紫稲荷大明神(宮城県仙台市青葉区立町4-24)
青葉区立町の道路に面して鎮座しています。
稲荷社ですが龍神も祀っているようです。
今は寺院の面影はまったくありません。併祀されたという説のある村堺明神だけが存続していると考えられます。
本材木町は現在の立町、本櫓丁は国分町ニ丁目あたりで、昔から割烹・料理屋・待合・芸者置屋等が並ぶ地域です。毎年7月に行われる神社の例祭は藩政以来の伝統行事で、現在もニューハーフショーなどで盛り上がるそうです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
紫稲荷大明神(宮城県仙台市青葉区立町4-24)
青葉区立町の道路に面して鎮座しています。
稲荷社ですが龍神も祀っているようです。
今は寺院の面影はまったくありません。併祀されたという説のある村堺明神だけが存続していると考えられます。
本材木町は現在の立町、本櫓丁は国分町ニ丁目あたりで、昔から割烹・料理屋・待合・芸者置屋等が並ぶ地域です。毎年7月に行われる神社の例祭は藩政以来の伝統行事で、現在もニューハーフショーなどで盛り上がるそうです。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
仙臺大神宮(宮城県仙台市青葉区片平1丁目3-6)
青葉区片平のビルやマンションが立ち並ぶ区域に鎮座しています。
ここは伊達騒動で功労のあった家老茂庭周防邸の跡地だそうです。仙台藩の伊達騒動を描いた山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」は私も読み感動しました。しかしながら、茂庭周防がどんな功績を残したかは覚えていません。情けないです。
拝殿です。
主祭神 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
明治4年(1871)、伊勢に神宮教院が開設され、神宮の御神徳の発揚惟神の大道の宣布の運動が行われ全国を三十一教区に区分し、枢要の地に本部を配置した。その第4教区宮城本部設営に当たり(略)片平丁の現在地に御遷座、神宮教奥羽教会所を設立したのに始まる。(略)昭和21年(1946)終戦を迎え米国占領軍の所神道指令に依り宮城本部の解散と名称の変更を余儀なくされ同年4月16日宗教法人令に基づき宗教法人仙台大神宮を設立し(略)現在に至。(宮城県神社庁HPから引用)
本殿です。拝殿に向かってすぐ左側にあり、本殿に直接参拝できるようになっているのが珍しいですね。
こちらは宮城県で初めて神前結婚式を執り行った社なのだそうです。手水舎などがきれいに飾られているのが印象的です。
EOS R, EF17-40mm F4L USM
貴船神社(宮城県多賀城市市川字金堀)
旧塩釜街道沿いの木立の中に鎮座しています。
街道に面した参道の入り口が狭く、私は車で何度か通り過ぎてしまいました。入口に設置してある由緒説明板が目印です。
写真では明るく見えますが、境内は木々が鬱蒼として薄暗く、何かが出そうな雰囲気でした。
多賀城神社(宮城県多賀城市市川大畑13)
多賀神社(宮城県多賀城市市川六月坂)
陸奥総社宮(宮城県多賀城市市川奏社1)