2024年4月17日水曜日

青麻神社

青麻(あおそ)神社(宮城県仙台市宮城野区岩切青麻沢32)


 仙台市、富谷市、利府町の2市1町にまたがる広大な森林公園「宮城県民の森」に隣接しています。神社のすぐ背後にも山が迫っています。


第55代文徳天皇の御世の仁寿2年(西暦852年)、現社家の遠祖穂積保昌が山城国(現京都府)よりこの地に来たり、里人に麻の栽培を教え、且、一族の尊崇せる日月星の三光神即ち天照大御神、天之御中主神、月読神の三神を清水湧く山峡の岩窟中に奉祀せしが本社の創始と伝える。(宮城県神社庁HPから抜粋して引用)



 神門と拝殿です。


 拝殿の後ろに鎮座する青麻岩戸三光窟。

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、月読神(つきよみのかみ)を祀った本殿と言っていいと思います。パワースポット感が半端じゃないです。背後の山そのものにも神性を感じます。


 大雨になると出現する隠大滝、


境内社の山神社も雰囲気があります。


 その他、源義経の臣下の常陸坊海尊がこの地に霊験を現したとか、三度参詣すると中風にならないなど、この神社にはここに書き切れないほどの言い伝えがあるようです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年4月11日木曜日

鉾附神社

鉾附(ほこづき)神社(宮城県刈田郡蔵王町矢附鉾附30)


 東北自動車道村田ICを下りて蔵王町遠刈田に向かう途中の道路が工事中で、迂回路を通っていた際に偶然見つけた神社です。


 一面の水田地帯の中にある小高い丘に鎮座しています。



主祭神 源義家

源義家が小原の清水峠から矢を射た。矢は空を切り裂いて飛び去り、遠く離れた小さな丘の上に突き刺さった。人々は驚き、その丘に、弓矢の鉾が刺さったことから「鉾附神社」と号する神社を建て、義家を神として祀った。また、矢が突き刺さったときの衝撃で矢柄(やがら)が外れ、さらに八丁(900m)ほど飛んで、別の丘の上に落ちた。人々はそこに「矢柄明神」を建てて祀った。(蔵王町教育委員会作成 境内掲示板から引用)

 英雄が矢を放ったことに由来するといえば、首都圏のJR南武線に乗ったところ「尻手」(しって)という駅があり、おもしろい駅名だと思い調べた結果、日本武尊が東征の際に弓で矢を放ち矢尻が落ちた場所に由来していたということを思い出しました。矢先が落ちたところは「矢向」(やこう)といい、「尻手」の隣の駅名にもなっています。

 似たような言い伝えは各地にあるのですね。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年4月10日水曜日

城取神社

城取神社(宮城県仙台市若林区六十人町81)


 若林区六十人町の城取神社です。

 六十人町は、「畳屋丁から東に延びる五十人町南側の町。正保年間の地図(1645~1646)では「中間(ちゅうげん,武士の下働きをする者)屋敷」となっているが、その後は足軽が住むようになり、幕末には足軽が町の名のとおり60人住んでいた」とされています。(仙台市若林区HP「町名にみる城下町」参照)



六十人町東街道と西新丁との間南側(元五島昌治邸内)にあった小祠。南小泉との村境に祀ったものので、寛永三年(1626)、若林足軽組を置かれた際に用いた縄張りの縄を埋めたともいうので、城取明神と称して祭祀していたのが、一時中絶、民家になっていたのを、昭和二十七年(1952)旧地に復活し、五月二十四日の青葉神社祭と同時に祭事を行うことになった。(「仙臺市史(昭和28年版)」から引用)

 村と村との境に張られた縄。今も自分のテリトリーのことを「なわばり」と言いますが、ここからきた言葉なのですね。縄はそれだけ大事だったので土に埋めて祀ったのでしょう。


 六十人町に住んだほとんどの足軽の報酬は十六石だったそうです。

 十六石は現在の金銭換算で240万円ほど。「足軽たちは微禄な生活を補うため野菜類を耕作して河原町にあった市場に売りに出た」(境内配布「六十人町由来」参照)ということです。当時の暮らしぶりがしのばれます。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

伊達八幡神社

伊達八幡神社(宮城県仙台市若林区五十人町24)


 若林区五十人町の児童公園に伊達八幡神社が鎮座しています。

 五十人町は「三百人町と六十人町にはさまれた町で、足軽五十人衆が居住したためこの名がついた。三百人町と同じく寛永7年(1630)前後には割り出されている」(仙台市若林区HP「町名にみる城下町」)と説明されています。



 伊達八幡神社については、仙臺市史(昭和28年版)に「伊達氏十五世晴宗の守本尊で、初め米澤に鎮座してあったのを、慶長五年(1600)ここに遷座し、伊達八幡神社と称するに至った」と記されています。

 主祭神は、仲哀天皇と応神天皇です。

 瓦の屋根がたいへん立派な神社です。


 軒先近くに構えているのは、狛犬のように邪気を払う役を担った生き物でしょうか。

 紋章は伊達家の家紋である三引両紋(みつびきりょうもん)です。


 この日、神社を眺めていたら近所の住民の方が声をかけてきて、「お祭りの時はお神輿がでて賑わうんですよ」と教えてくれました。

 「定年退職した人が扮装してすごいんです」

 私も退職者なので、その気持ちはよく判ります。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

信夫神社

信夫神社(宮城県仙台市若林区三百人町147-2)


 若林区三百人町に鎮座する信夫神社です。

 三百人町について、仙台市若林区のHP「町名にみる城下町」には「足軽三百人衆が住んだためにこの名がついた。寛永7年(1630)には割り出されたという。住んだのは鉄砲足軽たちで、福島の伊達郡に残っていた伊達家のかつての家臣たちだった。慶長5年(1600)、政宗が白石城を攻めた際、戦いに参加し、再び伊達家に仕えて仙台のこの地に移り住んだ。」と記されています。


主祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)

信夫神社(しのぶじんじゃ)は、伊達政宗が慶長15年(1610)に足軽たちの出身地である信夫郡(しのぶごおり)の神社を勧請したものといわれる。(前述HP「町名にみる城下町」から引用)

 社殿の左側は町内会の集会所、右側は御輿堂です。社殿の中を覗いたところ、祭壇があって塩、米、榊が供えられていました。当社の管理は、太白区の愛宕神社が行っているようです。

 
 すぐ隣にある、というかほぼ同じ敷地にある浄土宗常林寺には、現在の仙台市立荒町小学校の前身である三百人町小学校が明治6年(1873)に開かれたとのこと。「仙台市小学校発祥之地」という碑が立っています。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

箱石神社

箱石神社(宮城県仙台市若林区成田町104)

 若林区成田町に鎮座している箱石神社です。



 境内の桜が満開でした。



 社殿で御朱印と一緒に配布されている由緒書きが、この町と神社の由来を詳しく説明しているので、少し長いですが引用します。

 当地「成田町」は、慶長十八(1613)年、葛西氏に仕えた桃生郡箱石村の足軽たちが、主家滅亡ののちに伊達家に取り立てられ、町割りされた足軽町に移住したことに始まります。移住の際、郷里の産土神(氏神)であった箱石神社を勧請し、社殿を建立した事が当神社の始まりであります。
 元来の箱石神社は、「龍神」や「水神」を祀られていたようでありますが、現在は倉稲魂神(お稲荷様)を主祭神とします。境内にあった佐々八幡神社を合祀(年代不明)したほか、境内には神仏混合時代の名残である不動尊のお堂が鎮座します。

※ この由緒書きには足軽たちが「桃生郡箱石村」から移住したとありますが、仙臺市史や宮城県神社庁のHPには「桃生郡成田村」からと記されています。桃生郡成田村は現在の石巻市相野谷飯野川町です。



  神仏混合の名残といわれる不動尊堂です。


 境内の奥にある謎の物体です。

 しめ縄が張られているので、これが「箱石」なのかとも思いましたが、石はさほど古くはない人工の構築物です。由緒書きに「元来の箱石神社は、「龍神」や「水神」を祀られていた」と記されているので、井戸のようなものを祀っているのでしょうか。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

白鳥神社

白鳥神社(宮城県仙台市若林区表柴田町3)

 寛永4年(1627)伊達政宗は仙台城のはずれに若林城を築き、その東側に足軽町として柴田町、成田町、三百人町、五十人町、六十人町を置きました。

 これらの町には、足軽たちの出身地にあった氏神が分霊として祀られており、今もそれぞれの町の守り神として鎮座しています。


 宮城県仙台第一高等学校の南側に位置する表柴田町に白鳥神社があります。柴田町は柴田郡から召し出された足軽が住んでいたところです。



 拝殿と本殿です。

主祭神、日本武尊(やまとたけるのみこと)

天明2年(1782)7月、福壽山法林寺現住智教の代に、本山東陸奥柴田郡平邑白鳥宮より勧請。柴田郡から召し出された御足軽(総勢169人、16石取り)が、故郷の平邑の大高山神社の御祭神を祀ったものとも伝えられている。(宮城県神社庁HPの由緒説明から引用)


 拝殿には「大高宮」の扁額が掲げられています。

 当社が勧請した現柴田郡大河原町の大高山神社は、日本武尊が蝦夷征伐の時に仮宮を建てて住んだ場所で、その跡地に白鳥大明神として日本武尊を祀ったと云われています。


 拝殿は町内会の集会所として使われているようです。人々の生活と強く結びついていると感じさせる神社です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM