八幡神社(宮城県仙台市太白区柳生7丁目21-3)
太白区柳生の曹洞宗柳生寺に隣接して鎮座しています。
祠が一つだけの小社です。Googleマップの写真画像には赤い鳥居が写っていますが、今はありません。
由緒等まったく判りません。扁額も説明板もないため神社名も定かではないのですが、複数の地図や神社紹介ブログに「八幡神社」と紹介されているので従うことにします。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
羽黒神社(宮城県仙台市太白区山田上ノ台町22-1)
太白区山田の丘陵を切り崩して造成された団地の中に鎮座しています。この神社の周辺は開発の対象とされなかったのか、緑地として残っています。
鳥居から社殿までは急な石段を上ります。
主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
羽黒神社の里宮は、本宮が旗立山(西森)の山頂近くにあり、冬期間の参拝が困難なため仮宮としてこの地に建立された。天保年間(1830~1844)以前と思われる。祭神は、宇迦之御魂神(又は倉稲魂命)で食べ物の神様と言われている。山形の出羽三山とも縁が深く、毎年正月には、山形の羽黒神社の宿坊の宮司が山田の氏子宅を廻り、家内安全と豊作祈願の祝詞をあげていた。山田の氏子たちも、毎年代表を出羽三山に送って祈願していた。(境内掲示「羽黒神社(里山)」から引用)
本殿です。
年季の入った狛犬がいい雰囲気を出しています。
日吉神社(宮城県仙台市若林区二木字山王23)
五柱(ごちゅう)神社(宮城県仙台市若林区藤塚字屋敷51)
仙台湾に面し、名取川を挟んで名取市閖上地区に接する若林区藤塚地区に鎮座しています。 上記写真の自転車が通っている防潮堤のすぐ向こう側が仙台湾です。
この地区は2011年の東日本大震災の津波により甚大な被害を被った場所で、神社の社殿もすべて流失しましたが、2015年に本殿と拝殿が再建されたとのことです。
主祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、天児屋命(あめのこやねのみこと)
昔は五社明神と呼ばれた海に面した神社で、5体のご神体が筏に乗って漂着したという伝説がある。五柱とは、「大神宮」「賀茂」「祇園」「稲荷」「春日」を合祀する総神社のことで、康平3年(1060)の前九年の役に源頼義、義家親子が常陸の国村松に勧請したものを、永享7年(1435)の戦ののちに足利持氏がこの地に移したという。のちに由来を聞いた政宗が社殿を改築し、代々保護されてきた。また、境内にはご神体を乗せてきた藤蔓(ふじつる)を埋めたところ根をつけたというフジの木があり、すべてが左巻きの蔓をくぐると疫病封じになるといわれた。このフジが藤塚の地名の起こりという。(仙台市HP「神社めぐり「若林界隈」」から引用)
再建された拝殿です。
こちらは本殿です。本殿の後ろに、藤塚地区の名前の由来となった藤の木に因んで藤棚が設置されています。
境内には震災被害の様子を記した碑が置かれ、津波で流失した施設の一部と思われる破片が残されています。
この地区は現在も震災復興工事が行われており、神社の近くには複合商業施設である「アクアイグニス仙台」がすでに整備されています。また、2026年春にはポケモンのキャラクターであるラプラスをモチーフにした公園が開園するとのことです。
EOS R, EF35mm F1.4L USM
高砂神社(宮城県仙台市宮城野区蒲生字町86-1)
大和(やまと)神社(宮城県仙台市宮城野区蒲生5丁目5-11)
製造業や流通業の事業所が集中して立地する仙台港背後地の南端、七北田川沿い近くに鎮座しています。
蒲生地区は東日本大震災の際に4mを超える津波が襲った場所です。当社も津波に見舞われましたが、社殿等の流出は免れたとのこと。2015年から当地区で仙台市の土地区画整理事業が始まり、神社は2018年12月に現在地に遷座されています。(仙台市「蒲生復興のあゆみ」参照)
徳川延宝年代(一六六一)蒲生領主和田織部房長は舟入堀の工事完成を期に,多賀城紅葉山の館より、家従三十人と共に当地に移住してきた。 館内に氏神として京都伏見稲荷神社の分霊を勧請し祀った社である。和田氏は大和(奈良県)の出身なので大和神社と称した。明治になり和田新田地域の鎮守の神として寄進され今日に至る。(境内掲示「大和神社由緒」から引用)
社殿の隣に「智證院殿和田織部為泰之碑」があります。
和田氏11代織部為泰は「仙台藩最后の国老として、藩内の戊辰の役の戦後処理に当たった後、密告されて切腹した」(前掲「大和神社由緒」参照)とのこと。密告したのは明治政府側だそうです。当時の権力闘争の犠牲者と言えるでしょうか。為泰はその時38歳。酷いですねえ。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
荻袋八幡神社(宮城県仙台市宮城野区蒲生荻袋39)
宮城野区蒲生の住宅に挟まれた小さな土地に鎮座しています。
狭い境内に覆屋と地蔵堂と神社に直接は関係ないと思われる水道記念碑がコンパクトに配置されています。
覆屋の中には荻袋八幡神社と刻まれた石碑(右側)と大日尊供養と刻まれた石碑(左側)があります。記名年などは読み取れませんでした。
この神社について、これ以上の詳細は不明です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
岡田北在家小祠(宮城県仙台市宮城野区岡田北在家21-3)
車で仙台湾にある神社を訪問する途中に偶然発見した小祠です。理髪店の店先に鎮座しています。
狐像が祀られているので稲荷社でしょうか。賽銭箱が置かれていないところから、地域の鎮守というよりこの家の屋敷神なのかと察せられます。詳細は不明です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
火防神社(宮城県仙台市太白区鈎取本町1丁目17-20)
太白区鈎取の「蕎麦処初代伝五郎」の敷地内に鎮座しています。
昔、この地に訪れた弘法大師(空海)が一杯の水を所望すると、村人は遠く離れた水場へ冷水を汲みに行き、大師に差し出しました。水に困窮していた村の事情を知った大師が指差した地面を掘ると、ほどなくなみなみと水が湧き出たと言います。大師が村に遺した「火防の書」は大切に守り伝えられ、およそ百年前、当家の主、佐藤傳五郎により敷地内の御堂にご神体として祀られました。毎年「火防講」の祭りも開かれ、参拝者に配られる御守は「火防の言い伝え」と共に、変わらぬ信仰を集めています。(境内掲示「火防神社」から引用)
「蕎麦処初代伝五郎」の店舗は100年前に空海の「火防の書」を祀った佐藤傳五郎氏の住まいだった家屋を利用したもの。ただ、この店は15年ほど前にこの場所にできた山形蕎麦の店なので、店名に佐藤傳五郎氏の名を用いているものの、この神社の設立に直接の関わりはないと思われます。
なお、佐藤傳五郎氏の子孫は、蕎麦処から10mほど離れた場所で茶道具「青峰堂」を経営しており、今も神社の管理をしているようです。(以上、前掲「火防神社」及び「蕎麦処初代伝五郎」内配置パンフレット参照)
PowerShot S120
伊豆権現社(宮城県仙台市太白区西中田1丁目20-5)
JR東北線「南仙台」駅から徒歩5分ほどのマンションが立ち並ぶ場所の奥に鎮座しています。中田神社の東隣りです。
伊豆野権現古墳という直径10メートルほどの古墳の上が境内になっています。
中田神社の東隣りに小さな円墳があり、伊豆野権現円墳とよばれる。墳丘上には伊豆野権現の小社がある。(略)中田神社の社地は古代、当地の豪族前田弾正左衛門敏の屋敷地で前田屋敷といわれる。平安時代の中期、豊前国宇佐郡の中津川城主中津川義氏が故あって奥州に配流の身となり、前田屋敷に住んだ。前田館主柿沼氏は中津川氏を手厚く遇した。伊豆野権現は寛和二年(九八六)中津川義氏が祀ったものという。義氏は配流三年にして赦されて帰国したという。(木村孝文「太白の散歩手帖」から引用)
古墳の名称は伊豆野権現古墳ですが、鳥居の扁額に記された神社の名称は伊豆権現となっています。
境内には三つの社があります。左の社の中には延命地蔵尊、真ん中には伊豆権現大菩薩の札が確認できます。
右側が伊豆権現の社殿のようです。
この神社は、鎌倉時代に源頼朝から奥州平定の恩賞としてこの地を与えられた人々が、出身地の神社である伊豆大権現(現在の静岡県、伊豆山神社)の分霊を勧請したという説もあります。判らないことが多い神社です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM