2024年3月24日日曜日

三田八幡神社

三田八幡神社(宮城県仙台市泉区八乙女1丁目5-7)


 参道が化粧品販売会社の駐車場になっています。イマドキを象徴していると言えばそのとおりなのでしょうが。


 社殿前の松の木が盆栽のような曲がり具合で特徴があります。


寛永年間(1624-1644)伊達政宗家臣犬飼清藏重久氏仙台城下に居住の頃より江戸三田に祭る三田八幡神社移し帰郷氏神として祭り居りしが明治維新犬飼清長氏時代現在地七北田村八乙女に居を構へ祭り居るその後明治十四年(1881)五月吉日当時の同地内に居住の方々契約連中十四名の親睦且農作物生産の意志向上を念じ犬飼氏屋敷内より現在地へ移神祭す 祭縁日春五月八日秋九月九日五穀豊穣祈願し繁盛した(境内由緒説明碑から引用)

 風土記御用書出にはこの地に阿弥陀堂があるとの記載があるようですが、現存はしていません。


 社殿の隅に「大六天」(仏道をさまたげる魔王)【左側】と「文殊菩薩」(智慧門をつかさどる菩薩)【右側】の石碑が残っています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

高玉神社

高玉神社(宮城県仙台市泉区市名坂万吉前125-2)


 泉区市名坂の公園に鎮座しています。フィギュア・スケートの羽生結弦選手が若い頃に練習していたスケート場「アイスリンク仙台」の近くです。



主祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)

風土記御用書出には、高玉明神は稲荷社で、勧請した人名も何年にお祀りしたか知られていない。社地、竪八間、横五間の所に南向の社があり、その頃すでに大破してあった。地主は七北田町屋敷お百姓圓之助と申し、別當は金剛院(修験)で、祭日は九月九日と記されている。(境内由緒掲示板から引用)


 風土記御用書出に由緒が書かれた安永三年(1774)当時の地主が農家で、主祭神の倉稲魂神は農業の神ですから、当然ながらこの社はこの周辺の農地の豊作を願って祀られたのでしょう。

 現在の市名坂はまったくの商業地となっているので隔世の感があります。個人的には隣りにあったスーパーのダイエーによく買い物に来たのが懐かしく思い出されます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年3月15日金曜日

愛宕神社(七北田)

愛宕神社(宮城県仙台市泉区七北田白水沢114-2)


 泉区七北田の旧奥州街道にほど近い道路に参道の入口があります。



 愛宕山という低山の坂を登り切ると、そこに神社が鎮座しています。



勧請年月、由緒等不祥。此社既に天明元年(1781)6月の書出に記載され、往古より村内の高峰愛宕山頂に鎮座し七北田一村の尊崇を集める。(宮城県神社庁HPの由緒説明から引用)

 主祭神は火具土之神(ひのかぐつちのかみ)で火防の神です。

 七北田は旧奥州街道の宿場町でした。仙台市のHP「いずみ史跡今昔物語」によると「人家密集の宿場では火災が何よりも恐ろしく、そんな意味からも勧請されたものとされています」ということです。


 多数の石碑がまとめられています。


 山頂の境内からは町並みが見渡せます。宿場町を山の上から見守る神社であったことがよく判ります。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

新田天王社

 新田天王社(宮城県仙台市泉区七北田新田130)


 泉区の将監トンネルを富谷方面に進行し、抜けたらすぐに左折します。

 国道4号を4,5百メートル北上すると、外国車販売店が並んでいる周辺の裏手に仙台市七北田新田公園があり、その中に神社が鎮座しています。


 急な石段を上ると、鳥居、狛犬、手水場、石碑、社殿の神社5点セットが整然と配置されています。



 市の公園の中に置かれていることと境内の計算されたような配置の仕方から、仙台市の区画整理等に伴ってどこかから移されてきたものと思われます。


 古峯大神の石碑には「明治◯(判読できす)未年」という記述が見られます。


 狛犬と白い一の鳥居は令和3年(2021)に奉納されたようです。

 「子どもの頃には山の中にあった」とする最近書かれたブログも見かけましたが、残念ながら由緒等については判りませんでした。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年3月7日木曜日

下愛子小社

下愛子(しもあやし)小社(宮城県仙台市青葉区下愛子町5)


 今や新興住宅地となった愛子地区に残された畑。その片隅に小社が鎮座しています。



 社名を記した扁額も賽銭箱もないことから、畑の持ち主が個人的に祀っている祠かもしれません。



 鈴が取り付けられていた痕跡があるので、よそからの参拝者を想定していたとも考えられますが、詳しいことは不明です。

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 さて、ここからは神社ではない番外の話で恐縮なのですが、この小社の近くに子愛観音(こやすかんのん)があります。


 ここに祀られている観音像は文治3年(1187)定澄(じょうちょう)の作とされています。子愛観音は、この一帯の地名である「愛子」(あやし)の由来となったものだそうです。

 子愛が由来であれば地名も「子愛」(こやす)でよかったのではないかとも感じますが、言葉が逆転するのはよくあること。何らかの理由があったのでしょうね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

津島祇園社

津島祇園社(宮城県仙台市青葉区上愛子蛇台原)


 JR仙山線愛子駅の南300mの住宅地の中に鎮座しています。


牛頭天王(ごずてんのう)を祭神とする神社で、災害や疫病からの守り神として崇敬されています。天保の飢饉(1830年代)の頃、この地域の子どもたち飢えと疫病で沢山亡くなったと諏訪神社の筒粥記(つつがゆき)に記されています。明治16年(1883年)町内の有志3名が村民で結成された伊勢講のおり愛知県津島祇園神社に詣でた際に是非にと分社を申し出、当時の愛子小学校の敷地の一部であったこの場所に地域住民の寄付金で御社を造営しました。毎年旧暦の6月15日には祇園神社まつりが行われています。(境内掲示由緒説明板から引用)



 祇園信仰は愛知県の津島祇園神社を中心に東海地方に広まった信仰です。

 祭神の牛頭天王(ごずてんのう)は行疫神(疫病をはやらせる神)ですが、その行疫神を慰め和ませることで疫病を防ごうとしたのが信仰の原形であるとのこと。

 宮城の津島祇園社は由緒にあるとおり、愛知の神社の分霊社です。
 

 覆屋に護られている本殿は飾り気がなく地味です。しかし、それゆえにむしろ、時の権力者の手によるものではなく住民自らが造営した感じがよく出ていますね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

諏訪神社(上愛子)

諏訪神社(宮城県仙台市青葉区上愛子宮下40)


 一の鳥居から御殿山に向かって参道を進みます。



 急な石段を上ると長床の先に社殿が見えてきます。



主祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)

延暦年間(782-806)までに御殿山に山神を祀ったのが始まりとされており、文治年間(1185‐1190)に源頼朝が平泉の藤原泰衡を討伐された際、必勝祈願をしたことから社殿を造営・建御名方神を祀り諏訪社と改称しました。その後、国分氏が一帯を配下とし、康正3年(1457)に社殿を現在の地に遷座しました。支配下が伊達家に移ってからも社殿を複数にわたって建替え、現在の社殿は宝永2年(1705)完工と推定されており、覆屋で保護されております。当社は昭和38年(1968)7月2日宮城県指定有形文化財に指定されました。(神社HPから由緒を引用)



 本殿は中宮、左宮、右宮があり、覆屋でがっちり囲われています。

 さしたる根拠はないのですが、閉ざされた本殿に何かが隠されているという感じのする神社です。



 明治以前には境内に龍泉寺という寺院があったそうで、現在も境内でお地蔵さんや不動明王が祀られています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM