野中神社(宮城県仙台市青葉区一番町2-7-18)
社殿は狭苦しい通路を何度か曲がると、
やっと見えてきます。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦役時,伊達政宗公は戦功により徳川家康から新たに刈田郡を加増され,この年,岩出山から城を宮城郡国分荘千代に移すことになり同年12月24日政宗公は,青葉ヶ崎に登って築城の縄張りを行い,千代の地名を仙臺の文字に改めました。政宗公34歳の時でありました。明けて慶長6年(1601)正月11日を吉辰として縄張始の式をあげ,予め設計された絵図に従って町割りが進められ1月末には完了いたしました。当野中神社は,城下建設に当たって政宗公が城下中心と定めた所で,この地を記念するため町割の縄張りに使った縄を集めて土中に埋め,その上に野中神社を祀ったと言い伝えられています。(境内掲示由来説明から引用)
築城の縄張りに用いた縄を土中に埋めその上に神社を創建したということは、御神体は縄ということでしょうか。
伊達政宗が城下の中心と定めた場所に鎮座している由緒ある神社ということで、現在は一番町商店街振興組合が管理し、毎年7月下旬に盛大なお祭りが行われているそうです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM