2025年5月28日水曜日

御嶽三吉神社

御嶽三吉(おんたけみよし)神社(宮城県仙台市青葉区北山3-6-18)

 JR仙山線「北山駅」を下車し5分ほど歩くと一の鳥居が見えてきます。ここから石段を上って伊勢堂山と呼ばれる小山にある社殿に向かいます。

 石段の途中で大山祇神社の社殿をみつけました。現在は神社として機能していないようです。ここはいかなる謂れのある神社なのか、どういう経緯で放置されるに至ったのか興味がわいてきます。

 ともあれ、御嶽三吉神社に話を戻し、さらに石段を上ります。

 ここは教派神道(神道十三派)のひとつである御嶽教の神社です。御嶽教は木曽御嶽信仰を起源とする宗派です。社殿が立派です。


祭神 國常立尊(くにのとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、三吉大神(みよしのおおかみ)

御嶽三吉神社は仙台市北山丘陵(伊勢堂山北部)の分水嶺に鎮座し、信濃の國木曽御嶽山に祀られる御嶽大神、出羽の國秋田太平山に祀られる三吉大神の御分霊をお祀りしております。創建年は昭和8年(1933)に三吉神社崇敬者はじめ仙台市亀ヶ岡(当時の地名)近隣の地域崇敬者同志の賛同を得て三吉大神の石祠が祀られました。戦後、昭和38年(1963)、隣地に鎮座されておりました御嶽神社(御嶽教宮城敬神教会:昭和29年(1954)、光善寺通りにて開教)へ移管合祀され、「御嶽三吉神社」と改称され、(宗)御嶽教宮城大教会となりました。(ホトカミ「御嶽三吉神社の基本情報」から引用)


 社殿から仙台市北部の街並みが望めます。


 境内社の出羽三山神社仙台分社です。やはり山岳信仰にゆかりがあるのですね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月21日水曜日

伊勢神明社

伊勢神明社(宮城県仙台市青葉区千代田町4-33)

 JR仙山線「北山」駅から徒歩10分ほどの丘陵地に鎮座しています。


 それほど高い山にあるわけではありませんが、道路の勾配がきつく参道入口まで歩くのが大変で、さらに参道の石段を上るのにも往生しました。


主祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)

元和七年(1621)藩祖政宗は荒巻村鎮座の神明社(荒巻神明町)を同村内の勝地に遷し、神明宮と称し、同地を伊勢堂山といった。(略)天和二年(1682)四代藩主綱村は規模を拡張し社殿を改築、(略)藩主継嗣とのとき参拝することを例とした。(略)明治五年(1872)元柳町(元桜ヶ丘公園)に遷座し同八年(1875)桜岡大神宮と改めたが、旧地に神社は残り現在小社があるだけである。(木村孝文「青葉の散歩手帖」から引用)

 そもそもはたいへん由緒ある神社のようです。



 かつて別当寺があったことを偲ばせる地蔵を参道にみることができます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月14日水曜日

春日神社(大野田)

春日神社(宮城県仙台市太白区大野田宮)


 太白区大野田の大野田宮公園の一画に鎮座しています。公園内の更地に鳥居と社殿をぽんと持ってきたようで、神社の境内という雰囲気はあまりありません。


 主祭神 天児屋命(あめのこやねのみこと)

古老の口碑より創建は永正二年(1505)中京より来られし藤原重保が春日大社を尊崇せられ勧請すと伝ふ 明治五年(1872)四月村社に列す 明治四十二年(1909)十一月一日多賀神社に合祀 旧社殿は西北約百五十米の地に有し仙台市の土地区画整理事業により現在地に移築す(境内掲示「春日神社由緒 平成17年5月吉日)から引用)

 神社を出て仙台市地下鉄南北線富沢駅に向かって歩いていたところ、仙台市が設置した「春日社古墳」という掲示板をみつけました。

 かつてこの道路上に古墳の墳丘があり、そこに春日神社が建っていたとのことです。

 富沢駅の東側には前方後円墳が1基と円墳が43基みつかっており、総称して「大野田古墳群」と呼ばれているそうです。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

寶龍社

寶龍(ほうりゅう)社(宮城県仙台市太白区東大野田4-4)

 太白区東大野田の旧国道4号沿い、東大野田公会堂の敷地に鎮座しています。

 JR仙台駅から東北線白石方面行の電車に乗ると、太子堂駅を過ぎ名取川を渡る手前あたりで車窓から赤い鳥居が見えます。なので、以前から気になっていた神社でした。


祭神 高龗神(たかおかみのかみ)

 祭神は水の神です。神社の由緒は不明ですが、太白区西多賀の多賀神社の境内に掲示されている由来版に「明治四十二年(1909)十一月に大野田に鎮まり坐す春日神社(祭神 天児屋命)と寶龍社(祭神 高龗神)を合祀した」との記載があります。

 社殿の中を覗いてみたところ、直径2, 30cmほどの木製の玉が祀られていました。どういういわれがあるのでしょうね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2025年5月13日火曜日

熊野神社(鶴巻)

熊野神社(宮城県仙台市宮城野区鶴巻1-9-6)

 宮城野区鶴巻の住宅地に鎮座しています。


主祭神 早玉男神(はやたまのおのみこと)、事解男神(ことさかのおのかみ)、伊邪奈美神(いざなみのかみ)

勧請年月詳ならず。寛政2年(1790)再建す。旧称熊野大権現。明治2年(1869)熊野神社と改称す。(宮城県神社庁HPから引用)

 境内に多数の古い板碑があります。向かって右から2つめの湯殿山碑は文政10年(1827)、その左隣りの雷神碑には文久元年(1861)の紀年が刻まれています。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

伊達明神

伊達明神(宮城県仙台市宮城野区福田町4丁目13-27)

 宮城野区福田町の住宅地に鎮座しています。


藩政時代に伊達藩主の御狩場であったが、藩主は一民家に立ち寄り休憩することを常とし、御下賜品等もあったと言う。この家の主はこれに感激し、屋敷内に祠を建て伊達明神として尊敬し、これが今日まで続いていると伝えられる。(飯塚景記「古い祠堂や石仏石碑を観て歩く」から引用)

 覆屋の中の扁額には稲荷大明神と記されており、祠の中に狐像が祀られていることから、お稲荷さんでもあるようです。

 社殿は大きな樹の切り株の上に置かれています。このこと自体には意味はないかもしれませんが。

 覆屋の中に政宗公馬上甲冑御図が奉納されています。奉納年は平成16年(2004)となっているので、これは新しい絵ですね。

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2025年5月1日木曜日

諏訪神社(郡山)

諏訪神社(宮城県仙台市太白区郡山5丁目13-8)

 JR東北線太子堂駅から徒歩で10分ほどの住宅地に鎮座しています。

 この日は月初めの月次祭が行われる日で、大勢の参拝者が訪れていました。


主祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)

郡山字在家浦に鎮座する。勧請年間不詳。古老の伝に依れば天喜四年(一〇五六)源頼義の創建にかゝり、当初稲荷大明神と号し、文明中(一四六九-八六)粟野忠重の子国定祠堂を再建し、永禄年中(一五五八-六九)北目城主粟野國重更に堂宇を改造したという。境内に延慶三年(一三一〇)の古碑が現存する。明治維新後諏訪神社と改称し、同五年(1872)村社となり、明治四十五年(1912)には砂押鎮座村社深山神社(祭神大山祇命)を合祀する。大正十一年(1922)長町操車場の敷地として旧社地を買収されたので、同十三年(1924)現在の地に遷して今日に至る。(「仙臺市史」(昭和28年版)から引用)

 こちらは本殿です。

 境内社です。右から、稲荷神社、深山神社。八雲神社です。



 小牛田の山の神のほか、多数の板碑も祀られています。



 藤棚が美しいことで有名な神社ですが、満開には少し早かったようです。


 境内にはカフェもあり、ゆっくりと寛ぐことができます。

EOS R, EF17-40mm F4L USM