鹽竈(しおがま)神社(宮城県塩竈市一森山1-1)
陸奥国一宮を称する鹽竈神社の表坂です。鳥居をくぐり202段の石段を上って神門に辿りつきます。この石段、傾斜が急な上、歩幅と段差が微妙に合わない、まさに心臓破りの石段です。
なお、脚力に自信のない人は裏坂にまわると車で社殿近くまで行くことができます。実は私もそちらを選択しました。
立派な神門です。
主祭神 鹽土老翁神(しおつちおぢかみ)【別宮】、武甕槌神(たけみかづちのかみ)【左宮】、経津主神(ふつぬしのかみ)【右宮】
創立年月日不詳。延喜式神名帳に記載なきも嵯峨天皇の弘仁式の主税帳に陸奥国正税六十萬三千束(中略)鹽竈神祭料一萬束云々と見ゆ。国史所載 一宮諸社根源記・諸国一宮神名帳一宮記等何れも当社を以て陸奥国一宮となす。旧社格国幣中社、明治7年12月5日列格。当社はもと社名を鹽竈宮・鹽竈明神・或は鹽竈六所明神とも称し(社蔵古文書棟札名)、祭神にも諸説ありしが今鹽土老翁神(別宮)・武甕槌神(左宮)・経津主神(右宮)の三神を祀る。(宮城県神社庁HPから引用)
当社は武甕槌命と経津主神の二神が鹽土老翁神の案内により陸奥国を鎮定して当地に祀られたのが始まりとされる。鹽土老翁神は、当地に留まって人々に塩づくりを教え広めたと伝えられる。平安時代編集の「弘仁式」並びに「延喜式」に「鹽竈神を祀る料壱萬束」と記されていることから、当時すでに重要な神社であったと考えられる。(境内掲示由緒説明板から引用)
武甕槌神(鹿島神宮の祭神)を祀る左宮と経津主神(香取神宮の祭神)を祀る右宮からなる拝殿と、
少し離れた位置にある、鹽土老翁神(潮流を司る製塩の神)を祀る別宮です。
境内の広さ、社殿の大きさ、装飾の豪華さなど、県内の神社には他に類がなく圧倒されます。
これほどの規模の神社でありながら、創立年が不詳で、かつては祭神もはっきりしなかったとのこと。江戸時代中期になって左宮・右宮に祀られていた二神のほか鹽土老翁神を祭神とすることに確定し、鹽土老翁神を祀るため別宮を設けたのだそうですが、なんとも不思議な話です。
平安時代の権力者が塩つくりの神様だけに一万束の神祭料を負担したとは思えないので、かつては国府多賀城を支える戦の神としての性格が強かったのでしょうか。
ところで、この時期に鹽竈神社を訪れたのは、天然記念物の塩釜桜を見たかったからでもあります。
塩釜桜はサトザクラ系のヤエザクラでソメイヨシノよりも10日ほど花期が遅いとのことですが、この日はもう葉桜が目立つようになっていました。もっと早く来れなかったのが残念です。