですが、今はあまり耳慣れない「宇那禰(うなね)」という言葉の意味を少し調べてみました。

 「ウナネ」は「宇奈根」もしくは「宇那根」の字が当てられることが多く、「ウナネ社」は全国に存在するとのこと。「宇奈根」は「首の付け根」の意味で、「ウナネ社」は河川の神の怒りを鎮める、治水の守護神的な性格を担って創祀されたと考えられるとのことです。(牛山佳幸氏『「ウナネ」および「ウネネ社」について』を参照)

 この神社がかつて鎮座していた郷六地区には現在も広瀬川という大きな川が流れていることから、この社が洪水の除去を祈願するための勧請神社であることは想像できます。

 その他、旧仙台藩領に特徴的に分布するウンナン神(鰻の神)との関連を指摘する説など、諸説があるようです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2023年11月3日金曜日

長老神社

 長老神社(宮城県七ヶ宿町長老166)



 七ヶ宿町の長老湖に紅葉を見に出かけ、足を伸ばして神社を訪問しました。





 神社周辺の紅葉も今が盛りで、これまで見た中でもっとも美しい神社でした。




 石段を登りきるとコンパクトな社殿がひとつ鎮座しています。


 木々の紅葉が実に見事で、ウエディング・スポットとして若者人気があるというのも頷けます。


 それはともかく、この神社の由緒が鳥居前の記念碑に記されてありましたので引用します。

長老開拓入植50周年記念碑
原生林の荒野を50年の歳月をかけ 過重労働の汗の結集で切り拓いた大地 臥薪嘗胆の思いで築き上げた歴史と文化 先駆者の辛苦に耐えた開拓精神が 永遠に後継者に受け継がれ この地がますます発展へすることを願い 長老神社神殿を奉建し記念碑を建立する(平成11年11月11日長老開拓地区民一同)

 記念碑には神社の「神殿」を奉建するという記載ですが、この地を開拓された方が入植する以前は誰もここに住んでいなかったので、社殿だけではなく神社そのものを創祀したのもこの方々なのでしょう。

 辛苦に耐えた魂を慰めるとともに、地域の中で手を合わせる的としてこの神社を作ったとすれば、この社はまさに氏神の本質を体現した神社だと思います。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2023年10月31日火曜日

石留神社

 石留神社(宮城県仙台市泉区市名坂石止)

 二柱神社から南に徒歩5分ほどの七北田川堤防沿いに鎮座しています。奥に見える白い屋根は、J2ベガルタ仙台のホームグランドであるユアテック・スタジアムです。



 鳥居と本殿、倉庫のような社殿だけの小さな神社です。


 しかしながら、鳥居の前に掲示してある案内板によると、この社は1619年に七北田川を遡ってきた異石が拾い上げられ、祀られたことに由緒を有する歴史ある神社でした。

 宮城県神社庁発行の「宮城県神社名鑑」には石神神社は二柱神社の境内社とされ、次のように記されています。

(二柱神社の)境内社の石止神社は、封門風土記に御霊神社、成石留明神と称し、後水尾帝元和5年(1619)邑民備前なる者の勧請とあり、古来疫病除の守神として近郷の崇敬が篤い。


 「宮城郡誌」には「(石留神社の)宮殿腐食するを以て明治11年(1878)本社(二柱神社)境内に遷宮奉仕せり」との記述があるようです。

 現在、石留神社の管理運営を二柱神社が行っているのは確かなようですが、いったん境内社とされながら、この社がなおここにとどまっているのはなぜなのでしょう。今でも集中豪雨の際には氾濫することがある七北田川から地域を守る神様として、この場所を離れられないからなのでしょうか。いろいろ想像をしてみたくなります。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

二柱神社

 二柱神社(宮城県仙台市泉区市名坂字西裏62)


 仙台市地下鉄南北線八乙女駅から北に900m進んだ旧県道沿いに鎮座しています。


主祭神 伊邪那岐命(いざなきのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)

昔から神様を一人二人と云わず一柱二柱といいました。当社はイザナギノミコト・イザナミノミコトの2人の神様をお祀りしている為、二柱神社と申します。当社は万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇(現在の七北田字東裏付近旧社 殿地現存)にお祀り(神社の記録)されました。その後、天正年間(1573年~)には 地域豪族国分氏の荘園三十三ヶ村の内 市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈 古内・松森・鶴谷の8つの村の総鎮守 (氏神様)として祀られるようになりました。国分氏が滅亡してから伊達氏の時代に、万治年中(1658年~)七北田・市名坂に宿場町が開かれるようになり神社も、市名坂冠川(七北田川)の付近に霊地を占い、寛文2年(1662年)4月に現在の場所に遷られました。また明治5年(1872年)9月七北田村社となり村挙げてのお祭りが行われ、神社境内地の整備等の事業を推し進める中、昭和4年(1929年)8月31日未明、原因不明の怪火により社殿全焼という悲劇に見舞われました。現在の社殿は満洲事変以後の極めて物資の確保が困難な時に役員・氏子の十余年に亘る努力のもと、昭和16年(1941年)5月に完成したものです。(神社HPから引用)



 当社は、古事記冒頭の「我が身は、成り成りて成り余れる処一処あり。故、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に」に登場するイザナギミコト、イザナミノミコトの二柱を祀っているゆえか、近年は縁結びの神様として知られるようになりました。

 鈴紐にもハート型の飾りがついています。この日も若い女性が御朱印をいただきに訪れていました。


 境内社の雷神社


 昔の鳥居だったらしい扁額のついた石柱が残っています。


 平日にも関わらず巫女さんが常駐している大きな神社です。若者に人気の神社らしく境内は華やかな雰囲気に満ちています。


 とはいえ、これはちょっとやりすぎのような気も・・・。確かにこの日はハロウィン当日ではありましたが。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2023年10月24日火曜日

羽黒神社

 羽黒神社(宮城県仙台市青葉区北山2-8-15)


 私は北山霊園の駐車場に車を置き歩いて2分ほどで境内に着いたのですが、それはいわゆる裏道のようで、こちらが正式な参道のようです。羽黒神社前というバス停もあります。




主祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、火産霊神(ほむすびのかみ)

羽黒神社は、同社因縁記(享保元年(1716)記)によれば、伊達政宗公が、仙台城築城の慶長7年(1602)北山に建立した。保春院殿が嗣子なきを憂え、長海上人を湯殿山に参詣させた所、夢枕に立った偉僧の梵天(ぼんてん)を宿して生まれたのが政宗公と記される。偉僧は、湯殿山初代の行者萬海上人で、その弟子長海上人と慶印上人とが、師の生まれかわりの政宗公が慶長5年(1600、関ヶ原の年)上杉軍と戦った折、大いに助勢した功をめでて慶印上人を羽黒神社開祖とした。病める者も十中九は立ち所に治るなど霊験あらたかであると因縁記は述べている。(境内説明板から引用)


 こちらはコンクリート製の現社殿の前の羽黒神社社殿です。現在は境内社の月山神社・湯殿山神社の社殿となっています。江戸時代後期の建立とみられるとのことで趣があります。


 境内社の愛宕神社


 同じく境内社の竹駒神社


 有名な神社の名を冠した境内社が多く、神社のデパートのごとしです。


 さらに、境内の裏には古墳もあります。宮城県神社庁のHPによれば、仙台市の文化財地図には古墳となっているものの誰の墓かは不明とのこと。小山の上の樹は樹齢380年のエゾヒガン桜で仙台市の保存樹木に指定されているそうです。

 かつて大阪に行った際、街のあちこちに古墳があり、人々の生活の場に溶け込んでいる様子に驚いたことがありました。古くから政治や文化の中心であった関西地方ならではの風景と思っていましたが、仙台にも住宅のこんな近くに古墳があったんですね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

宮城野八幡神社

 宮城野八幡神社(宮城県仙台市宮城野区銀杏町7-37)


  新しくできた都市計画道路から10メートルほど奥まったところに赤い鳥居が見えてきます。歴史ある神社の分断を避けるように道路が造られたのでしょうか。


祭神 応神天皇  配祀神 武甕槌命(たけみかづちのかみ) 

桓武天皇の延暦17年(798、平安)坂上田村磨男山八幡宮の分霊を勧請して社殿を造営す。往古生巣原八幡宮と称した。康平5年(1062、平安)源義家武甕槌神を祀って戦勝を祈るという。後醍醐天皇の御宇元弘2年(1332、鎌倉)陸奥守北顕家多賀城に在る際、社殿を修造し弓矢並びに太刀を献じ武運を祈った。故に、北畠八幡宮の称あり。文禄年間(1592~1595、安土桃山)国分盛重この地に築城するに及び鎮守神として尊崇す。後、仙台藩主歴代伊達氏の種々奉献することあり篤くこれを崇め、宮城野八幡と呼んだ。明治5年(1872)5月村社に列せられ、同40年(1907)3月幣帛供進社に指定をうけた。昭和20年(1945)戦災に遭い、同27年(1952)現在の地に社殿を新営遷祀して今日に至る。(宮城県神社庁HP朱書説明文から引用)


 境内には樹齢200年のケヤキの木があり、仙台市の名木・古木88選に指定されています。


 同じく境内に相撲の土俵があります。相撲は農作物の収穫を占う際に各地の神社でよく行われていたそうです。
 ブルーシートで覆われているということは、今でも使えるように保存されているということでしょう。



 本殿と境内の様子。地域の鎮守神としての由緒ある雰囲気が感じられました。

EOS R, EF17-40mm F4L USM