城取神社(宮城県仙台市若林区六十人町81)
六十人町は、「畳屋丁から東に延びる五十人町南側の町。正保年間の地図(1645~1646)では「中間(ちゅうげん,武士の下働きをする者)屋敷」となっているが、その後は足軽が住むようになり、幕末には足軽が町の名のとおり60人住んでいた」とされています。(仙台市若林区HP「町名にみる城下町」参照)
六十人町東街道と西新丁との間南側(元五島昌治邸内)にあった小祠。南小泉との村境に祀ったものので、寛永三年(1626)、若林足軽組を置かれた際に用いた縄張りの縄を埋めたともいうので、城取明神と称して祭祀していたのが、一時中絶、民家になっていたのを、昭和二十七年(1952)旧地に復活し、五月二十四日の青葉神社祭と同時に祭事を行うことになった。(「仙臺市史(昭和28年版)」から引用)
村と村との境に張られた縄。今も自分のテリトリーのことを「なわばり」と言いますが、ここからきた言葉なのですね。縄はそれだけ大事だったので土に埋めて祀ったのでしょう。
六十人町に住んだほとんどの足軽の報酬は十六石だったそうです。
十六石は現在の金銭換算で240万円ほど。「足軽たちは微禄な生活を補うため野菜類を耕作して河原町にあった市場に売りに出た」(境内配布「六十人町由来」参照)ということです。当時の暮らしぶりがしのばれます。
EOS R, EF24-105mm F4L IS USM
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