2024年1月31日水曜日

古城神社

 古城(ふるじろ)神社(宮城県仙台市若林区河原町2-7-10)


 河原町周辺は神社の多いところで、この日5軒目の訪問です。

 当社は河原町から宮城刑務所(かつての若林城があった場所)に達する道路に鎮座しています。


主祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

 宮城県神社庁のHPに掲載されている由緒は文学的表現が強く長いため要約して引用します。

昔、広瀬川は洪水のたびに流域が変わり住民が苦しんだ。ひとりの行人(遠行聖人と伝う)が人柱となり生き埋めとなって祈願したところ、その年の秋から河の流れが変わり流域は見渡す限りの沃野となった。村人は行人の恩を忘れぬように塚を築き、行人が祈願した神を祀って神殿を造り崇敬したと伝う。

 神社が建っている場所は行人(ぎょうにん)塚と呼ばれ、周辺のかつての地名となり、現在はJR東北線の踏切名として残っているとのことです。


 神社の前には花鉢が2つ置かれ、管理も行き届いています。村を救った行人への崇敬は今も残っているようです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

新弓ノ町八幡神社

 新弓ノ町八幡神社(宮城県仙台市若林区新弓ノ町50)



 仙台市立南材木町小学校の西200mほどの場所に鎮座しています。


主祭神 応神天皇


 境内に由緒説明板があるのですが、ひじょうに長いので仙台市HPから由緒を引用します。

新弓ノ町は弓ノ町の弓衆が寛永14年(1637)以降この地に移されて割り出された。この神社は京都男山八幡宮を勧請したもので、境内の横には弓道場があったらしい。境内には4代藩主綱村や5代藩主吉村に仕えた藩の重鎮、布施定安が祀られて布施大明神となっている。布施は、加増される時にここの弓足軽を取り立てを進言した町の恩人だった。(仙台市HP「若林区 神社めぐり 南材界隈」)


 自禄で弓組三十六戸を新設し伊達藩南門の武備としたことにより町の恩人となった布施定安を祀った末社の布施大明神です。


 布施大明神の社殿は真っ白です。この色の社は見たことがありません。定安が隠居後に布施白水と改名したことと関係があるのかもしれませんが、調べきれておらず不明です。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

金刀比羅神社

 金刀比羅(ことひら)神社(宮城県仙台市若林区南材木町75)


 旧国道4号からひとつ東に入った道路沿いに鎮座しています。


 この道沿いには白壁の蔵がいくつか点在し歴史を感じさせます。それも道理、ここは昔の奥州街道です。

 この周辺は南材木町という地名で、その名のとおり寛永年間(1624~43)に若林城の城下町として割り出され、木材の専売権を許された町。延宝3年(1675)までは、材木のほかに煙草の専売権を持ち、隆盛を誇ったとのことです。(仙台市HP 「若林区 奥州街道を歩く」を参照)




 この神社は、もともと地主であった向かって右隣の「針惣」の屋敷神で、明治初期に廃絶されたものを昭和23年(1948)になって町の人たちが町の鎮守として建て直しました。

 「針総」は昭和26年(1951)から62年(1987)までは旅館だったとのこと。市川房江、幸田文、角川源義など多くの著名人が定宿にしていたそうです。(以上、前掲仙台市HPを参照)


 しかして、この日、旧針総旅館の奥を覗いたところなにやら工事中で、もしかすると解体の最中なのかも知れません。いや、外観には手が入っていないので内部の補修をしているだけなのでしょうか。

 この建物が解体されるとすれば神社の存亡にも大きく関わりますので、そうでないことを切に祈るばかりです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

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2024.02.10補筆

 旧針総旅館について「仙台市の「杜の都景観重要建造物等」に指定されている、若林区南材木町の「旧針惣(はりそう)旅館」が、古民家のたたずまいを生かしたレストランや宿泊施設にリノベーションされる。一部はコミュニティースペースとして貸し出す予定で、来年春のオープンを見込んでいる」(2023.08.10河北新報ONLINEから引用)という記事を見つけました。解体ではなくてよかったです。

秋葉神社

 秋葉神社(宮城県仙台市若林区河原町1-5-11)


 仙台市地下鉄南北線河原町駅の南口を出るとすぐの場所にあります。


町の守護神で古くから信仰をあつめ、特に火防の神として信仰されている。200戸余りを焼失した明治10年(1877)の河原町大火後、火伏せの御神輿(おみこし)をつくってからは火事がなくなったという。(仙台市HP「若林区神社めぐり 南材界隈」から引用)


 火防の神として厚い信仰をあつめる静岡県浜松市の「秋葉山本宮秋葉神社」は、全国に存在する秋葉神社の総本宮であり、当社もその分霊を祀ったものであろうとのことです。(木村孝文「若林の散歩手帖」参照)



 この神社周辺が「河原町」と呼ばれたのは広瀬川岸に広がっている町だから。藩政時代はここが城下の南の入口で、多くの人々が道端や畑に野菜を並べて売っていたといわれています。(仙台市HP「若林区 奥州街道を歩く」参照)

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

松尾神社(舟丁)

 松尾神社(宮城県仙台市若林区舟丁64-9)


 仙台市地下鉄南北線河原町駅の北1番出口を出ると、旧国道4号の向かい側に鎮座している小社が見えます。



主祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ) 

 宮城県神社庁のHPから由緒を引用します。

創立年月は定かでなはいが、伊達政宗公が仙台に青葉城築城後の藩政時代に3つの穀蔵が造られた、1つは青葉城三の丸内、1つは榴ヶ岡穀蔵(現在の仙台管区気象台)1つは若林穀蔵(現在の南警察著㈱ほまれや)その穀蔵の厄避けの守り神として祀られたようです。(略)明治3年廃藩置県の施行により、穀蔵は廃止され其後長井家(現在の長井酒店)が神主となり、(略)大正初期に(略)東北舘製糸場の所有となり、東北舘と町内とで祭祀が続けられました。昭和の初期に入り(略)東北舘製糸場も経済不況のあおりで閉鎖の止むなきに至ったと思われます。長路線(仙台市電長町線)の工事が進められ広瀬橋迄開通したのは昭和9年で現在地に移転され今日に至って居ります。


 神社の右側に見えるブルーシートは、現在仙台市が施工している新しい宮沢橋の工事現場です。

 昭和の初めに市電工事のため移転を余儀なくされたこの社も、今回はかろうじて再移転を免れたようです。


 少し足を伸ばして広瀬川の河岸まで橋の工事現場を見に行ってきました。

 仙台駅の東側を南北に貫く道路を繋ぎ、市中心部の渋滞緩和が期待される新宮沢橋。接続する道路はすでにできていますが、令和4年(2022)から始まった橋の完成は同8年(2026)までかかる大規模な工事のようです。

 古くから残る神社もあれば新しくできる橋もある。世の中そのものですね。

EOD R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年1月23日火曜日

稲船神社

稲船神社(宮城県仙台市宮城野区五輪1-14-27)
 JR仙石線宮城野原駅の西500mほどに鎮座しています。

 神社に向かう道々に「〇〇踏切跡」という道標がいくつか立っていました。今は地下に潜っているJR仙石線がかつて地上を走っていたところなのですね。帰宅して「道標の写真を撮っておくんだった」と思いましたが、時すでに遅しです。


主祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

寛文年間(1661~1673)に現在の原町の地に創祀と伝えられ、伊達藩期の稲作開田にともなって原町南部一帯の農業の神として崇敬される。明治に至り、現在の地に遷祀する。(宮城県神社庁HPの由緒説明から引用)

 祭神の宇迦之御魂神は五穀豊穣の神様ですが、現在この神社の周辺は住宅地で水田はなくなってしまいました。


 台座から落下した狛犬が隅に置かれていました。


 境内には楓(カエデ=イロハモミジ)、檜、桜の巨木があり、拝殿前の由緒説明板によると、いずれも樹齢250年を超えているということです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年1月19日金曜日

金蛇水神社(一番町)

 金蛇水神社(宮城県仙台市青葉区一番町4-11


 青葉区一番町の仙台三越の一角に鎮座しています。市内最大の繁華街にあるからでしょうか、参拝する人が跡を絶ちません。



 当社は岩沼市の金蛇水神社の分霊社であるとのこと。金蛇水神社の分霊社はこちらのほか市内にあと2か所あります。



 小さな境内に金蛇様が祀られています。

 金蛇はもともと水の神ですが、商売繁盛・金運円満の神としても信仰を集めているとのこと。商店街の一角に分霊されているのは、そのゆえでしょうか。

 この分霊社の向かいにある銀行の支店内に神輿が置かれ公開されています。毎年8月の最終日曜日に神輿渡御が行われるそうです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM