2024年8月20日火曜日

八幡神社(野村)

八幡神社(宮城県仙台市泉区野村八幡前11)



 泉区のみやぎ生協高森店の敷地に隣接し、東北自動車道を見下ろす位置に鎮座しています。


 この社の由緒等は不明ですが、「宮城県誌」(昭和3年版)には、野村字萩塚に鎮座する須賀神社について「大正四年(1915)七月二十四日、馬場屋敷の神明社、八幡前の八幡社、筒岫屋敷の稲荷社を合祀し遷座の式を挙行す」という記載があります。

 「仙台・泉の散歩手帖」には、「八幡前の八幡社は合祀されたとのことであるが、東北自動車道建設のため若干移動はしているが、現在高森八丁目に祀られている」と述べられています。


 社殿が2つあります。

 向かって右側の、


「八幡神社本殿改築記念碑」のあるほうが八幡神社。

 向かって左側は、仙台市HPの「いずみ史跡今昔物語―第9回 野村めぐり 秀衡街道を歩く」に須賀神社に合祀された馬場屋敷の神明社について「現在は高森生協隣接地の高速道路が見渡せるところに祭られています」という記載があることから、神明社の社殿であると思われます。


 八幡神社(と思われるほう)の覆屋の中です。


 神明社(と思われるほう」です。


 この周辺はかつては一帯が山でしたが、三菱地所の大規模開発によって現在は仙台を代表する住宅団地になっています。

 この神社は、大正時代の合祀や東北自動道の整備による移動など、さまざまな変遷を辿った末、今はかつての鎮座地であった高速道を見渡しながら、ここに落ちついているものと感じられます。

EOS R, EF35mm F1.4L USM

2024年8月13日火曜日

八坂神社(七北田大沢)

八坂神社(宮城県仙台市泉区七北田大沢丸山38)



 鳥居から社殿まで長く急な石段が立ちはだかります。



祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)、春日大神

住古同地の百姓で源三郎という人が京都で参宮したときに御霊影を受けて、以降同人の氏神様として祭ったのが始まりです。
元文3年(1738)には、七北田村の端郷であった大沢村の惣鎮守として祭られました。
明治初年(1868)、京都の祇園社が八坂神社と改称すると、本社も八坂神社と改められ、大正5年(1916)には木戸囲いにあった春日神社も合祀されました。(仙台市HP「いずみ史跡今昔物語―第12回 大沢めぐり 陸羽街道を歩く」から引用)



 参道の中途にある石碑群です。


 こちらは社殿近くに並んでいる石碑群。

 八坂神社は陸羽街道の傍らにあったため、境内には多くの馬頭観世音碑や名号碑、山神碑などが多数祭られているとのことです。(前述、「いずみ史跡今昔物語―第12回 大沢めぐり 陸羽街道を歩く」参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM

2024年8月9日金曜日

八木山神社

八木山神社(仙台市太白区八木山香澄町3)


 仙台市の大規模住宅団地である八木山団地に鎮座しています。

 コンビニの敷地の一角に神社があるように見えますが、神社の敷地の一部がコンビニになったというほうが本当でしょう。



祭神 大山祇(おおやまつみ)大神、木花咲耶(このはなさくや)大神、金山彦(かなやまひこ)大神、豊受比賣(とようけびめ)大神、倉稲魂(うかのみたま)大神、水波女(みずはのめ)大神

古くからこの地に居住していた人々の生命の泉として久しく汲み奉った沼沢(俗に清水沢と称し飲料水としてまた天然水も生じた―現の東北工業電子高校のグランド付近)の辺りに小祠があって当時の人々は水の神として尊崇していた。
終戦後当時の有志等が相諜って八木山文化都市建設協会(現の八木山翠町内会の前称)を組織設立し生活の向上発展の充実に力をそそぎ更に和楽の場として現地に鎮守の社を造営八木神社と称え奉り越路神社の御分霊と大峯神社(現の動物公園の前身八木山野球場内に祀ってあって市の管財であったのを譲り受けた)並びに前記の水神を合祀したものである。
時に昭和29年(1954)の仲秋であった。(境内掲示、八木山神社由来記から引用)


 社殿の扁額は八木山を形どったもののように見えます。


 境内社の八木山稲荷神社です。

 神社の前には「八木山神社前」というバス停があり、多くの乗降客が利用する停留所になっています。その意味で、ここに神社があるという住民の認知度が高い神社だといえると思います。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

鈎取八幡神社

鈎取(かぎとり)八幡神社(宮城県仙台市太白区鈎取1-10-35)



 太白区鈎取の昔からある住宅地の中に鎮座しています。



主祭神 応神天皇

八幡神社は、今を去る八六〇余年前の後冷泉天皇の治歴年間に陸奥守鎮守府将軍源頼義、奥州の乱の際霊験あらたな八幡神社を鈎取の里に社宇を勧請治歴乙巳年(1065)八月創立し爾来鈎取村の氏神様として崇敬して参り、その後明治五年(1872)四月村社に列せられました。(境内掲示、由緒説明板から引用)


 こちらが本殿です。

 私の実家がこの近くにあって、若い頃からこの社の前を車で何十回となく通っているのですが、ここに神社があることに最近までまったく気がつきませんでした。これほどの規模の神社であるにもかかわらずです。神社は興味のない者には見えない、ということがよく判ります。

EOS R, EF17-40mm F4L USM 

2024年8月7日水曜日

亀岡八幡宮

亀岡八幡宮(宮城県仙台市青葉区川内亀岡町62)

 石造りの鳥居をくぐると、

社殿に達するまでの長い石段の始まりです。


 石段は365段あるそうです。下からすべての石段が一度に見えるのではなく、数十段の石段を登りきった後に、次の石段が見え始めます。

 けっこうな段数を上ったところに、更に石段が続いていることを発見した時の絶望感は半端ではありませんでした。


 ともあれ、「やまない雨はない」の例えのごとく、いつかは石段も終わり、社殿が見えてきます。


 手水舎では、この社を勧請したときに出現したという霊亀を模した亀の像が参拝者を出迎えます。



 拝殿です。

主祭神 応神天皇、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)

亀岡八幡宮の縁起は、文治年間(1185-90)伊達朝宗が福島県伊達郡梁川に鶴岡八幡宮を勧請して建立したのにはじまる。その後伊達氏が仙台藩主になるにおよび、慶長七年(1602)、社人山田清重・重之兄弟は、神体を戴いて仙台に入り、範に庇護をもとめた。藩では寛永十七年(1640)、同じ町に仮社殿を建てて奉祀した。その後、天和三年(1683)、仙台藩主伊達綱村(四代)は「青葉が崎の岫(そま)つづき」の現在の地点に壮麗な社殿を造営し、八月遷宮式を挙行した。(境内掲示、縁起説明板から引用)


 こちが本殿です。

 亀岡八幡宮の社殿は、昭和20年(1945)の仙台空襲ですべて焼失したため、昭和40年(1965)に新たに竣工したとのことです。


 境内社の高良玉垂(こうらたまたれ)神社です。祭神の高良玉垂命は、朝廷から正一位を授かっているものの、記紀には登場せず、正体が何であるか判らない「隠された神」なのだそうです。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年8月4日日曜日

嶋館神社

嶋館神社(宮城県柴田郡大河原町字千塚前70)

 大河原警察署の裏手にある嶋館古墳の上に鎮座しています。

 嶋館古墳は5~6世紀に築造された前方後円墳で、当時この土地を支配していた豪族の墓と思われれるとのことです。(境内掲示「嶋館を神社と嶋館古墳」大河原町教育委員会を参照)


主祭神 保食神(うけもちのかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、大宮女神(おおみやめのみこと)

勧請月詳でないが、古くからこの地に鎮座され、正一位稲生大明神と称した(文化11年(1814)2月正二位藤原朝臣経朝書奉納額)その後、嶌館神社(文化14年(1817)3月奉納額左近衛権少将源定信書)明治の初、大河原町字新田町に移祀。幾もなく再び現在の境内に復帰した。明治5年(1872)3月村社列格、大正7年(1918)4月神饌幣帛料供進神社に指定された。境内社八雲神社は文久3年(1863)大河原邑豪高橋與右エ門なる者、槻木入間田の八雲神社御神霊を乞奉斎のせらる。国霊神社は、昭和20年(1945)1月大東亜戦争終戦の際、柴田農林学校に在置せる御眞影奉安所の交付を受け境内に移築し、町内の戦死病没者の英霊を祀り、堂内に各霊璽を安置している。尚、現在の嶋館神社拝殿及び社務所は昭和50年(1975)に改築したものである。(宮城県神社庁HPから引用)

 社殿のすぐ裏から後円墳の頂きに通じる石段が伸びています。

 境内に掲示されている大河原町教育委員会の説明文によると、石段を上った先にある社が嶋館神社の本殿だということです。


 前方後円墳の前方墳の部分です。真ん中にある社が、槻木の八雲神社から勧請した祇園社です。


 こちらは境内社の国霊神社。町内の戦士病没者の霊を祀っています。

 古墳の上に神社が鎮座している例は多くありますが、神社がメインとなっているのがほとんどです。嶋館神社・嶋館古墳の場合は、前方後円墳の形状がはっきりしているためか、神社、古墳の双方が存在感を発揮しているように感じられます。

EOS R, EF24-105mm F4L IS USM

2024年7月21日日曜日

三囲神社

三囲(みめくり)神社(宮城県仙台市青葉区一番町4丁目8-15)


 青葉区一番町の仙台三越の屋上に鎮座しています。



 鳥居をくぐると、赤と白のふたつの社が現れます。


 向かって右側の赤い社が三囲神社です。

 東京都墨田区向島にある三囲神社が、「囲」が「(三)井」を囲んでいることから、「三井を守る」ものとして三井家の守護神となったと云われています。

 三井越後屋を承継した三越が大正3年(1914)に日本橋三越本店屋上に三囲神社の分霊を祀ったのが最初で、その後、全国の支店屋上に三囲神社が置かれるようになったということです。


 左側の白い社は、商売繁盛の神である大黒天を祀った日之本開運活動大黒天です。東京の日本橋三越には高村光雲の作による尊像が祀られているということです。
(以上、日本橋三越本店HP「日本橋三越本店の歴史再発見」参照)

EOS R, EF17-40mm F4L USM