2024年3月28日木曜日

八坂神社(富田)

八坂神社(宮城県仙台市太白区富田字上野中4)

 
 境内の入り口に子ども用の遊具が置かれています。私が訪問した日も春休み中の子どもが遊んでいました。右側に見える白い建物は地域の集会所です。



 拝殿と本殿です。

主祭神 素盞鳴尊(すさのおのみと)

天文三年(1534、室町)この地方に疫病が流行し患者が多く発生したので、山城国愛宕郡の八坂の大神を同年六月勧請したと伝える。(社伝、口碑)明治五年(1872)四月村社列格(宮城県神社年鑑から引用)

 昭和28年(1953)発行の仙臺市史には「安永五年(1776)藩主伊達重村三寶一個及三組盃を寄進したが、天明三年(1783)以降破損滅失して現存していない」と記されています。



 末社と神輿堂です。

 村社に列せられた格式ある神社にもかかわらず、人々の生活に溶け込んでいるところだと感じました。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

富沢三丁目小社

富沢三丁目小社(宮城県仙台市太白区富沢3丁目20-54)


 太白区富沢の片側2車線の道路添いにある小さな公園の中に鎮座しています。大きな道路を造成した際にここに移されて来たのでしょうか。



 鳥居の扁額の文字がすっかり褪せていて、神社の名前も由緒も判りません。


 それでも、社殿の周りはきれいに清掃され、御神酒が供えられています。扁額の文字は消えても信仰はなくならないのですね。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年3月24日日曜日

三田八幡神社

三田八幡神社(宮城県仙台市泉区八乙女1丁目5-7)


 参道が化粧品販売会社の駐車場になっています。イマドキを象徴していると言えばそのとおりなのでしょうが。


 社殿前の松の木が盆栽のような曲がり具合で特徴があります。


寛永年間(1624-1644)伊達政宗家臣犬飼清藏重久氏仙台城下に居住の頃より江戸三田に祭る三田八幡神社移し帰郷氏神として祭り居りしが明治維新犬飼清長氏時代現在地七北田村八乙女に居を構へ祭り居るその後明治十四年(1881)五月吉日当時の同地内に居住の方々契約連中十四名の親睦且農作物生産の意志向上を念じ犬飼氏屋敷内より現在地へ移神祭す 祭縁日春五月八日秋九月九日五穀豊穣祈願し繁盛した(境内由緒説明碑から引用)

 風土記御用書出にはこの地に阿弥陀堂があるとの記載があるようですが、現存はしていません。


 社殿の隅に「大六天」(仏道をさまたげる魔王)【左側】と「文殊菩薩」(智慧門をつかさどる菩薩)【右側】の石碑が残っています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

高玉神社

高玉神社(宮城県仙台市泉区市名坂万吉前125-2)


 泉区市名坂の公園に鎮座しています。フィギュア・スケートの羽生結弦選手が若い頃に練習していたスケート場「アイスリンク仙台」の近くです。



主祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)

風土記御用書出には、高玉明神は稲荷社で、勧請した人名も何年にお祀りしたか知られていない。社地、竪八間、横五間の所に南向の社があり、その頃すでに大破してあった。地主は七北田町屋敷お百姓圓之助と申し、別當は金剛院(修験)で、祭日は九月九日と記されている。(境内由緒掲示板から引用)


 風土記御用書出に由緒が書かれた安永三年(1774)当時の地主が農家で、主祭神の倉稲魂神は農業の神ですから、当然ながらこの社はこの周辺の農地の豊作を願って祀られたのでしょう。

 現在の市名坂はまったくの商業地となっているので隔世の感があります。個人的には隣りにあったスーパーのダイエーによく買い物に来たのが懐かしく思い出されます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年3月15日金曜日

愛宕神社(七北田)

愛宕神社(宮城県仙台市泉区七北田白水沢114-2)


 泉区七北田の旧奥州街道にほど近い道路に参道の入口があります。



 愛宕山という低山の坂を登り切ると、そこに神社が鎮座しています。



勧請年月、由緒等不祥。此社既に天明元年(1781)6月の書出に記載され、往古より村内の高峰愛宕山頂に鎮座し七北田一村の尊崇を集める。(宮城県神社庁HPの由緒説明から引用)

 主祭神は火具土之神(ひのかぐつちのかみ)で火防の神です。

 七北田は旧奥州街道の宿場町でした。仙台市のHP「いずみ史跡今昔物語」によると「人家密集の宿場では火災が何よりも恐ろしく、そんな意味からも勧請されたものとされています」ということです。


 多数の石碑がまとめられています。


 山頂の境内からは町並みが見渡せます。宿場町を山の上から見守る神社であったことがよく判ります。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

新田天王社

 新田天王社(宮城県仙台市泉区七北田新田130)


 泉区の将監トンネルを富谷方面に進行し、抜けたらすぐに左折します。

 国道4号を4,5百メートル北上すると、外国車販売店が並んでいる周辺の裏手に仙台市七北田新田公園があり、その中に神社が鎮座しています。


 急な石段を上ると、鳥居、狛犬、手水場、石碑、社殿の神社5点セットが整然と配置されています。



 市の公園の中に置かれていることと境内の計算されたような配置の仕方から、仙台市の区画整理等に伴ってどこかから移されてきたものと思われます。


 古峯大神の石碑には「明治◯(判読できす)未年」という記述が見られます。


 狛犬と白い一の鳥居は令和3年(2021)に奉納されたようです。

 「子どもの頃には山の中にあった」とする最近書かれたブログも見かけましたが、残念ながら由緒等については判りませんでした。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年3月7日木曜日

下愛子小社

下愛子(しもあやし)小社(宮城県仙台市青葉区下愛子町5)


 今や新興住宅地となった愛子地区に残された畑。その片隅に小社が鎮座しています。



 社名を記した扁額も賽銭箱もないことから、畑の持ち主が個人的に祀っている祠かもしれません。



 鈴が取り付けられていた痕跡があるので、よそからの参拝者を想定していたとも考えられますが、詳しいことは不明です。

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 さて、ここからは神社ではない番外の話で恐縮なのですが、この小社の近くに子愛観音(こやすかんのん)があります。


 ここに祀られている観音像は文治3年(1187)定澄(じょうちょう)の作とされています。子愛観音は、この一帯の地名である「愛子」(あやし)の由来となったものだそうです。

 子愛が由来であれば地名も「子愛」(こやす)でよかったのではないかとも感じますが、言葉が逆転するのはよくあること。何らかの理由があったのでしょうね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM